復讐の黒い百合~流刑となった令嬢は祖国転覆を企てる~

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五章 鴉との約束

鴉との約束.7

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 気づけば、私は彼を探していた。レイブンが懸命に後ろをついてきていることも忘れて。

 人が入り乱れている。オリエント人かエルトランド人か、分からないままに人がぶつかってくる。

 なぜか、双方共に戦っていなかった。左右でそれぞれ分かれていたが、とにかく人垣ができていて、その環の中で彼が叫んでいるのが聞こえた。

「次は誰だ!お前たちオリエント人が好む『一騎討ち』とやらを、この俺自らがやっているのだぞ!恥ずかしくはないのか、お前たち!」

 人垣を割って先へと進む。

 あいつの声だ。ジャンの、声。

 どうしてだろう、そのとき私は、忌まわしくもすでに懐かしく感じる彼に会うことで、何かが救われると思ってしまった。

「ごめんなさい」と小さな声で味方を押しのけ、前に出る。そうすれば、人垣を柵にしたリングの中央で、血で染まった赤い剣を手に周囲を睨みつける彼の姿があった。

 足元には大量の血。そして、オリエント軍の…ニライカナイのメンバーの遺体が転がっている。

 全て彼がやったのだ。

 ジャンは、紛いなりにもエルトランドの第一王子だ。軍隊式の剣術・魔導の訓練を受けている。特に前者は成績が良かったと聞いている。彼が敵国を相手取って戦うのに対し、私は国内の魔物相手に戦っていたから、その実態を見るのは初めてになった。

「次は誰だ!名乗り出ないのであれば、こちらから指名してもいいぞ!」

 一同がたじろぎ、後ろに下がるなか、私はぼうっと、『あぁ、本当にジャンは強かったのだな』と考えていた。

 すると、結果的に人より前に出ていた私にジャンが切っ先を向けた。

「なんだ、貴様。仮面などつけて、妙なやつめ」

 仮面…。

 そうだ、仮面だ。

 これさえ外せば、彼は私だと気づく。そうすれば、もしかするとジャンは私をかくまってくれるのではないか。

 ――違う。

 違う、違うだろう。何を考えている。私は、何を…。

 何のために魔力を捨ててこんなところに来た?

 助かるためじゃなかったはずだ。

「前に出ろ!次は貴様を相手にする」

 聞いたことのないジャンの声に、頭がおかしくなってしまいそうだった。

「臆病風に吹かれているのなら、さっさと消えろ!ふざけた覚悟で戦場になど出るな!」

 臆病風、という言葉は図星だった。だからこそ、私は顔を上げて前に出た。

 そうしないと叫びだしてしまいそうだったのだ。

「ほう」とジャンが剣を構えた。

 私がぼうっと立っていると、彼は苛立たしげに、「お前も抜け。丸腰を斬ったと思われたくはない」と命じた。

 抜く…。

 私は腰に佩いた太刀を見つめた。

 銀の下地に赤い花。きっと、私の髪と目をイメージして作ってくれたものだろう。

 私は、自分の目が嫌いだった。うさぎの目みたいに真っ赤だったから。

 でも、ジャンはそうではないと言ってくれた。

『ルビーなんかよりも、ずっと綺麗だ』…と。

 あぁ…そうか。

 私は、ちゃんと彼のことを愛していたのか…。

 今さらながらに気がついた自分の人間臭さ。それは失われていた味覚が戻ってきたみたいに、私の心を打った。

 無意識のうちに、ジャンとの思い出が蘇る。

 王城で初めて会ったときのこと、戦地に赴く彼の背中、ストレリチアを見つめる彼を見つめていたときのこと…。

 婚約が決まったとき、彼は夕暮れ時のバルコニーで私にこう言った。

『オリエントで見る夕焼けは、もっと赤く、鮮やかで美しいらしい。…君の瞳のように』

 戦争が終わったら一緒にそれを見よう、と。ジャンは笑った。

 思い出が私の心を苛む。

 鋭く、鮮烈な痛みに背中を押されて、私の口が勝手に動いた。

「――…こんな形で、一緒にオリエントの夕焼けを見ることになるとはね」

 ジャンは瞬間、怪訝な顔を浮かべた。

 こいつは何を言っているんだと、二人を取り巻く衆人たちと同じような感情を抱いていた。

 だが、すぐにそれは色を変えた。

 驚愕、不安、後悔、そして…嫌悪。

 私の心はそれらの感情を鮮明に受け取ってしまい、押し潰されそうになっていた。

 そんな中、彼が言葉を口にする。

「お前が何を言っているのか、分からないが」

 カチャリ、と切っ先が私の喉元目がけて向けられた。

「そのふざけた仮面は、絶対に外すな。その下の顔など、見られたものではないのだろうからな」

 すぅ、と心が冷えていくのが分かった。

 ジャンは、私が誰だか分かっている。分かったうえで、『顔を見せるな』と警告している。

 とても寒かった。

 とても、寂しかった。

 ふと、どうしてレイブンがあれだけ温もりを求めているのかが、分かった気がした。

 刀を抜いてもいない私に向かって、ジャンが駆け出す。

 大きく振りかぶられる剣、夕焼けを反射して輝く刃。

 すでに、心はその一太刀を浴びて血を流していた。

 ずきん、ずきん、と痛みに喘ぐ心が願ったのは…。

「お嬢様っ!」

 レイブンの大きな声が遠く、人垣の向こうから聞こえる。

「せやあっ!」

 ジャンの気迫のこもった雄叫びと共に、刃が迫る。




 右腕は、流れるように鞘から太刀を抜いていた。

 解き放たれた私の魂は、ジャンとすれ違うようにしながら相手の剣を受け流す。

 躊躇を知らない獣みたいに獰猛な刃先はジャンの右肩を狙うも、素早く切り返した剣に防がれる。

 でも、私は止まらない。

 アカーシャ・オルトリンデの憎しみの炎が消えるまでは。

 間髪入れず、すくい上げるように斬り上げを放つ。しっかりと防がれたが、関係ない。刃の盾の上から何度も袈裟斬り、逆袈裟斬りを繰り返す。

 押し込める、などとは思っていない。数秒相対しただけで、彼が十分な実力者であることは分かった。

 ただ、刻み込むことはできるはずだ。

 私の怒りを、憎悪を、失望を、痛みを。

 たまらず、ジャンが一歩後退する。彼の親衛隊が手助けに入ろうとするが、すぐに彼自身がそれを制した。

「手を出すなっ!」

 姿勢を立て直したジャンが、剣を両手に持ち替えてどっしり構える。私もそれを見て、ゆっくりと太刀を下段に――地の構えを取った。

 荒い呼吸を立て直しつつ、じっとジャンを観察する。

 彼は明らかに動揺していた。その事実に、私はついおかしくなって笑ってしまった。

「はは、あははは…」
「な、なんだ、何がおかしい!」

 青い顔で彼が叫ぶ。それがまたおかしくて、さらに高く私は笑う。

「あははははっ!ごめんなさいね、こんな大事なときに」
「だったら、その笑いをやめろ!」

 ジャンが飛び込んでくる。

 あまりに雑な間合いの詰め方に、私は反射的に彼の足元を斬りつけると、それで下がった顔をさらに思い切り逆袈裟に斬りつけた。

「ぐあ、あああっ!」

 顔を押さえ、ジャンが数歩後退する。

 血が。

 血が舞っていた。

 ジャンの血だ。

 かつて、愛した者の血。

 それが、どうしたというのか。

 付着したジャンの血が太刀の刃先を滑れば、この夕日に焼かれた海岸みたいに赤い線が浮かんだ。

 私は躊躇なく踏み込み、彼をさらに刻もうとした。だが、それを阻止するべく、親衛隊が何人も人垣から躍り出てくる。

 ぎろり、と素早く標的を変えれば、彼らは恐れたふうに足を止めたのだが、そのせいで、私の後方から放たれた黒い破片のような呪いに撃たれ、全員がよろめいていた。

 ――レイブン。

 私を裏切らない、美しき鴉。

「いい子ね、レイブン!」

 隙を見せた数人を、私は瞬く間に斬りつけた。

 一人目の首元を右薙ぎで切り裂き、二人目の右手首を逆袈裟で深く断ち、そして、三人目のうなじを袈裟斬りに斬りつける。

 城での豪勢な食事を思い出す、血の饗宴だった。

 一騎討ちが破られた今、再び双方が激突を始める。それにも関わらず、私とジャンの間にこれ以上の障害はなかった。

 背を向けて逃げる彼に追いつき、袈裟斬りを浴びせ、倒れたところで両足の健を一閃振るって断ち切った。

「ぎゃあっ!」と情けない悲鳴と共に、彼はころりとこちらを向く。

「どうしたのかしら、第一王子。隙だらけじゃない」
「ま、ま、待ってくれ!やめろ!」

 私はジャンの制止を無視して、右肩に深く刃を滑らせた。

 彼の虚しい悲鳴を聞いていると、確かに、何かが救われていった。

「いいわ、その調子で泣きわめきなさい。それでこそ、こうして生き恥を晒した意味があるわ…!」
「ひぃ」

 そうだ。

 こいつは、私を裏切った男で、しかも、腰抜けだ。

 強国の王子という立場を振りかざし、生きてきた人間。

 そう――彼は、悪人である。

 こんなやつを愛していた私は、とんだ道化だ。

「誰か、誰か来てくれ!」

 彼の呼び声には誰も応じない。みんな、自分の命を守ることで忙しいのだ。

「さて、ジャン・デューク・エルトランドさん!貴方の愛する人の名前を言ってごらんなさい」

 ジャンは涙を流しながら私を見上げた。どんな懇願をすればいいのか、必死で考えているようだったが、生憎、彼が一生懸命出した解答は何の変哲もないつまらない内容であった。

「わ、私の愛する人はただ一人、アカーシャ・オルトリンデだ」

 私はその解答に満足した様子を演じるため、仮面の下で艶やかに微笑んでみせた。

 一瞬、彼の顔に安堵が浮かんだ。それを踏みにじるため、私は続けて問いかける。

「その人は、どこにいるの?」
「アカーシャ…俺の目の前だ。アカーシャ」

 人々の争いはすぐ近くで起きているのに、誰も私たちに関わろうとしない。もしかすると、先程の親衛隊を見て、巻き添えを食うのはごめんだと思っているのかもしれない。

「会いたかった…アカーシャ。本当だ」

 どの口が、と冷たく彼を見下ろしていると、背後に見知った気配を感じた。

「お嬢様…」

 レイブンだ。ジャンは彼女を見て目を丸くしていたが、どうでもいいことだった。

「レイブン」私は振り向きもせずに尋ねる。「アカーシャ・オルトリンデがどうなったか、この恥晒しに教えてやりなさい」

「はい、お嬢様」

 言葉の意味を理解したらしいレイブンが、一拍遅れて宣告する。

「アカーシャ・オルトリンデ様は、死にました」

 教育の賜物だ。レイブンは、よく分かっている。

「よろしい。百点満点の答えよ」

 刹那、私は太刀の切っ先を突き立てる。

 間抜けな顔を浮かべたまま、私を見上げているジャン・デューク・エルトランド、その人の心臓に目がけて。

「あ、かー…しゃ」

 悲鳴を上げる力もなく、パクパクとジャンが口を動かす。その度に、血の泡が弾けて、とても汚らしかった。

「馬鹿ね…その女は貴方とストレリチアが殺したんじゃない」

 私は突き立てた太刀を引き抜くと、死に逝く彼の髪を掴んで、吐息のかかる距離で呪詛を放った。

「あぁそうだ。あの子、貴方の指輪なんて心底いらなかったらしいわよ」

 ジャンが丸々と瞳を見開く。そこからは滝のような涙がこぼれてきた。

「ふふ、いい顔ね、ジャン。――安心して頂戴。私が最期まで見ているわ。貴方の命が、後悔と絶望をたたえたまま終わる様を」

 そうだ。後悔させる。

 私を裏切った者たちに、助けてくれなかった者たちに、話を聞こうとすらしなかった者たちに。

「貴方の愛するストレリチアだって、私がこうして殺す、いえ、もっと酷い目に遭わせるわ。だって、あの子が私の全てを踏みにじったのよ。私が、私は――」
「お嬢様」

 毒を吐く、赤い瞳の怪物の背へとレイブンが声をかける。

 緩慢な動きで彼女を振り返る。そこには、黒い目をしてこちらをまっすぐ見つめる死告鳥の姿があった。

「――もう、聞こえていません。その人、死んでいます」
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