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第2話
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重い木の扉を開けてバーに入る。たまらずセレモニーを抜け出して、行き着いた先は魔界だった。カイルも一度魔界に行ってみるといいよ――そうセドリックに言われた場所は、セレモニー中だからか悪魔の姿もまばらだった。目に付いたバーに入ってみたが、俺以外の客は誰もいない。
「魔界で1番強い酒をください」
せっかくここまで来たんだ。天界にはない、魔界らしい暴力的な酒で全部忘れてやる。そう思ってカウンターの向こう側に控えている悪魔のマスターに告げた。マスターはしばらく考え込むような間を置いて、かしこまりましたと呟く。
そうして差し出されたのは、ロックグラスに入った深い琥珀色の酒だった。カラカラと氷の音を聞きながら、恐る恐るゴクリと1口飲む。――熱い。強いアルコールで喉が焼けるように感じる。でもただアルコールの味がするのではなく、何とも言えない豊かさと深さに包まれるような酒だった。
「天使の方がこれを飲むのは初めてかもしれませんね。魔界の蒸留所で作られたものなんですよ」
「美味しい……です」
マスターの言葉を受けて、ぽつりと感想が口から溢れる。もう1口酒を飲んだ。美味い。天界では飲んだことのない、深く、そして優しい酒だった。ただやけ酒をするために魔界に来たのに、なんでその酒がこんなに美味いんだ。別にこんなの求めてなかったのに。ただ酔っ払って、失恋の痛みを忘れられるだけで良かったのに。
そう思った時、自分の頬が涙で濡れていることに気付いた。止めようと思っても、次から次へと溢れてくる涙をどう止めればいいかわからない。視界が歪み、グラスの中の氷が二重になって見えた。
するとマスターが静かに温かいおしぼりと水のグラスを差し出す。何があったのか一切聞かず、ただ黙って静かにグラスを磨いているその姿が逆にありがたかった。
――あぁ、俺失恋してから初めて、ちゃんと泣けた。そう思いながら、美酒を口にしつつ涙を流れるままにしていた。
バーを出る頃には夜もすっかり更けていた。色とりどりのランプが灯る華やかな街はまさにイメージしていた魔界そのもので、セドリックもこんな景色の中で恋に落ちたのかと思うと、一度収まったはずの涙がまた溢れてくる。
天界に戻るためにとぼとぼと力なく歩いていると、何かに足を取られて躓いた。振り向くと、何やら大きなものが地面に横たわっている。夜の暗さの中で目を凝らすと、裏路地で悪魔の男が倒れていた。
「……おい」
こんなところで寝るな、酔っ払いか? 自分が酔っ払っていることを棚に上げて迷惑な悪魔の肩を手で揺する。
うつ伏せになっていた悪魔の身体がぐるんとひっくり返ると、その悪魔の顔は傷だらけだった。思わずぎょっとして、道の電灯に照らされた悪魔をよく観察する。
顔やTシャツから覗く首元には多数の痣があり、ところどころ出血もしていた。手を見ると、何かに縛り付けられていたかのような痣が手首に付いている。こいつ……生きてるか? 再度、何も反応がない悪魔の肩を揺すった。
「お前、大丈夫か。その怪我はどうしたんだ」
しかし眠っているのか意識を失っているのか、悪魔が目を開けることはなかった。しばらくその場で考え込んだが、自分にはどうすることもできない。魔界に知り合いもいないし、道端で偶然見掛けた名前も知らない悪魔を助ける義理もない。天使や悪魔は人間と違って死という概念はないから、どれだけボロボロになったところで何とかなる。そもそもセドリックの失恋から立ち直れていないのに、他の誰かの面倒を看れるわけもなかった。
「……ま、お前も何かあったんだよな。あとは自分でどうにかしろよ」
そう小声で呟くとその裏路地を後にする。俺には知ったこっちゃない。そもそも悪魔なんかみんなくたばっちまえばいい。無理やり陽気に口笛を吹きながら天界へと戻る道を歩む。
――痛そうだったな、あいつの怪我。大丈夫だろうか。誰かが気付いてくれるだろうか。
傷だらけの悪魔の姿が脳裏に浮かび、そんな考えを振り払うようにぶんぶんと頭を振る。だから、俺には知ったこっちゃない。悪魔なんて助けたところで何の得にもならないし。それに助けるったって魔界に知り合いはいないから、あの悪魔の男を担いで天界の自分の家に連れて行くしか方法はない。この酔っ払った状態の俺にそんなこと不可能だ。できるわけない。――いや、でも。
もう既に誰かが見つけて助けているかもしれない。様子を見るだけ。そう思いながら今来た道を引き返す。裏路地まで戻ってくると、傷だらけの悪魔は変わらずそこに倒れていた。
「……くそ、ふざけんなよ」
天使としての良心か、自分と同じく傷付いた者を他人事と思えないのか、この悪魔を放っておくことができない。大きくため息を吐くと、その力の抜け切った身体に腕を回した。――重い。体温の残る身体を担ぐ。どうやらこの悪魔は自分よりも身長が高いようだ。ちくしょう、なんでよりによって。自分よりも小柄だったら羽で飛んで運べたかもしれないが、この長身だと担いで歩くしかなさそうだ。
「後でたっぷり礼は言ってもらうからな」
誰も聞いてない言葉を吐き捨てると、悪魔を担いで1歩踏み出した。
途中休憩も挟んで、何とかして天界の自宅まで悪魔を連れてきた。セレモニーが終わって周囲はお祭り騒ぎで、悪魔を担いでいても酔い潰れた友人を運んでいるようにしか見えないらしい。結局誰の助けも借りられずに、重い悪魔の身体を担いで玄関に辿り着いた。
部屋の電気を付けて、そのまま悪魔をリビングのソファに寝かす。明るいところで見るとその傷はますます痛々しく思えた。自分の判断で家まで連れてきたのだから、ここで放置するのは性に合わない。仕舞っておいた救急箱を取り出し、ガーゼや消毒液を確認する。
服も汚れているから着替えを用意しないと、でもこいつが着れるサイズの服あるか? クローゼットをごそごそと漁り、ゆったりとしたシルエットのパジャマを見繕って悪魔の側に置く。シャワーも浴びるだろうからバスタオルと、あとは水と、ゼリーなら食えるかな――そうしてバタバタと家を駆け回っていると、悪魔のうめき声が聞こえてきた。
「おい、大丈夫か?」
顔を覗き込んで声を掛けると、ゆっくりと悪魔の瞼が開く。深い臙脂色の瞳が物悲しそうで、焦点を合わせるように俺の顔を見つめる。
「天使……?」
「お前魔界で倒れてたんだぞ、覚えてるか?」
こちらの声が届いているか届いていないのか、悪魔の指先が自分の頬に伸ばされた。
「……いっぱい泣いた跡。君も、傷付いているんだね」
そう一言告げると、電池が切れたように再び瞼が閉じる。俺が傷付いてる? こんなにも傷だらけでボロボロになってるのに、そんな自分よりも俺を気に掛けるなんて。
「なんだよ、この悪魔……」
リビングのソファの前で、誰にも届かない呟きがぽつりと溢れた。
「魔界で1番強い酒をください」
せっかくここまで来たんだ。天界にはない、魔界らしい暴力的な酒で全部忘れてやる。そう思ってカウンターの向こう側に控えている悪魔のマスターに告げた。マスターはしばらく考え込むような間を置いて、かしこまりましたと呟く。
そうして差し出されたのは、ロックグラスに入った深い琥珀色の酒だった。カラカラと氷の音を聞きながら、恐る恐るゴクリと1口飲む。――熱い。強いアルコールで喉が焼けるように感じる。でもただアルコールの味がするのではなく、何とも言えない豊かさと深さに包まれるような酒だった。
「天使の方がこれを飲むのは初めてかもしれませんね。魔界の蒸留所で作られたものなんですよ」
「美味しい……です」
マスターの言葉を受けて、ぽつりと感想が口から溢れる。もう1口酒を飲んだ。美味い。天界では飲んだことのない、深く、そして優しい酒だった。ただやけ酒をするために魔界に来たのに、なんでその酒がこんなに美味いんだ。別にこんなの求めてなかったのに。ただ酔っ払って、失恋の痛みを忘れられるだけで良かったのに。
そう思った時、自分の頬が涙で濡れていることに気付いた。止めようと思っても、次から次へと溢れてくる涙をどう止めればいいかわからない。視界が歪み、グラスの中の氷が二重になって見えた。
するとマスターが静かに温かいおしぼりと水のグラスを差し出す。何があったのか一切聞かず、ただ黙って静かにグラスを磨いているその姿が逆にありがたかった。
――あぁ、俺失恋してから初めて、ちゃんと泣けた。そう思いながら、美酒を口にしつつ涙を流れるままにしていた。
バーを出る頃には夜もすっかり更けていた。色とりどりのランプが灯る華やかな街はまさにイメージしていた魔界そのもので、セドリックもこんな景色の中で恋に落ちたのかと思うと、一度収まったはずの涙がまた溢れてくる。
天界に戻るためにとぼとぼと力なく歩いていると、何かに足を取られて躓いた。振り向くと、何やら大きなものが地面に横たわっている。夜の暗さの中で目を凝らすと、裏路地で悪魔の男が倒れていた。
「……おい」
こんなところで寝るな、酔っ払いか? 自分が酔っ払っていることを棚に上げて迷惑な悪魔の肩を手で揺する。
うつ伏せになっていた悪魔の身体がぐるんとひっくり返ると、その悪魔の顔は傷だらけだった。思わずぎょっとして、道の電灯に照らされた悪魔をよく観察する。
顔やTシャツから覗く首元には多数の痣があり、ところどころ出血もしていた。手を見ると、何かに縛り付けられていたかのような痣が手首に付いている。こいつ……生きてるか? 再度、何も反応がない悪魔の肩を揺すった。
「お前、大丈夫か。その怪我はどうしたんだ」
しかし眠っているのか意識を失っているのか、悪魔が目を開けることはなかった。しばらくその場で考え込んだが、自分にはどうすることもできない。魔界に知り合いもいないし、道端で偶然見掛けた名前も知らない悪魔を助ける義理もない。天使や悪魔は人間と違って死という概念はないから、どれだけボロボロになったところで何とかなる。そもそもセドリックの失恋から立ち直れていないのに、他の誰かの面倒を看れるわけもなかった。
「……ま、お前も何かあったんだよな。あとは自分でどうにかしろよ」
そう小声で呟くとその裏路地を後にする。俺には知ったこっちゃない。そもそも悪魔なんかみんなくたばっちまえばいい。無理やり陽気に口笛を吹きながら天界へと戻る道を歩む。
――痛そうだったな、あいつの怪我。大丈夫だろうか。誰かが気付いてくれるだろうか。
傷だらけの悪魔の姿が脳裏に浮かび、そんな考えを振り払うようにぶんぶんと頭を振る。だから、俺には知ったこっちゃない。悪魔なんて助けたところで何の得にもならないし。それに助けるったって魔界に知り合いはいないから、あの悪魔の男を担いで天界の自分の家に連れて行くしか方法はない。この酔っ払った状態の俺にそんなこと不可能だ。できるわけない。――いや、でも。
もう既に誰かが見つけて助けているかもしれない。様子を見るだけ。そう思いながら今来た道を引き返す。裏路地まで戻ってくると、傷だらけの悪魔は変わらずそこに倒れていた。
「……くそ、ふざけんなよ」
天使としての良心か、自分と同じく傷付いた者を他人事と思えないのか、この悪魔を放っておくことができない。大きくため息を吐くと、その力の抜け切った身体に腕を回した。――重い。体温の残る身体を担ぐ。どうやらこの悪魔は自分よりも身長が高いようだ。ちくしょう、なんでよりによって。自分よりも小柄だったら羽で飛んで運べたかもしれないが、この長身だと担いで歩くしかなさそうだ。
「後でたっぷり礼は言ってもらうからな」
誰も聞いてない言葉を吐き捨てると、悪魔を担いで1歩踏み出した。
途中休憩も挟んで、何とかして天界の自宅まで悪魔を連れてきた。セレモニーが終わって周囲はお祭り騒ぎで、悪魔を担いでいても酔い潰れた友人を運んでいるようにしか見えないらしい。結局誰の助けも借りられずに、重い悪魔の身体を担いで玄関に辿り着いた。
部屋の電気を付けて、そのまま悪魔をリビングのソファに寝かす。明るいところで見るとその傷はますます痛々しく思えた。自分の判断で家まで連れてきたのだから、ここで放置するのは性に合わない。仕舞っておいた救急箱を取り出し、ガーゼや消毒液を確認する。
服も汚れているから着替えを用意しないと、でもこいつが着れるサイズの服あるか? クローゼットをごそごそと漁り、ゆったりとしたシルエットのパジャマを見繕って悪魔の側に置く。シャワーも浴びるだろうからバスタオルと、あとは水と、ゼリーなら食えるかな――そうしてバタバタと家を駆け回っていると、悪魔のうめき声が聞こえてきた。
「おい、大丈夫か?」
顔を覗き込んで声を掛けると、ゆっくりと悪魔の瞼が開く。深い臙脂色の瞳が物悲しそうで、焦点を合わせるように俺の顔を見つめる。
「天使……?」
「お前魔界で倒れてたんだぞ、覚えてるか?」
こちらの声が届いているか届いていないのか、悪魔の指先が自分の頬に伸ばされた。
「……いっぱい泣いた跡。君も、傷付いているんだね」
そう一言告げると、電池が切れたように再び瞼が閉じる。俺が傷付いてる? こんなにも傷だらけでボロボロになってるのに、そんな自分よりも俺を気に掛けるなんて。
「なんだよ、この悪魔……」
リビングのソファの前で、誰にも届かない呟きがぽつりと溢れた。
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