悪魔祓いの跡取り息子なのに上級悪魔から甘やかされています

萌葱 千佳

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第9話

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 シャワーを浴びて髪を乾かしてリビングに戻ると、もう日付が変わっていた。ダイニングテーブルに座り、随分と遅い晩ご飯を2人で食べる。メニューは初めてアルの家で夕飯を食べた時と同じポトフだった。

「……俺さ、アルから殺されてもいいって言われた時、すげー悲しかった」
 腹の中から温まったからか、素直に言葉が口から零れる。
「俺はこれからもアルとずっと一緒に居たいのに、アルはそうじゃないんだって思うと悲しくて、逃げた」

 視線を落としていたアルがこちらの目をまっすぐに見る。
「悪魔と一緒に過ごす、というのがどういうことかわかりますか?」

 質問の意図がわからず少しの間が空くと、またアルが話し始めた。
「悪魔には年齢という概念がない、と前にお伝えしたでしょう。私の見た目はこのまま変わることがありません。普通の人間ならありえないことです」
「……まぁ、そうだよな」
「なので、姿が変わらないことを怪しまれないように、住む場所を移動して仕事を変え続けるんです。私はそうやって人間界で何百年と過ごしてきました」

 テーブルの上に置かれたアルの拳がぎゅっと固く握られる。
「だから、悪魔と一緒に暮らすというのはそういうことなんです。何度も街を変え、仕事を変え、名前も変えて……そんなことに鯨井くんの貴重な人生を振り回したくありません」
 またアルが目線を下に落とす。
「鯨井くんのことが大好きです。誰よりも、大切に想っています。愛しています。だからこそ、一緒に過ごすことはできないんです」

「なんで?」
 小さく震えているアルの手の甲にそっと自分の手を重ねる。
「アルがドイツに行こうって言ってくれた時、すごく嬉しかった。アルと一緒に世界中を見て回れたら夢みたいに楽しいんだろうなって。そういうことじゃないの?」

 手を取ると指を絡ませる。驚いたようにアルの瞳が自分を捉えた。
「だって、鯨井くんの家族や友人たちとも距離ができてしまいますよ」
「そりゃみんなも大事だけど、アルが隣に居てくれることが1番大事だから」
「転職だって、何度もしないといけないんですよ?」
「今時リモートワークでどうにでもなるって」
 アルの黒い羽が大きく動く。
「そもそも私、悪魔ですよ?」
「悪魔のアルが好きだよ」
 潤んだ赤い瞳をまっすぐに見つめる。

「逆に俺は人間だからアルの負担になっちゃうかな。どんどん老いていくし、いつかは死ぬ」
 ふるふるとアルが頭を横に振る。
「……最期の瞬間まで、隣に居させてください」
「じゃあ決まりだ」
 絡めた指にぎゅっと力を込めると、どちらからともなく笑い声が零れた。


「電気消しますね」
 部屋の明かりが豆電球だけになると、ベッドに入ってきたアルにぎゅっと身体を抱き締められる。
「……明日、会社休んでもいいでしょうか」
「いいね、ずる休みだなんて悪魔っぽいよ」
 こちらもアルの背中に腕を回した。
「鯨井くんが居ないと心にぽっかり穴が開いたみたいで、全然寝付けなかったんです。だから今日は久しぶりにゆっくり寝たくて」
 アルはスマホを取り出すと何やら操作をする。思えば自分もここ最近はずっと眠りが浅かった。やることが終わったのか、アルはスマホの画面をオフにして再び手のひらを俺の背中に置く。

「会社の人たちに体調不良を伝えるメールの予定送信をしてきました。これで誰も私たちを邪魔できません」
「用意周到だな」
「7時ぴったりに送るといかにも予約送信っぽく見えてしまうので、7時9分に設定しました」
 思わず笑うとアルの手がそっと俺の髪を撫でる。あぁ、ずっとほしかったアルのぬくもりだ――愛おしい感触を噛み締めるように瞼を閉じる。

「……アル、ごめん」
「何がですか?」
「俺の言葉が足りてなかった。大切にしてくれるアルに甘えて、なんとなくわかってくれるかなって、そればっかりで」
 遮るようにアルが頭を振る。
「それを言うなら私だって、鯨井くんの意見を訊かずに幸せの形を押し付けてました。お互い様です」

「なぁ、きっとこれからもたくさん喧嘩すると思うからさ、その度に飯食って、ちゃんと思ってること言い合って、んでこうやって一緒に寝よう」
「はい、そうしましょう」
 笑い合うとアルがこちらを覗き込んだ。

「……おやすみのキスをしても?」
 アルの親指がそっと俺の唇をなぞる。頬ではなく唇――これまでとは意味合いの違うキスだ、と理解した。心臓がどくんと跳ね上がったが、こくりと頷く。
「なぁ、これって目瞑ったほうがいい?」
「お好きなほうでどうぞ」
「んなのわかんねぇよ……キスしたことないし……」
 小さな声でもごもごと呟くと、大きく息を吐いたアルにぐいと身体を起こされる。ベッドの上で向かい合う体勢になると、アルの腕の中へと包み込まれた。

「……なんで、ため息吐いた?」
「違います、鯨井くんが愛おしすぎて苦しくて……もう……本当に大好きで……」
 力強く抱き締められると、どくんどくんとアルの心臓の鼓動が伝わってくる。視線を合わせるようにアルの手のひらがそっと俺の頬に添えられた。
「では、最初は目を閉じてみるのはいかがでしょう?」
「……そう言われると開けたくなる」
「それでもいいですよ」

 まっすぐにアルの瞳を見つめていたが、段々と顔が近付いてくるのに緊張してつい瞼を閉じる。小さな笑い声が聞こえたと思ったら、唇に柔らかい感触が訪れた。そっと目を開けると、穏やかな瞳がこちらをじっと見つめている。

「おい! なんでそんなに見てんだ」
「だって鯨井くんのファーストキスをいただける瞬間だなんて、どれだけ時間が経っても思い出せるようにしっかりと目に焼き付けておきたいじゃないですか」
 火照っていく頬の熱さはアルの手のひらにも伝わっているだろう。恥ずかしくてたまらないが、愛おしそうに自分を見つめる眼差しから目を逸らすことができない。

「これまで生きてきた中で、今が1番幸せです」
「勝手にここを頂点にするな。もっともっと、俺たちは幸せになるんだから」
「……そうでしたね。頼りになる恋人で助かります」
 恋人、という言葉の響きをくすぐったく思いながらも胸の奥がじんわりと温かくなっていく。

「鯨井くん、大好きですよ」
「俺も、アルが大好き」
 視線が合わさると、どちらからともなく再び唇が重なる。カーテンの隙間から差し込む月明りだけが俺たちのことを見守っていた。



 大学を卒業すると、俺はリモートワークができる仕事を選んだ。次はどこに行こうかと話し合い、数年に一度別の街へと移る。段々と歳を取る俺の隣で、アルは出会った時のまま美しかった。何度も喧嘩をし、その何倍もの数で愛を伝え合う。そんな愛おしい日々もついに終わりを迎えた。

 すっかりやせ細った自分の手を握り締めながら、アルの瞳から大粒の涙が零れる。あぁ、また泣かせちゃったな。ごめん、アル、もう少しだけ待ってて――そう願うと同時に光の中へと包まれた。


 
 日本で見た桜が忘れられず、またこの街へと戻ってきた。日本の地を踏むのはいつぶりだろうか。すっかり変わってしまった街の中で、桜並木だけが変わらず空を春色に彩っている。

 鯨井くんに初めて会ったのはもう少し先の新緑の季節でしたっけ――そんなことを思いながら歩いていると、何かが脚にぶつかったような感触がした。振り返ると小さな男の子が自分の脚にしがみついている。迷子だろうか、親が探しているかもしれないと辺りを見回すと、男の子が口を開いた。

「くろいはね、きれい!」
「え?」

 この子は悪魔の羽が見えているのだろうか。視線を合わせようとしゃがむと、どこか懐かしいような笑顔が自分を迎える。

「あいたかった! ねぇ、いっしょにごはん、たべよ!」

 いつの日か、鯨井くんからもらった言葉が脳裏によぎる。人間の魂はまた生まれ変わるんだ――目頭がぐっと熱くなるのを堪えると、桜吹雪がまるで自分を歓迎するかのように吹き抜けた。
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