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個人宗教の崩壊と神への愛
しおりを挟む美魅が『人生やり直しボタン』を手に入れたのは、クリスチャンだった祖母の形見分けの時だ。
祖母はボタンを一度も使わず仕舞いだったらしく、ボタンはガラスの卵の中で輝いている。
いつか見た宣教師の手垢にまみれたボタンを思い出す。
あの人は
あらゆる人生を
やり直した末に
宣教師になったのね
ボタンを手に入れてからの美魅は、神について考えるようになった。クリスチャンとして洗礼を受け、神の道に入り、宣教師として宣べ伝える旅に出た。
ボタンがあるんだもの
いつだってやり直せる
そう思うと、怖いものはなかった。どんな誘惑にも堪えることができた。いつか人生をやり直したいと思ったら、サタンの提供する多くの魅力的な誘惑もそのやり直しの人生で味わうことができる。
しかしそれは神への信仰ではなく『人生やり直しボタン』に対する信仰であることに、美魅は気づいていなかった。
多くの国で多くの弟子を作り、多くの兄弟姉妹と魂の家族関係を持ち、老後を迎えた。
ある日『人生やり直しボタン』をじっと見つめた。
こんなもの
本当は必要なかった
私の人生は
多くの祝福を受けている
美魅は心の底から思ったが、様々な誘惑と幾多の困難に立ち向かえたのはボタンがあったからだ。
その事に初めて気づいた美魅は、神の元にひざまづく。そして、ボタンを押した。
美魅は祖母の形見分けで『人生やり直しボタン』を手に入れた。家族が要らないと言ったからだ。
美魅は考えあぐねて、道端のホームレスにボタンをあげた。
今度の人生でも
多くの誘惑と困難に
直面するだろう
しかし
ボタンを押せば
いつでもやり直せるという
不純な考えを
拠り所にするのではなく
常に神を頼り
純粋な信仰によって
この世の霊と戦うのだ
やり直しの利かない
たった一度の人生だからこそ
神に捧げる値打ちがある
確かにそれからの美魅の人生には、多くの誘惑と困難が待ち構えていた。美魅はあらゆる点で躓き、失敗を重ねたが、その度に泣きながら神に罪の許しを乞う。
私は邪悪な者です
弱く情けない人間です
神にお仕えする
資格などありません
そう落ち込むことも二度三度ではない。そしてとうとう美魅は誤って人を殺してしまった。
「ああ、何てことを……」
美魅は『人生やり直しボタン』を手放したことを悔やんだが、それはこれまでにも何度も味わった後悔であり、また、それまでは神への信仰で打ち消すことができる程度の後悔だったに過ぎない。
しかし、今回は違った。
美魅は、生きる権利のある命を、その人の命を、断ってしまったのだ。
美魅は、必死の形相で、あの道端にいたホームレスを探した。当たり前のことだがホームレスは見つからず、美魅の犯した殺人も明るみに出た。
女宣教師の殺人。
美魅は、自分の犯した罪の大きさに恐れおののき、牢獄の中でも神に伏して懺悔し続けた。
あの時に
ボタンがあったなら
迷わずに押していただろう
それではいけないのだ
自分の罪を
償ってからでなくては
ボタンを押す資格はない
そのことに気づいたとき、美魅の手元にボタンが戻ってきた。
美魅は迷った。
私が殺めた人を
復活させてあげたい
ボタンを押せば良いのだ
けれどもそれを
してしまったのなら
自分の犯した
人殺しの汚名も消える
事件そのものが
なかったことになる
なんて好都合なことか
罪を犯した過去を背負って
神のみ前にひざまづき
生きなければならない
私なのに……
美魅はボタンを持って遺族を訪ねた。
「このボタンを押して、あの方を生き返らせていただきたいのです。でもそれは、できれば私がこの一生を終えてからにしていただけませんか」
虫の良い話だが、懇願してみるだけのことはあった。
遺族の一人はすぐにでも甦らせたいと言ったが、もう一人は、美魅に一生をかけて償わせたいと言った。
美魅は再びボタンを手放して、神に祈った。
どうか、この罪深い奴隷を
しもべのひとりとして
神にお仕えさせてください
残りの人生をかけて
神の喜びとなれるように
働きたいのです
この罪深い人間に
チャンスをください
美魅は服役後、家族の反対を押し切って戦況下にある国に潜入し、非公式に宣教を開始した。
弾に当たって死ぬことがあれば、その時は遺族に連絡が行く。美魅が殺した相手は甦って人生をやり直すのだ。
美魅はもう、他の人生をやり直そうとは思わない。サタンの提供する世俗の楽しみも何の未練もない。
できる仕事は限られていたから、食べるにも事欠いたが、神を求める多くの人々に出会えたのは祝福だと思う。
「僕は悪い人間だから、神のみ前に立つことはできない」
「あなただけではありません。私も重大な罪を犯し、服役していた経験があります。知人を死なせてしまったのです」
苦い告白に身体が震える。生きている間、背負い続ける辛い記憶を『人生やり直しボタン』でリセットすることなく、神に仕え続ける原動力のひとつにしたい。
人が神に仕える理由は沢山ある。
美魅は思わず涙声になった。
「だから、私は神に服役しているのです。心の底から自分の罪を後悔して、許しを乞うているのです。私は神を愛する以外に、どうやって生きていけばいいのでしょう」
列王第一8:46
罪を犯さない人はひとりもいない
ぺテロ第一3:12
義に敵った者に神は目を向け
その耳は彼らの祈願を聞く
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