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第二章 カリギュラ暗殺

(74)カリギュラを

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ジグヴァンゼラは銀灰色の頭を振ってワインを遠ざけた。グラスがなければ飲めない。

戸棚のグラスにはきっと長年の埃がついているに違いなかった。もう何年も使っていない別荘だ。


椅子を立って寝室へむかう。廊下で悪霊と擦れ違ったが、ジグヴァンゼラには見えなかった。

黒いマントの悪霊は金髪ルネの形をしており、通り過ぎる白リネンのジグヴァンゼラにボウ・アンド・スクレイプの慇懃無礼なお辞儀をした。



アントワーヌとダレンはまだ眠っている。

寝室の階段を登ってウォークインクローゼットに入った。ヘンゼルと隠れんぼをする為に迷路になっている。

白い布カバーの衣装掛けから着るものを引っ張り出そうとして、それがリトワールの衣装だと気づいた。

胸に抱いてひざまづく。


「リト……リトワール……会いたい」


涙が出そうになった。
白い粉薬のせいか、感情の起伏が激しく、コントロールが利かない。

ジグヴァンゼラはリトワールの衣装を持ってベッドに向かった。


「リト……お前はリトワールではなかったな。何と言ったか、お前の名前は……さあ、起きろ。起きて、これを着てみろ」


アントワーヌの腕を引っ張る。
アントワーヌは深い眠りに落ちて、目覚める様子はない。顔に鞭の痕が残って痛々しい。


悪かったな……


ジグヴァンゼラは、自分の着てきたものを履いて、リトワールの衣装を持って館に戻るつもりになった。ドレスシャツに腕を通す。


「旦那様……」


ダレンが呼び掛ける。

ダレンはベッドから滑り落ちて這いずりながらジグヴァンゼラの足元で土下座の格好になった。


「旦那様、私は悪い執事です。どうか、鞭打ってください。お気の済むようになさってください。旦那様、ダレンを縄で縛って鞭打ってください」


ジグヴァンゼラの脚にすがり付くダレンの顔に、乱れた髪が掛かる。頬が赤い。


「お前はそれが望みなのか」

「旦那様、ご領主様……ダレンを可愛いがって……」


ジグヴァンゼラは怯んだ。片方の足に抱き付かれて後退りできない。ダレンの力は思いがけず強く、ジグヴァンゼラは倒れた。

ダレンは足元からジグヴァンゼラの身体に這い上がってきた。

まだドレスシャツの前ははだけたままだ。年を取ったとは言うもののジグヴァンゼラは白い粉薬のせいか、血色の良い白い肌をしている。その腹にダレンが噛みつくように接吻の雨を降らす。腹筋の形をなぞり、乳首に辿り着く。


「ダレンはご領主様のものです」

「待て、私の望まぬことをするな」

「何故です。何故、アントワーヌなのですか」


ダレンはジグヴァンゼラの乳首に歯を当てた。


「ああ、私は悪い執事です」



別荘の前庭で斜めに停車したままで、執事長シアノは思い悩んでいた。悪霊の言葉が浮かぶ。


『ジグヴァンゼラは私からリトワールを奪った。そして、自分からリトワールを奪おうとした御者をこのような姿にしたエゴイストだ。そんな主をお前は何とも思わないのか。ジグヴァンゼラはカリギュラと呼ばれておるのだが……』


何を言いたかったのか。

ルネはご領主様に
リトワール様を奪われても
ご領主様を地下室に閉じ込めて
殺すような真似はしなかったと……

ご領主様は
ルネからリトワール様を
奪っておきながら
ご自分が他の者に
リトワール様を奪われそうになったら
その者を殺してしまったと……

ルネよりもご領主様の方が
悪者ではないかと……


『ジグヴァンゼラはカリギュラと呼ばれているのだが……』


ああ、カリギュラ……
魔王カリギュラ……
性的倒錯と残忍さの故に
魔王と呼ばれた皇帝カリギュラ……

私のお仕えしている旦那様は
理性的でお優しい……


アントワーヌの為に策を弄して
金貸しを自殺に追い込み
そのアントワーヌと……

地下室のミイラ……

私は何てことを……

ワインをテーブルに
置いてきてしまった

悪霊に勧められるままに
ワインを……

旦那様に
私がミイラを見てしまったことが悟られてしまう。






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