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第1章 狂人の恋
(8)十八才のゴッドファーザー
しおりを挟むカナンデラは、魔城ガラシュリッヒ・シュロスの十七階の、壁にかかった幾つもの電気ランプに煌々と照らされた長い廊下を、若い男に案内されて歩く。エレベーター前の突き当たりの壁にも一階と同じく小窓があり、機関銃の銃口が見える。
「不審者はあれで撃ち殺されるってか。ここを歩けるってなぁ、セレブな気分だぜ」
カナンデラは快感に奮えた。一歩踏み外せば下は地獄のタイトロープ気分。警護の者に奥に通された。重厚なドアが開く。
「これはこれは探偵さん。ビアヘニュビアヘニュ今夜はまた何のご用で」
ザカリエンタスというこの国の古い宮廷用語で挨拶された。大きなマホガニーのデスクに不似合いの、若い男が笑う。金髪碧眼の整った小顔に薄いソバカスが儚な気に散る女顔。大きな目を伏せ目がちに、何処となく倦怠感を纏いながら虚勢を張っての笑いだ。
「こんばんは、シャンタン・ガラシュリッヒ会長。この町を取り仕切る君のことだから、当然、今日の殺人事件のことは知っているだろうね」
会長と呼ばれた若者が人差し指をぴんと伸ばす。黒髪の側近が動いた。棚を開いてワインのボトルを出す。
「おいおい、二十歳に満たない君がワインかい。二ヶ月前にお父上の跡を継いだからって何もそこまで真似する必要は」
出されたグラスは一つ。
「毒など入っていませんよ。どうぞ」
シャンタンは綺麗に撫で付けた金髪を片手で触り、碧眼の片方を細める。
勧められたグラスを鼻に持って行く。
「いい香りだ。利口だなぁ、シャンタン会長。おお、アポステルホーフェじゃないか。これは輸入の難しい希少な品。何と異世界オランダ物のワイン。どうやって手に入れるんだぁ」
口の中で転がす。
「黙って飲めよ探偵さん。まあ、お察しの通りですけどね。殺人事件のあったあの花屋と関係があったのは確かですから。しかし、父の代で終わっていますよ。惜しかったですね。私は真っ当おぉな起業家です。この通り商売繁盛していますからね。今やうちの売れっ子たちは大スターだ。パリのムーランルージュに匹敵するスターを抱えて笑いが止まりませんよ。何故今更麻薬などに関わらなければならないのか。ぁ、ベラドンナでしたか、毒薬などとんでもない」
「いい気になるなよ、シャンタン・ガラシュリッヒ。過去に麻薬関係があったことは認めるんだな、ゴッド・ファザー」
シャンタンの顔色が変わる。
「だが、今はその用ではない。お宅のダンサーに用がある。イサドラ・ダンカンを名乗る若いダンサーがいるだろう」
「か、彼女に何の用だ。ふん、わかった。おい、イサドラを呼べ」
シャンタンは訝しげな眼でカナンデラを睨む。側近がドアから姿を消した後、カナンデラは目にも止まらぬ早さでシャンタンのデスクに片方の尻を乗せ、そのまま斜めになり、シャンタンに覆い被さって彼の顎を長い指先でくいっと上げた。唇が合わさる。
「きゃっ……なっ、なっ……お前っ、何をするっ」
手の甲で口を拭うシャンタンに、カナンデラは満足げに笑う。
「ははは。イキがっていても可愛いもんだ。もう一回どうだ。今度は」
「や、やめて、やめろぉぉぉぉぉ」
シャンタンはひじ掛け椅子に張り付いて固まった。
「楽しいなぁ。もしかしてお前、ワインにアヘンなど混ぜてはいないだろうなぁ。何でこんなに楽しいのかなぁ。お前ってばクララ・ボウに似てて可愛い。あ、クララ・ボウ知ってる。異世界のさ、ほら、ハリウッド映画の、イットガール。お前が望むなら俺の子供を孕ませてやるんだけどなぁ」
「イットガールだとお、俺様は男だ。ゴッドファーザーだぞ。は、孕ませるなどと、い、命が惜しくないのか」
「ん、それは照れかぁ。可愛いなぁ十八才って。イットガール、もう一回チューいくか」
クララ・ボウは無声映画時代のスーパースターだ。コケテッシュな容貌とぽっちゃりした体躯のコミカルでセクシーな女優。1927年の映画『IT』でバカ売れしてイットガールとして一世を風靡する。
『IT』はこの世界にも上手く宣伝されて、映画鑑賞のために異世界行きのオリエント急行乗車券が売れに売れ、とうとう丸々二年先まで売り切れた。
当時は映画フイルムが各映画館を巡り、場末にたどり着くまで数年を要した。
カナンデラはシャンタンの顎を上に向ける。シャンタンは恥じと怒りで真っ赤になった顔を背けて吐き捨てた。
「俺は男だっ。触るとぶっぱなすぞ」
「まあまあ、そんなに照れるなって。ははは。お前、めっちゃ俺様のタイプなんだがなぁ」
シャンタンの背けた顔を自分に向かせて、頬を片手で挟む。唇が鱈子になった。その顔を左右に振る。
「可愛いなぁ。ゾクゾクするぜ。初めて見た時からな。あれ、いつだっけ、初めてって」
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