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第4章 一緒に世界を変えよう
(20)イサドラの部屋で
しおりを挟む「この毛皮のクッションカバー、彼女の部屋に持って行きますね」
腹心の部下とも言える家政婦は、まだ十八才のみずみずしい感性で、奥方の感情に過剰に同調して先回りする。エンパスならではのただならぬ感情移入のせいで、空回りすることも多い。
「ええ、お願いね、エイマ。あなたは本当に気が利くわ」
縫い終えたばかりの毛皮のクッションカバーを抱えてお辞儀をすると、エイマは部屋を出てため息を吐く。図らずもそれは室内の奥方と同時だった。
エイマの気分は奥方と同じように暗雲が垂れ籠めて、見通しが利かない。長い廊下を行くと左手の小さなホールに出た。
車椅子用に専用ホールがある特別な部屋には、数年前まで年寄りが暮らしていた。その部屋を若い女性好みにリフォームして、着るものや履き物を買い揃え、食事も特別に用意する。
まるで女王様みたいだわ
イサドラ・ナリス
希代の殺人鬼だと
新聞が書き立てていたとか
私は文盲だから
本当の処はわからない
でも、奥様がお悩みになって
いらっしゃる気持ちは
私にも伝わる
とても苦悩していらっしゃるわ
どうにかして
イサドラ・ナリスを
追い出すことができれば
良いのだけれど
奥様は私だけを信頼して
イサドラ・ナリスのことを
他の誰にも知られないようにと
心を砕いていらっしゃる
もしも、イサドラ・ナリスが
この世からいなくなっても……
誰にも……
エイマは意を決したように顔を上げてノックした
「エイマです」
「どうぞ」
静かにドアを開けると、虎の頭付きの毛皮にイサドラが大の字になっていた。いつもはその虎の頭にすらりと伸びた足を乗せて、絹のストッキングを履かせろとか脱がせろとか言いながら、虎を踏みつけにしているイサドラだが、エイマは奥様の感情に憑依されてでもいるように、イサドラを好きになれない。
「イサドラ様、どうかなさいましたか」
ふかふかの絨毯に立つ。屋敷の何処にもこんなにふかふかの絨毯は敷かれていない。
「エイマ、あなた、ジョセフィン・ベーカーって知っているかしら」
「はい、アメリカ人のチョコレート色のダンサーですね」
イサドラはその答えが気に入ったらしく、身体をエイマに向けて横臥した。
「ねぇ、奥様に伝えて。私、暫くフランスに行きたいわ。異世界のフランスよ。ジョセフィン・ベーカーを観たいの。あなたを連れて行くわ」
もう決まったことのように言い放つ。
「畏まりました。このクッションカ
バーをセットしたら直ぐに、奥様に伝えて参ります」
ソファーの上には豪華な刺繍のクッションが幾つも並んでいる。それをイサドラは嫌って、すべて毛皮にしろと我が儘を言った。その我が儘は簡単に通り、奥方とエイマが二人で奥方の毛皮を解体して縫い直したのだった。
ベッドのミンクは特注品だ。一体どれくらい多くの動物の命を犠牲にしたのかと、エイマは暗くなる。
「それとね、もうひとり、連れて行きたいの」
「どなたですか……」
「そうね、きっとあなたも知っている人よ。記念になるわよ」
イサドラの脳裏にサニーの顔が浮かぶ。
ロウナー社長の
バッグ一杯の金は没収されたけれど
世間は案外悪くはない
神様が見捨てた代わりに
世間が面倒みてくれるもの
そうよ
サニーに募金が集まって
店を開くだなんて最高だわ
何処で私たちの人生の転てつ機が
切り替わったのかわからないけど
ラッキーだわ
サニーがウタマロに戻っているかと
偵察に人を遣らせたり
あのデルタン川沿いで惨めな立ちんぼを
しているのではないかと
探してもらったりしたのよ
私の家族、サニー
あなたは、あなた自身もどん底だったのに
私の苦しい時に助けてくれた
たった一人の私の家族よ
待ってて、必ず会いに行くわ
私の人生が私に優しくし始めたのよ
あなたにも分けてあげる
ああ、楽しみだわ……
世間は案外悪くはない
毛皮の敷物を掛けたソファーに、読み捨てられた新聞が開いたままになっている。その一面に、オゥランドゥーラ橋の上の銃撃戦の記事があり、二面に大きくジョセフィン・ベーカーのバナナダンスが異世界フランスで大当たりして連日賑わっていること、三面にはイサドラを匿った不幸な生い立ちのサニーが、世間の募金によって居酒屋を開店することが書かれている。
毛皮の上で鼻歌交じりのイサドラに微かな殺意を抱いて、エイマはクッションに毛皮のカバーを黙々と被せた。
「ねぇねぇ、カナンデラ。遅刻の理由はいいからさ、その小箱を早く開けてみようよ、ね」
「ラナンタータ、カナンデラは家に持ち帰ってからこっそり楽しみたいんだよ」
「いやいや、いいさ。開けてみよう」
「まさか、爆弾じゃないよね」
「何を言うんだ、ラナンタータ。シャンタンが俺様を爆殺するわけがないだろ」
「どうかな。しつこくして飽きられたんじゃないの。最近の若い女は束縛されるの嫌うもんね」
「会長は男だぞ」
「男じゃないよ。まだ少年だよ。この犯罪者」
リボンをほどき、カサカサ音をたてて包装紙を外し小箱を開けた。銃弾が25発、弾頭を上に詰められている。取り出してみた。スミス&ウエッソンに充填する22LR彈が金色に鈍く光る。
「え、カナン、これはどういう意味……」
「さあ、身を守れという意味かな。実際に襲撃されたじゃないか」
カナンデラは縛り上げた男たちのひとりの猿ぐつわを外した。
「お前ら、セラ・カポネの手下だな」
窓ガラスが割れた。天井に弾丸がめり込む。
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