上 下
164 / 165
第8章 泣き虫な王子様 

(18)こっちを見ろ

しおりを挟む

「明日は飛行船に戻らなきやならないのに、こんな大事件を解決できると思う」

ラルポアは身を捩る男を睨み付けて答えた。

「解決しなくても、戻らなきゃ。ラナンタータはアントローサ警部を心配させたい訳じゃないんだろう」

「うん。私は国に帰る。お父さんのような警察官はドイツにもいるよね。あ、ゲルトルデに電話できるかな。こいつらのことを知らせたら何とかしてくれるんじゃないかな」

ラルポアは振り返ってラナンタータの頬に手をやった。ラナンタータが怯む。


「どうしたの、ラナンタータ。どうして……」


ラナンタータにキスしてからだ。

ラナンタータの口のなかでラナンタータの舌先が奥に引っ込んで口内に貼り付き、胸を押された。思うようにキスできなかった。

あのときからおかしい。嫌われたのはわかっている。わかっているが何故なのか理由を知りたい。嫌いになったと言いながら背中に抱きついたことも解せない。一体どうしたというのだ。ラナンタータは我が儘でも、理路整然としているはずだ。こんなにあやふやな掴み所のないラナンタータは初めてだ。


「ラルポア、今はこいつらのことを先に」

「ラナンタータ、ジェレメールの背後には大きな禍々しい組織が幾つも絡んでいる。僕たちの出番じゃないよ」


ラナンタータは嘆息した。


「確かに。まさかポーランドや日本が英米の向こうを張ってジェレメールを推しているとは……」

「問題はエレベーター殺人事件だ。あれも、カナンデラが解決するだろうけど、ジェレメールの記憶が戻れば、ジェレメール自身に解決できるのかもしれない」

「遅いね、カナンデラは」

「ラナンタータ、さっきのことだけど……」


ラナンタータは唇を噛み締めた。


どうしてキスを拒んだのか
舌を絡ませるのが
気持ち悪かったってば
あんなのが大人のキスなら
しなくても良い
あんたは他の女の人と
あんなことしてたんだ
私は嫌だ


「人の秘密を軽々しく口に出すのはいただけないよ」

「あ……カナンデラとシャンタンのこと……」


あれともこれともなんてサイテーだ
と叫んだけれど
ローランの前で言ってしまったことは
注意されても仕方ない
ははは
キスのことかと思った


ノックがあってドアが開く。カナンデラとローランが妙に赤らんだ表情でジェレメールを連れて入ってきた。


「どうぞ、散らかっているけど」 


ラナンタータにしては珍しく常識的なことを言う。ローランはふっと笑った。


「僕の別荘だ」

「だったね。こんなになっちゃったよ」


乱闘で乱れた室内と、賊が侵入する際に割った硝子の散乱を見て、ローランは呟いた。


「見張りは役に立たなかったンだな」


ローランはタワンセブ組の総長令息の立場で、海外で遊興する際にも護衛が付く。この別荘周辺にも時間ごとに動く数名の見回りを配置していたはずだ。


「硝子は明日でなければ直せないから、ラルポアさんは空いている部屋に移動してくれたら……」


カナンデラが割って入った。 


「ジェレメールの部屋を使え。互いに守り合える」


ローランはカナンデラをきっと睨んだが、黙り込んだ。


「ジェレメール、見覚えのある顔はいるか」


ジェレメールは首を横に振った。ローランの目が輝く。


「あ、でも……」

「でも、なんだ」

「あの、あそこにいる人はよく見えないから」


おかしな縛られ方をした男の顔はそっぽを向いて、よく見えない。


「お前、こっちを見ろ」


黒ずくめの顔がゆっくり動く。



しおりを挟む

処理中です...