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早見家の絆

第二話/悪魔と人間

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そこには蓮がパーティーを追放されるきっかけとなった、亜人属の悪魔「アリス」が立っていた。 背の丈は百二十センチ代でブロンドヘア、フードの影で薄暗く、怪談じみた雰囲気を出しているがパーツが綺麗で、どことなく可愛らしい少女の顔。 彼女を悪魔たらしめているのは、生命力(オーラ)から生成されている発光性の獣耳、助けた時には無かったことを見るに、あの時は損傷しており、蓮の治療によって再生したと考えるのが妥当だろう。
 到底、この刃物で全身をなぞられるような怖気を覚える生命力が、この出来のいい人形のような、可愛らしい少女から放たれているとは、信じることはできなかった。

「あぁ、あなたは以前の」

アリスは目を丸くすると、黒い外套のフードを脱いで蓮の目を見て、まるで警戒心のない声音でそう言った。 自分の頭部に照準されたXD拳銃には、全く意識が向かっていない様子。

撃たないという確信があるのか……? という思考が蓮の頭に浮かんだが、すぐにそれを否定しうる確信を覚えた。

この少女は、銃撃を受けることを、なんら恐れてなどいない。

銃撃を受けるイコール致命傷という常識が存在していないのだという推論を、蓮はアリスから放たれる生命力を根拠に結論付けた。

アビスで最も生命力の高い悪魔、深淵(アビス)の王権、"ダンジョンマスター"と呼ばれる悪魔との遭遇は、頭の隅にこそ入れていたがその先、つまり交戦は考えていなかった。 漠然とだが、希望のない世の中だ、四人揃って死んでしまえばいいと思っていた。

しかし、ダンジョンマスターであろうアリスを眼前にした蓮の頭には「死にたくない」という思考がパンクするくらいに、流れ込んできていた。

XD拳銃を構える両腕は震え、照準が定まらない。 もっとも、こんな攻撃は攻撃はおろか、牽制の意味すら成さないのだろうが。

「なにか、勘違いをしているようですが」

アリスは口を開くと両手を頭部に当てて、一歩を踏み出した。

「私にあなたを殺す理由はありません」

「何故そう言い切れる」と、言いたかったが言葉が喉元から先に出てこない。

「あなたは命の恩人です。 ずっと、またいつかお会いしてお礼がしたいと思っていました」

そう言うとアリスは安寧秩序の象徴のような薄い笑みを浮かべたまま、両腕を広げて、全身から黒い瘴気を解き放った。 魔力攻撃の燃料となる生命力である。 

生命力は、攻撃の他には治療、身体能力の底上げに役立っている。 生命力を解除するということは、防御力をゼロにすること……つまり蓮達を信用しているということだ。

生命力が解除されたことで、目の前に立つダンジョンマスターはただの少女となった。 充分に殺すことができる。

だが、蓮はXD拳銃をホルスターに収めた。

生命力の充填には、銃を構え直して狙撃しても余る程度の時間が必要である。 アリスの反撃を予想しなかったのは、そのためだ。

アリスは視線を泳がせる蓮を見つめると、んふふともえへへとも付かない笑い声を漏らした。

「……ったく、お人好しがすぎるぜ。 お前は」

蓮がアリスを仕留めなかったのは、自分をここまで信頼してくれている少女を殺せないという最低限の倫理観もあってのことだが、最たる理由は自分の家族も同然の悪魔達と彼女を重ねてしまったことだろう。
生命力を解いた彼女は、どこまでも美して儚い、ただの女の子なのだった。



蓮達はアリスにダンジョンの秘奥に招かれていた。 そこには金塊や宝石、人目見てA+~Sランク(闘級値という、その武具の持つ、性能の高さによって定められた基準)と分かるレアな武具が石造りの大きな部屋一面に徹頭徹尾広がり、賑わいを見せている。

「これらは全て、誰の所有物ではありませんから、どうぞ、ご自由にお取りになってください」

言って、アリスは蓮達の後ろに着いてくる。 なんだか、こうしていると彼女は普通の幼い女の子となんら変わらないなと、蓮は思う。

誰のものでもないとは言え、全て貰って行くのはなんとなく気が引けたし、そもそも物理的に持ち帰るのが不可能なので、売れば当面は生活に困らないだけの金塊と、戦闘タイプの悪魔ともいい勝負ができるであろう、深紅の持ち手に黄金色の鍔、刃渡り七十センチほどの黒艶の刀身をした、それでいて人工物でない不思議な日本刀を鞘とセットにしてリュックサックに詰める。 買い物袋から長ネギが飛びているような、少々間の抜けた絵面となった。

最後の財宝を詰めようとしたところで四つのリュックサックはパンパンになり、蓮は仕方なく、ここでリュックサックの食料を食べることを提案する。 そうすると、三人から歓声があがった。

「お礼と言っちゃなんだが、あんたもどうだ? 人間の食事があんたの舌に合うかは分からんが」

「はい! 是非いただきます!」

言って、アリスは赤いパッケージの焼き鳥缶に手を伸ばした。 顔には満面の笑みが浮かべられている。

一分ほど缶と格闘、開けられないでいるので蓮が痺れを切らして彼女の手から缶を取り、容易に開けて、フォークと一緒に渡してやった。

フォークでタレに浸かった小さめの肉を刺して、余分なタレを落とすとゆっくりと口に運んで、咀嚼した。

感想を聞こうとするや否や「美味しい……」と声が漏れる。 どうやらお気に召したようだ。

リタ、エナ、アサヒの三人も乾パンや干し芋といった、甘味の強いものを好んで食べている。 悪魔は人間の食物を食べても意味がないとされているので、蓮に全て回して、彼女らに血を与えるのが合理的なのだろうが、彼は合理性よりも彼女らの生活の充実度を優先していた。

食卓の人間が四人から五人に増えたことで、食料が消えるのも早かった。 それは同時に量の不足を意味しているが、いつもより多い人数での食事をしたという満足感で、食料の不足をカバーしてもお釣りが来る。 五人全員満足だった。

秘奥に入ってからどれくらい時間が経過しただろうか、アサヒが血液を求めて蓮に体を預けてきたので、左手首を薄く切って、彼女の口元に差し出してやる。

一分ほど血を吸われ続けて、ようやく口を離される。
うちの最年少のアサヒは食が細かったが、最近は並み以上に血を飲むようになってきて、蓮は嬉しかった。

「ごちそうさまでした」

蓮の目の前に座ってお辞儀をする。 これは蓮が教えた礼儀作法の一つだ。 悪魔は基本的に人間と比べて知能が低いとされているが、ちゃんと教えればこれくらいは出来るようになる。

リタとエナに血が必要か問うと、二人ともまだ必要ないと答える。 四人には、ここに居座る理由が無くなった。

「じゃあ、帰るよ」

蓮がアリスにそう言うと、彼女は人差し指を咥えて、実に寂しそうな顔を浮かべている。

「なんだ? まだなんかあんのか?」

蓮は食べ物や血でも強請られるかと思い、軽い笑みを浮かべて問いかける、と━━━━

「迷惑は承知の上なのですが。 私もあなたのお仲間にしてほしいんです! さっきの時間は、今までで一番、充実した時間でした! また、あんな時間を過ごしたいんです!」

予想の遥か埒外からの事態に蓮は当惑する。

と、アリスは再び生命力を充填━━━━指先から電撃を発して、空中に巨大な電撃製の西洋剣を形作り、天井に投擲。 壁は突き抜け、天蓋が一望できるようになる。

「私はこの通り、電撃を操ることができます。 手前味噌になりますが、戦うことだってそこそこできます。 それと家に住まわせていただけるだけでいいんです!迷惑はかけないつもりです!」

確かに彼女の戦闘スキルは三人の悪魔の誰よりも、いや規格外の能力だ。 彼女がいれば、単体でアビスを攻略、それで生計を立てることも容易だった。

「これはお前のことを思って言うんだが、やっぱり悪魔が人間社会に出て、いいことはあまりない。 アサヒだって、昔は人間に売られていたんだぞ」

しかし、蓮も引かない。 人間に傷付けられていたリタやアサヒのような前例を見ていると、とても悪魔を人間社会に出そうとは思えないのだった。

声を荒らげたつもりはないが、アリスはその言葉を聞き終えると澎湃と涙を溢れさせ、嗚咽を漏らしはじめた。

「私……ここに一人っきりで、寂しいんです。 お願い……だから……お願いします」

嗚咽混じりに懇願するアリスを見て、蓮の脳裏に一つの記憶が走り抜ける。



まだリタを仲間にした時の、バディで活動していた時の記憶━━━━

先日からアパートの付近で性奴隷として売られていた亜人の少女が、死んでいる。 全裸の死体には蝿が集り、腹部から胸にかけて深い裂傷。 左腕は無惨にも切り取られ、赤い血肉は茶色く変色しかけ、黄色い脂肪と白い骨が露出している。 激しい死臭に思わず酸っぱい臭いが喉元まで這い上がる。

「私を買ってくれると、嬉しいな?」

少女は、この道を通る度に蓮にカタコトでそう言っていた。



しばらく蓮は自責の念で眠ることができなかった。 日中はずっと、自分が金に糸目をつけずに彼女を買っていたら、救えていただろうかと考えては、あの死体が頭を過ぎり、という具合に、メンタルクリニックではノイローゼを診断された。

蓮がちゃんと眠れるようになったのは、同じ境遇の悪魔であるアサヒを買い取ってからしばらく経ってのことだ。

アリスは、とても強い。 しかし、民間ハンターには時折、悪魔の膂力や魔力をものともしない化物がいる。 彼女がそんな化物に殺されたり、身売りされたりする可能性だって充分にある。 なにしろ、蓮はハンター業で何人かの、人間を超越しているとしか思えない化物を見てきたのだ。 その可能性を後押しするには、充分すぎる根拠だった。

思慮の末に蓮は、アリスを仲間にする選択を取った。

「しょうがねぇな。その代わり、俺の言うことはちゃんと聞けよ? 分かったな?」

言いながら、アリスの頭髪を撫で、ハンカチで涙を拭き取ってやる。

「はい! ありがとうございます!」

そう言ったアリスの満面の笑みを見ていると、蓮の中の憂慮は些事のように思えた。
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