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孤児院準備編
13.貧民街にて
しおりを挟むシャリリーゼの発案を採用して孤児院を設立するにしても現状を把握しなければどうしようもない。そこでベルカエルカの貧民街を視察することにした。
ベルカエルカはゴールドマン辺境伯領の中で最も大きい都市なので、俺達の目が届かない貧民街がどうしても存在する。下民など好きに生きて好きに死ねばよいので、まあ俺としては貧民街などどうでもいい。そこらを飛ぶ羽虫と同じだ。
フェルベリカの店がある通りよりもさらに奥を進むとそこが貧民街だ。建物はろくに整備されておらず汚物の臭気が鼻をかすめる。狭く薄暗い路地には点々と襤褸をまとった人間が座りこんでいる。
「ここが貧民街……」
ターニャに車椅子を押されるトトノトリアはぼうと呟く。俺とシャリリーゼが貧民街を視察することを告げると彼女も同伴したいとおずおずと述べたため連れてくることにしたのだ。そのためラコーニコフをトトノトリアの護衛に用意している。まあ本来はソラリかエミリカを同行させれば十分なのだがこれも形式美だ。
「トリィ、護衛はいますがここは危険な場所なので気を抜かないようにしてくださいね」
「は、はい!」
「ふふ。でもいざとなったらお兄様が守ってくれるのでしょう?」
「それはもちろんだとも」
俺達がそうして小汚い路地を進んでいるとガラの悪い男五人が醜い笑みを浮かべながら立ち塞がった。
「そこをどけ」
ラコーニコフが前に出て言う。
「そうはいかねえなあ」
まとめ役らしく男が黄色い乱杭歯をのぞかせながらシャリリーゼら女三人に不躾な視線をやる。眼帯をしてもシャリリーゼの美貌を陰ることを知らず、ヴェールで青痣を隠したトトノトリアやターニャだって容貌の整った女だ。上手くこの三人を売りさばければ彼らの手に大金が転がりこむことは間違いない。無論そんなことは天地がひっくり返ってもありえないが。
「お前ら見かけねえ顔だなあ。新人は通行料ってのが必要なんだよ。そこの女を置いてくなら通してやってもいいぜ」
トトノトリアは怯えた様子で俺を見るが、シャリリーゼは楽しそうな笑みを浮かべて胸元に入れていたブローチを弄んでいる。大きな赤い宝玉のついたそれを見てゴロツキ共の目がますます欲に濁る。
「もしも嫌だというなら痛い目かもしれないぜ」
彼らは短剣やらそれぞれの獲物をちらつかせて脅しを強める。俺はそれを鼻で笑った。
「話にならない。やれ」
俺の言葉を合図にシャリリーゼがウィンドカッターを発動させる。無詠唱で生み出された五つの風刃は静かにゴロツキの首を刎ねた。
瞬く間に出来上がった死体を見てトトノトリアとターニャが呆然としている。
「シャリリーゼ様、これじゃあ俺の出番がありません」
剣を軽く叩きながらラコーニコフが苦笑する。
「ごめんなさい。でもこんな小汚い所ところで暴れられると埃が立つでしょう? せっかくの服が汚れてしまいます」
シャリリーゼは返り血がこちらに飛び散らないように気流を操作していたらしく、俺達にゴロツキの血はかかっていない。シャリリーゼの白を基調とした丈の長いスカートも綺麗なままだ。
「こ、殺す必要まではなかったのでは……」
「そうかもしれません。しかしトトノトリア様に危害が及ぶよりかは余程よいです」
トトノトリアの小さな疑義に、ラコーニコフが言い切る。
「もしも逃げられるとここを牛耳る人間に後々目をつけられる可能性もありますからね。やむをえません」
「そうなのですか……」
「僕としても彼らよりトリィの方が遥かに大切です」
俺はトトノトリアの目を見て悲しく微笑んでみせた。
そうして俺達は貧民街を進む。
「あら、貴方は」
シャリリーゼが声をあげたのは小走りで路地を駆ける少年を見つけたときだった。シャリリーゼを見て少年の足が止まる。
「お久しぶりです。元気でしたか?」
シャリリーゼがやわらかな笑みを浮かべる。俺達の存在に警戒していた少年もその笑顔に緊張を解く。
「リーゼ、この子は?」
「はい。以前話したエミリカの財布を掏ろうとした孤児です」
「ああ、あの」
俺が少年に視線をやる。裾の擦り切れた衣服に痩せた身体。当たり前だが楽な生活をしているわけではないのだろう。
俺は威圧的に問いかける。
「名前は」
「マータだ、です」
「年は」
「十一」
「ではマータ。お前は辺境伯令嬢の金を盗み取ろうとしたのであるから、当然然るべき罰を受ける覚悟があるのだろうな?」
「貴族様!?」
マータは驚きのあまり叫ぶ。シャリリーゼを見ると、悪戯めいた微笑を浮かべた。なるほど、自分の身分はちゃんとは明かしていなかったわけか。
「あの、俺、貴族様だって知らなくて。その、ごめんなさい、でもお願い、です。どうか、殺さないで。母さんが病気で、薬がどうしても欲しくて……」
大粒の涙を零しながらマータが嘆願する。俺は愉悦に唇を歪めないように気をつける必要があった。
「ローレンス様、どうやらこの少年にも事情があるようです。どうか寛大な処遇の程、よろしくお願いします」
憐憫の情が湧いたのか、トトノトリアが口を挿んだ。都合がいいので俺はそれに合わせる。
「そうだな。マータ、さっき母親が病気だと言ったな。本当か?」
「はい、本当です」
涙を拭いながらマータは答える。
「なら母親の元に案内しろ」
「わかり、ました」
マータは承諾の言葉を体の奥底から搾り出した。
マータの後をついて辿り着いたのは雨露をしのぐことも果たしてと思わんばかりのあばら屋だった。その中で唯一まともな家具であるベッドにマータの母親は臥せっていた。
突然の来訪に、マータの母親は衰えた身で立ち上がる。マータの表情からただならぬ事態があったことを察したのだろう。
ラコーニコフが険しい顔で問う。
「お前がマータの母だな」
「そのとおりです。マータの母親のイクアです。マータが何かしたのでしょうか」
「このマータはこの辺境伯令嬢であるシャリリーゼ様の金員を盗もうとした。よって相応の罰が与えられなくてはならない」
「ああ!」
イクアは病身ながらも跪いて謝罪した。
「どうか御慈悲を! この子が盗みを働いたのは全て私のせいでございます。私が病で働けぬばかりに! 罰を与えるのであればどうぞ私にお与えください」
「よくわかった。それでは沙汰を下そう。マータがリーゼの物を盗もうとしたことは厳罰に値する。そうだな、右手を切るくらいが妥当だろうか」
「ローレンス様!」
トトノトリアを無視して言葉を続ける。
「しかし、聞けばマータにも病身の母のためにやむにやまれず罪に手を染めたとのこと。民の貧しきは貴族の責任だ。畢竟、マータが罪を犯したのは俺達に責任があるということだ。そこで、マータとその母イクアは我が屋敷で労務に就くことを命ずる。無論病身のままでは働くこともままならぬであろうからイクアには薬を支給しよう」
俺の言葉を聞いたイクアは歓喜の涙を流した。マータも母に抱きつき、突如降って湧いた救済を喜ぶ。
「後日遣いの者を送るのでそれに従うように」
「ローレンス様、ありがとうございます」
「はて、なんのことかな。俺は罪を犯した者に相応の罰を与えるだけだ」
俺が惚けてみせると、トトノトリアは優しく微笑みを返した。
しかし今回はこれでいいとしても孤児院に加えて救貧院の設立も必要そうだな。
シャリリーゼを見ると太陽が咲くような笑みを浮かべていた。
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