時雨太夫

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第十七話

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真之介しんのすけが地面に頭を擦り付け土下座をしてくる。

「ちょっ、真之介しんのすけなにするんだい。
一介の町人に武士が頭を下げるんじゃあないよ」

時雨しぐれは慌てて真之介しんのすけを抱き起そうとする。
無理やり上半身を抱え起こすとそこには笑いをこらえた顔の真之介しんのすけ

「あ、相変わらずですね、安岐姫あきひめ様。私がねると焦られるところは今も替わっておられませんね」

真之介しんのすけは腹を抱えて笑っていた。
時雨しぐれ真之介しんのすけの方をきょとんとした顔で見つめている。
しかし、その表情は段々と険しくなり、目が据《す》わってくる。

「人が、人が……、ゆるさん」

時雨しぐれはゆっくりと短刀を抜き、真之介しんのすけの方に近づいてゆく。

 ゆらり

真之介しんのすけはその場から転げ、斬撃を避けた。真之介しんのすけ羽織はおりの腕の部分が切断されている。

「いっ、今の半分本気で……」

起き上がりかけた真之介しんのすけをもう一度斬撃が襲った。先程よりも速い。真之介しんのすけはとっさに刀を抜き、斬撃を弾いていた。すぐに新たな斬撃が真之介しんのすけの頭を狙ってくる。

斬る、弾く、斬る、弾く、斬る、弾く

攻防が続いている。時雨しぐれが攻め、真之介しんのすけが弾く。それは延々と続くかと思われた。真之介しんのすけが次の斬撃をらそうとしたときそれは起こった。
逸《そ》らせないのだ。
元々自分より丈のある者からの斬撃をらし続けることはあまり難しいことではない。
しかし、この斬撃はいままでのものとは全く違っていた。

重い。

非常に重い打ち下ろしに真之介しんのすけは膝ごと真下に持っていかれた。刀は半ばから曲がっている。もう一撃を受けきることは出来ない。真之介しんのすけは最終手段に出た。

「申し訳ございませんでした!」

真之介しんのすけは再度土下座をしていた。
もう、逃れる方法はこれしかなかった。
やはり姫は強い。
真之介しんのすけの頬に冷たい物が当たった。刀の刃だ。背中にぬるい汗が沸きだした。額からはぽたぽたと汗が滴り落ちる。

「まだまだだねぇ。この程度では私には勝てんよ」

時雨しぐれは短刀を鞘に戻した。真之介しんのすけはまだ頭を上げきれない。強烈な圧迫感が背中の上にのしかかっているからだ。

「はよ立て。食事でもしながら話そうではないか。お前のおごりだからな」

真之介しんのすけは何も言わず、黙って頷いた。
時雨しぐれ真之介しんのすけの首根っこを掴み、持ち上げた。
真之介しんのすけも抵抗はせずに立ち上がる。刀を鞘に収めようとするが曲がって鞘に収まらない。
曲がり直しがないので抜き身で持っていくしかない。真之介しんのすけはそのまま歩き出した。

真之介しんのすけ? 
もしかしてそのまま持っていくつもりか?」

真之介しんのすけは そうですが、何か? という表情をしている。時雨は頭を抱えてうずくまった。

「貸してみて」

時雨しぐれはひったくるように真之介しんのすけの刀を奪い、太い竹の前に立ち刀を振るう。
四寸程ある竹は斜めにずり落ちてゆく。
それだけをすると時雨しぐれは刀を真之介しんのすけに返した。曲がっていた刀は元の形に戻っている。真之介しんのすけはただ呆然と刀を眺めていた。

「あぁ、取りあえずの応急処置だから屋敷に帰ったら曲がり直しで元に戻して。
じゃあ付いて来て」

真之介しんのすけ時雨しぐれの声に一瞬びくっと反応し、刀を鞘に収めて時雨しぐれの後に付いていった。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

二人は江戸一番高い料亭八百膳りょうていやおぜんにいた。豪華な料理がたくさん運ばれてくる。一介の武士が食べられるものでは無い。

「あの、安岐姫あきひめ様、いま、懐が、その……」

真之介しんのすけ豪華絢爛ごうかけんらんな食事が運ばれてくる様を見て、頭を抱えていた。独り者の三百石さんびゃっこく取りといえ、これはさすがに払えない。
八百膳やおぜんの噂は聞いていた。とんでもない料金がかかる料亭である。
真之介しんのすけの顔色は真っ青になっていた。

「どうした真之介しんのすけ、顔色悪いけど」

時雨しぐれはにやにやと笑いながら真之介しんのすけの顔を覗き込む。額には脂汗が浮いていた。

「払えません、こんなの。どうするんですか!」

真之介しんのすけの表情は赤くなったり、青くなったりしている。時雨しぐれはもう少しからかおうと思っていた。

「ん、真之介しんのすけおごってくれるのではないのか? 
何の条件も出さなかったではないか」

ぐっと喉を鳴らし、返答に困っている。そろそろ勘弁するべきか、もう一押しするべきか。時雨《しぐれ》はもう一押しすることにした。

「わかったわかった。ここは私のおごりにしよう。
そのかわりもう二つ言うことを聞いてもらう。
一つは安岐姫あきひめとはもう呼ぶな。古い名だ。今は時雨しぐれだ。時雨しぐれと呼んでくれ。
もう一つは、食事が終わってからにしよう」

そう言って時雨しぐれは料理に箸をつけだした。次は何をさせられるのだろうと思うと、真之介しんのすけは砂を噛むような思いで料理を食べていた。
二人は八百膳やおぜんでの食事を終えた後、雑談をしていた。酒は入っていない。時雨は真之介しんのすけがなぜ自分をつけていたかを聞くことにした。

真之介しんのすけ、どうしてあたしをつけたの? 
答えたくなければ別にいいけど」

時雨しぐれの口調は、遊女ゆうじょくるわ言葉ではなく、先程の寺での口調でもなく、普通の市井しせいの者の言葉遣いだ。
真之介しんのすけはどう話そうと思ったのか、腕組みをして暫く考え込んだ。そして、話し始めた。

「実は……」

真之介しんのすけは五日前の事を話し始めた。それはしくも吉原で東風こちが事件を起こした日と同じであった。
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