時雨太夫(通常版)

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第十九話

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 鎖鎌くさりがま曲者くせものの後ろから、うような音が聞こえてきた。横目でちらりと見た真之介は自らの眼を疑った。それは兼盛かねもりも、亜紀あきも同じだった。
 天井から奇襲してきて真之介に半身を切断された曲者くせものが畳の上をいながら近づいてくるのだ。当然半身はないのだから内臓を引きずっている。手には刀が握られそれを杖代わりに這い寄ってくる。真之介は先程畳に縫い付けた曲者にも目をやった。そちらは動いていない。

「な、なんじゃ、こ、この者どもは」

 同じ光景を見ていた兼盛かねもりが呟いた。腕を折っても平気な者、半身を失っても向かってくる者、とてもこの世の者とは思えない光景だった。
 真之介と向き合う三人は膠着状態にあった。どちらも攻め手に欠けていた。 
部屋の端からはひゅんひゅんという何かが空を切る音が聞こえ、ずるずるという這う音が聞こえてくる。

(このままでは押し切られる……)

 真之介しんのすけは打開策を見つけるため頭を巡らせていた。

(腕を折っても平然としている。
内臓に衝撃を与えた吹き飛ばしもほとんど効いていない。半身を斬り捨てても動く。しかし、頭を貫いたら動かない……)

 真之介しんのすけは結論を出した。

「殿、刀をお貸しくだされ。」

 そのまま構えを解かずにぎりぎりまで下がる。兼盛かねもりは何も聞かず、真之介しんのすけに刀を渡した。この状況では自分が役に立たないことが分かっているようだ。
 受け取った刀を持ち、五尺ほど前方に移動する。そして片方の刀を畳に突き刺した。それを合図に双方が動いた。
風を切る音が真之介の後ろを通り過ぎた。

 金物かなものれる音が後ろから聞こえて来る。
 亜紀あき分銅ふんどうを旨く長刀なぎなたの柄に巻き付けたようだ。引き戻す音が聞こえない。
 真之介しんのすけは前から間合いを詰めてくる三人を迎え撃つように一歩前に出た。突然、三人が二人に減った。
手を折っている者が真正面に、体当たりを受けた者が右にいる。もう一人は……。

(後ろか!)

 真之介しんのすけは斬り込まなかった。
その代わり全身の筋肉を使い手の折れた曲者との間合いを一瞬で詰めた。
二尺程の距離から渾身の突きを顔面に叩き込む。
 一人に見えていた曲者くせもの真之介しんのすけの予想通り二人であった。完璧に動作を合わせて一人に見せていたのだ。飛び込んで先の先を取らなければ不覚を取ったかもしれない。二人はそのまま仰向けに倒れた。
 真之介しんのすけは反動を利用して、真後ろに飛び退いた。兼盛かねもりから借りた刀を掴む。右にいた曲者くせものはそのまま兼盛かねもりの方へ向かっていた。

(間に合わない!)

 兼盛かねもりの前で蒼い光りが起こった。亜紀あき長刀なぎなたの石突きを曲者の刀の腹に打ち付けていた。刀の軌道が逸れ、床の間の柱に食い込んだ。一瞬動きが封じられた曲者の腹に短刀がねじ込まれた。兼盛かねもりが必死の形相で短刀を抜こうとしている。曲者くせものの左手に黒光りする針のような物が握られていた。

(毒針!)

 真之介しんのすけ曲者くせものの後頭部に突きを放っていた。
針が振り下ろされるまえに刀は後頭部を捕らえ、貫いていた。しかし曲者くせものの手は止まらなかった。兼盛《かねもり》の身体を毒針が襲う。真之介しんのすけは目を閉じた。自分のふがいなさを恥じた。即効性の毒針が当たれば、場所にもよるがほぼ助からない。真之介しんのすけが覚悟を決めたとき、兼盛かねもりの声が響いた。

亜紀あき!」

 真之介しんのすけの目に映ったのは、兼盛かねもりの前に手を差し出す亜紀あきの姿だった。毒針は亜紀あきの右腕の甲に突き刺さった。そこからの判断が正しかったのかは真之介しんのすけには分からなかった。

亜紀あき殿、御免!」

 曲者くせものの後頭部から引き抜いた刀で、とっさに亜紀あきの右腕を肘から切り落とした。亜紀あきは声にならないこえをあげ、その場に崩れ落ちる。そのまま、真之介しんのすけ鎖鎌くさりがまの男の方へ移動していた。

「殿! 亜紀あき殿の止血をお頼み申します!」

 真之介しんのすけは振り返りもせず、兼盛かねもりに指示を出す。
不敬も良いところだ。
しかし、そのようなことを考えている余裕はない。相手はあと二人。屋敷内にはまだ他にもいるかもしれない。そう考えると時間がもったいなかった。
 兼盛かねもりの安全を確立することが最重要任務になる。真之介しんのすけは一気に片をつけるつもりになった。

「主ら、どこの素破すっぱだ」

 真之介しんのすけは問うてみたみた。
しかし何の反応もない。
曲者くせものは鎌を捨て、得物を刀に持ち替えている。当然、刀身にはぬらりとした液体がへばりついていた。
 二人は同時に動いた。真之介しんのすけは下段のまま、少し速度を落とした。い寄ってくる曲者の前に来たとき、首をぎながら牽制の一撃を放つ。っていた曲者くせものの首を半分切断し、走ってくる曲者の真正面で刀の軌道を止めた。そのまま、水平に飛ぶ。緩急かんきゅうのついた動きに曲者くせものは対処できなかった。水平に構えた刀を突き出す前に、真之介の刀が顔面を捕らえた。お互いの勢いが衝撃を増加させ、頭部を貫いていた。そのまま、相手を右に振り飛ばした。
相手の刀を避けるためだ。
 渦のような遠心力で曲者くせものは吹き飛び頭部は半壊していた。真之介はそのまま、っていた曲者のところへ戻り、首筋から頭部へ刀をねじ込む。
びくっと身体が痙攣けいれんし、ついにその動きを止めた。

「殿、亜紀あき殿、ご無事で」

 真之介しんのすけは二人のところに駆け寄る。兼盛かねもりの手当は完璧だった。亜紀あきの腕の出血はほぼ止まっていた。
顔色は真っ青だ。

「すまぬ、真之介しんのすけ亜紀あき。私がつまらぬことをしたせいで。私が父上や母上、今は亡き姉上ほど強ければこのような事には」

 兼盛かねもりはそういいながら部屋の中を見渡した。警護の者は亜紀あきを除きすべて死んでいる。それを悔やんでいるようだ。

「何をおっしゃいますか。我々は若殿をお守りする砦でございます」

 真之介しんのすけは警戒を解かずに兼盛かねもりの側に寄った。しかし、すぐに兼盛かねもりの顔色が変わった。

真之介しんのすけ! 母上は無事か!」

 いつもは上屋敷かみやしきにいる兼盛かねもりの母・おとよ中屋敷なかやしきに遊びに来ていた。二人ともそのことを失念していた。 
二人はそのまま走り出そうとしたが突然、兼盛かねもりが全く別の方へ動いた。  
 兼盛かねもりの手は亜紀あきの左腕を掴んでいた。その手には短刀が握られており、喉元へと迫っていた。

「若殿、死なせてください! 
私はもうお役に立てませぬ。
生き恥を晒すくらいならせめて夫のところへ」

 大声で喚く亜紀あきの口を真之介しんのすけが塞ぎ、短刀を取り上げる。

亜紀あき殿! 
役に立たぬと自害するは早い。どうせ死ぬなら若殿の砦となって死なれよ」

 真之介しんのすけは我ながら冷酷だと思いながら亜紀の眼を見つめた。
兼盛かねもりも黙って見つめていた。
亜紀あきは一瞬考える素振りを見せ、懸命に立ち上がった。

「わかりました、武器は仕えなくともこの身を砦といたしましょう」

 亜紀あきの眼に覚悟の火が宿った。やはり武家の娘、責務があれば動ける。

「おとよの方さまは離れにおられます。こちらへ」

 亜紀あき兼盛かねもりをかばうように先導し進み始める。
左手には愛用の長刀なぎなたが握られていた。
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