時雨太夫

第四十一話

　旅姿の松風まつかぜ家家臣のくぐもった声が喉から沸きだした。頭は普通では絶対に向かない方向を向いていた。
　時雨しぐれは殺した相手から刀を抜き取り、柄袋つかぶくろを外した。　
　一度抜き、振ってみて感触を確かめる。そのまま刀を納刀し横にあった七尺近い槍を手に取った。
　時雨しぐれから一番近い見張りは三人だ。奪った槍を思いっ切り投げる。
　槍は放物線を描き見張りの背中を貫き、そのまま地面に縫い付ける。他の二人は何が起こったのか分からないように立ち尽くしていた。
　時雨しぐれが鯉口を切りながら走る。惚けていた二人はそのまま斬り捨てられた。殺したうちの一人から刀を奪うと両手に刀を握り、松風まつかぜ家中屋敷なかやしきの中を走り始めた。
　時雨の警戒心が一気に上がった。手練れが数人いる。そのとき目の前に旅姿の武士数人が現れた。参勤交代から急ぎ戻った者達らしく、長屋へ向かうところのようだ。時雨は体勢を低くして三間の間合いを詰めた。目線の先では慌てて刀袋を取り外す侍達がいる。

「曲者じゃー！　出合えぃ！　出合えぃ！」

　一人の侍が大声を上げる。
　時雨しぐれはその侍には目もくれず、刀袋を外しかけた者達の足を狙い左右の刀を振るってゆく。ある者は足を切断され、ある物は太股の内側を斬られ大量の血を流す。先頭の数人の足を斬ったところで時雨しぐれは狙いを肩口と腕に切り替えた。無理矢理殺していくのではなく、戦闘能力を奪うつもりだった。屋敷の庭先には悲鳴が響き渡っていた。
　屋敷の中から次々と家臣が出てくる。それは旅姿の者もいれば羽織袴はおりはかまの者もいる。それぞれ刀や脇差しを持ち、時雨しぐれを包囲するようになろうと動く。
　しかし、それは許されなかった。出てきた者は半数は討ち取られ、残りの半数は行動不能にされた。数合打ち合える者もいたが、すぐに手首や足を斬られる。屋敷の庭は倒れた家臣で一杯になった。
　時雨しぐれは、とっさに一人の武士を盾にした。屋根の上から矢が数本放たれた。そのうちの一本が盾にした男の腕を掠る。
　次の瞬間、盾にした武士は全身をがくがくと痙攣させはじめた。その武士を盾にして持ち上げ、全身をかばいながら屋敷の中に逃げ込んだ。
そのまま放り出す。
武士の顔は苦悶の表情を浮かべ、口からは泡を吹き、眼球は半ばまで飛び出していた。

（毒！）

　時雨しぐれは放り出した武士の刀と、斬りすぎて使いづらくなった刀を取り換える。
そのまま屋敷の中へ押し入った。
　屋敷の中では数人の女中達が長刀なぎなたを構えていた。時雨しぐれは容赦なく斬り込む。突き出された長刀なぎなたの切っ先を避け、一人の手首を落とす。
　手首を落とされた者は甲高い悲鳴を上げ、隣の者にすがりついた。斬れた手首から血が噴き出し、一瞬で混乱状態になった。こうなれば長物ながものでも問題は無い。一人一人確実に止めを刺していく。

　廊下に出るとそこには家臣の姿はなく、暮色くれいろの服を着た者達が数名いた。直ぐに近づいてくる。刀にはヌメリとしたものがこびりついている。時雨しぐれはすぐに毒と判断した。先程の毒と同じだろう。擦れば即死は免れない。
　いきなり時雨しぐれは半身をとる。耳の横を風が通り過ぎた。暮色くれいろの服の男が吹き矢を放っていた。
　次は足を狙ってくると踏んだ時雨しぐれは、壁を利用して左右に飛び交える。暮色くれいろの服の男達の動きが一瞬止まった。時雨しぐれはそれを見逃さず、刀を肩口に振り下ろした。
　吹き矢の男も斬り倒す。
　暮色くれいろの服の男の持っていた刀を奪うと、そのまま斬り合いを始めた、素破すっぱと正式な剣術を習っている者では相手にならない。そのうえ、時雨しぐれは二刀を使っている。その二刀は先程奪った毒の塗りつけてある二振りだ。擦っただけでも致命傷。
　それは使っていた当の本人達がよくわきまえていた。無闇には近づかず二間程先で様子を見ている。
目の前にいる素破の数は三人。
　時雨しぐれは油断せず、絶えず鼻をひくひくとさせていた。素破すっぱの一人が懐に手を入れる。時雨しぐれの鼻に火縄ひなわの焦げる臭いが押し寄せる。そこらで毒で死んだ素破すっぱを持ち上げると自分の前に無理矢理持って来た。

　ぱぁぁぁん-----！

　種子島たねがしまの音をを小さくしたような音が廊下に響き渡る。
それは種子島たねがしまより遙かに短い物だった。
短筒と呼ばれるものだ。
　ばすっという音が盾にした遺骸から出る。どうやら素破すっぱの体内で止まったようだ。
　素破すっぱを盾にしながら時雨は突っ込んでゆく。二人は刀を構え防御の姿勢をとる。もう一人は、短筒に弾を込めようとしていた。
　時雨しぐれは盾にしていた素破すっぱを投げる。素破すっぱの死体はそのまま真っ直ぐに短筒の男へ向かって飛んで行く。
　気づいたときにはすでに遅く、大きな音とともに下敷きとなった。投げた素破すっぱに隠れるように進んでいた時雨しぐれは、すれ違い様に二人の素破すっぱに斬りつけた。二人は悶え、喉を掻きむしりながら倒れ込んでゆく。落ちていた短筒たんづつを拾い、下敷きになっている者にも傷を着けた。
ばたばたと蠢いた後、すぐに動かなくなる。

　いくつもの部屋を通り過ぎ、来る者を皆殺しにして時雨しぐれは屋敷の中を歩き回った。毒が付いた刀に変えてからは斬り結ぶのが楽になっている。傷つけるだけで勝手に死んでくれるからだ。
これならば無茶な使い方をしても脂が纏わりつき、斬れ味が落ちることもない。
　時雨しぐれは気づいてはいなかったが、口も眼も顔全体もすべてが笑っていた。瘴気しょうきを全身から放ちながら、全身で笑っていた。
　楽しくて仕方が無い、そのような愉悦に浸った表情で部屋という部屋を通り、殲滅して行く。そして、最後に十名程が守っている部屋にたどり着いた。半分は部屋の前から動かず、半分は斬りかかってきた。
　手練れといえども経験不足は否めないようだ。道場で習った剣術か青空剣術なのだろう。一人は振り上げた瞬間、梁はりに刀で斬り込んでしまう。
残りの者も、正眼に構えたり八双に構えたりしている。
　時雨しぐれは溜息をつき、刀をぶら下げたまま滑るように近づいて行った。
梁はりに引っかかっている者を下段から斬り上げる。その侍はそのまま崩れ落ちた。正眼で構えていた侍は刀を振りかぶった瞬間、斬り上がったままの時雨しぐれの刀にそのまま貫かれた。八双に構えている二人はどちらが先に前に出るかで躊躇したために時雨しぐれの持つ刀に擦り傷を負わされ絶命。
そして、もう一人は腰を抜かして座り込んだ。
　時雨しぐれの手が動いた瞬間、眼を剥き、全身を痙攣させながら絶命する。
それを見た残りの五人が後ずさりをし始めた。すでに恐慌状態に陥っているようだ。　
　時雨しぐれが二・三歩進み、懐から短筒たんづつを取り出すと全員が刀を放り出し逃げだそうとした。背を向けた一人に片方の刀を投げつける。
それは二人を巻き込み絶命させた。
　短筒たんづつが吼えると一人が力なく倒れ込んだ。鼻の下に丸い穴が空いている。時雨しぐれは短筒たんづつを放り投げ、逃げ出した二人を追った。
逃がす気はさらさらないらしい。直ぐに追いつくと一人の背中を斬りつけた。斬られた者はびくっと身体を震わせるとその場に崩れ落ちる。
もう一人を足を引っかけ、倒す。

「正直に白状すれば助けてやらんことはない。あの部屋にいるのは誰だ？」

　時雨しぐれの蛇のような眼と雰囲気に完全に飲まれた武士はすぐに答えを返した。

「松風《まつかぜ》家江戸家老・大隅孝光おおすみたかみつ様じゃ」

そこまで言うと、武士は這うように去ろうとした。
その背中に突きを入れる。刀は正確に背の骨を断ち斬っていた。
時雨しぐれは警護してあった部屋へと戻る。
そして、時雨しぐれはその部屋の引き戸を蹴破った。

「やぁ、あんた、江戸家老だろぅ？
なにこんなところで縮こまってるんだぃ」

時雨しぐれは満々の笑みを浮かべ、中にいた人物へ近づいて行った。