時雨太夫 東海道編 箱根の宿

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第七話

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「ひいっ」

 時雨しぐれを鉄火場へ案内した男は宿場から少し離れた山の中に連れてこられていた。そこは草臥くたびれた建物だった。
 もとは人が住んでいたか、猟師の休憩小屋だったのであろう。寝床のようなものがあり、ほとんど朽ちている藁がその上に乗っていた。

「さぁて、藤木屋の善四郎だったかな? 息子の居場所を教えてもらおうか」

 時雨は男を寝床らしき物の上に座らせた。
 両腕は縛られ、片足には浅くはない切り傷が出来ている。逃げることは出来ない。その男に時雨はゆっくりといている太刀を抜いてゆく。それは実にゆっくりとした動きであった。鞘から刀身がゆっくりと出てくる様は男に十分な恐怖心を与えた。

「あ、あ、藤木屋の息子だったら宿場の中の薬種問屋やくしゅどんやの地下だ……」

 男は震えながら時雨の抜く刀身を見つめている。答え終わったときには時雨の刀身はすでに抜き放たれていた。日の光が刀身に跳ね、銀色の光を放つ。男の震えは一段と酷くなる。

「何故、薬種問屋? あんた達の住処じゃあないのかい?」

 時雨の言葉に男は首を振りながら後ずさろうとする。しかし、後ろは壁でそれ以上は下がりようがない。男は顔色を真っ青にし、歯をがちがちと鳴らしながら言葉を吐き出した。

「理由は……知らない。だた、あそこには……色々な人が出入りしている。特に夜は武士……やら商人などもいる」

 男はしどろもどろになりながらも時雨の得たい情報を十分に語ってくれた。後は始末するだけだ。

「た、たのむ。殺さないでくれ。色々しゃべったじゃねぇか。俺だってすぐに逃げなきゃあ殺されるほどの情報だ」

時雨は男の叫び声に似た懇願を聞きながらゆっくりと太刀を後ろに引き……、男の口に突きを放つ。時雨の太刀は口腔を突き破り、壁に付く前に止まった。

「けへっ」

 男の口から声か呻きか分からない音が漏れる。引き抜こうとしたのか、男の手は時雨の太刀を握りしめた。時雨はそのまま真後ろに太刀を引き抜く。男の口からは血が流れ、太刀を握っていた手は半ばまで切断された。
 男はまだ息があった。時雨は円を描くように刀身を後方から一回転させ男の首筋に斬り込んだ。指で血を拭い、さらに懐紙かいしで丁寧に血糊を拭き取る。
その作業が終わる頃、男の上体は斜めにずれ落ちていく。時雨は血飛沫ちしぶきがかからないように直ぐに小屋を出た。
ぱたぱたと小屋中に血の降り注ぐ音がする。それを聞きながら時雨は、小屋から離れ宿場へと続く道を歩いて行った。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 箱根の宿に戻った時雨は聞き出した薬種問屋の前に立っていた。手には団子が握られている。
 時雨は六尺を越え、しかも顔、身体とも普通の女とは桁外れに違う。あまりの違和感に通る人々が遠巻きに眺め、ひそひそと話をしていた。時雨はそのことには全く気がついていなかった。
ただし、薬種問屋の者が時雨の様子を時々伺っていることは分かっていた。その薬種問屋から男が出てきた。まだ年端もいかない小僧のようだ。

「あのう、お姉さん。うちの見世みせの前に長くいらっしゃいますが、なにかご用がおありですか?」

 小僧が時雨れに話しかけてきた。時雨は団子を食べながら口をもぐもぐと動かし続ける。小僧は暫く待っても返答がないので仕方なしに見世に戻ろうとすると、時雨は団子を飲み込んで小僧に声を掛けた。

「小僧さん、ときはありますか?」

 時雨の突然の言葉に小僧は戸惑っていた。時雨がしゃがみ込み、小僧の耳元でそっと囁く。

「知りたいことを教えていただければ、礼をいたしますよ……」

 時雨の声は太夫たゆうのそれになっていた。昔使っていた甘い、囁くような言葉。そっと耳に息を吹き込んだ。小僧は顔を真っ赤にし、膝を内側へ曲げている。

「あ、う、今はまだ……。もう少しで休憩になるのですが……」

 時雨はそこで小僧の頭を軽く撫で、団子屋で待つと伝え小僧を見世へ帰した。時雨も立ち上がり薬種問屋の前を後にし、団子屋の方へ歩いて行った。
  
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 小僧は半刻もせずに団子屋へと現れた。他に誰かを連れてきた様子はない。時雨は小僧に好きな物を頼みなさいと言って茶汲み女を呼ぶ。小僧は少し控えめに団子を三本と白湯を頼んでいた。

「あら、小僧さん。団子は嫌い? それとも暑いから水菓子みずがしがいい? ここには水菓子もあるみたいよ」

 時雨は再度茶汲み女を呼ぶ。団子を二十本と水菓子(西瓜すいか)を二つ追加する。小僧はその量にびっくりしていた。

「お姉さん、私そんなには食べれません」

 小僧の言葉に時雨は声を出しながら笑った。

「水菓子は一人で一個ずつですよ。団子は私が食べるのです。まだ食べたかったら頼んでくださいね。お金は気にしないで良いですよ」

 そう言って、分金ぶきんを数枚手の平で見せた。小僧は目を輝かせてそれを見つめていた。まだ、小僧になって日が浅いのだろう。そのような金を持ったことが無いようだった。
二人は追加が届くと黙々と食べ始めた。時雨は水菓子と団子を十本食べ終わったとき本来の目的を思い出した。小僧は水菓子にかじりついている。

「ねぇ、小僧さん。 あなたの奉公先で夜中に人が来たりすることはある?」

 時雨は小僧の真横に身体を寄せ、耳元で囁くように話しかけた。小僧はびくりと身体を震わせると、おっかなびっくりという感じで時雨の方を向いた。小僧の目の前に時雨の美しく整った顔が近づく。時雨の身体からは主張はしないが良い香りが漂っている。小僧は顔を真っ赤にして俯く。そしてぽそぽそと話し始めた。

「夜に人は来るよ。見世が閉まってから……。
でも僕たちは何も知らない。早く寝ろと言われるばかりだから。来る人は番頭さんや手代の人達が案内しているようだから。夜、かわやに行くときに何度か見かけたかな」

 そう言って、小僧はかじりかけの水菓子を頬張った。時雨は団子を口に入れながら考え込んでいた。

(見世が閉まってからの来客か、しかも小僧などに案内をさせないのかぁ……。さっきの男はここに善四郎がとらわれていると言っていたが)

「ねぇ、小僧さん。あなたのお見世へ来る方達は男? それとも女?」

 難しいことは知らないだろうから、時雨は簡単に答えられる質問に切り替えた。

「う~ん、男の人も女の女の人も来てると思うけど」

「けど?」

 小僧は少しだけ考えているようだ。水菓子をかじっていた口が止まり、手が下に降りている。

「男の方が多いかなぁ。この箱根の近くのお金持ちの人やお武家様もいたような気がする。あとは綺麗な着物を着た女の人。
分かるのはそれくらい」

 そう言って小僧は残っていた水菓子を食べ終えた。もうすぐ仕事が始まると言って、時雨にご馳走様でしたと言って立ち去ろうとした。時雨は小僧を呼び止めて手に銭緡ぜにさしを握らせる。

「ねぇ、お姉さんに聞かれたことは内緒にしてくれないかな?
それとこれはお話しのお礼。ただし、持っていることを誰にも言っちゃ駄目よ。取られるか怒られるかになるからね」

 時雨はそのまま小僧の頬に唇をつけた。再度小僧の顔が真っ赤に染まる。時雨はさようならと言って手を振り、小僧を解放した。
そのまま、団子を食べ始める。

(う~ん、何のために薬種問屋に出入りしているのだろう。何かあるのかな。藤木屋の息子もここにいるみたいだし。ただ、出入りしているというより監禁されているような口ぶりだったんだよねぇ)

 時雨は先ほど殺した男の言葉を思い出しながら全ての団子を食べ終え、勘定を済ませてから藤木屋へと足を向けた。
途中で役人達が走り回っているのが見える。先程時雨が連れて行かれた寺の方へ向かっていた。しかもかなりの数だ。

 (あぁ、そろそろ誰かが見つけた頃か、早めに帰ろう)

 時雨は急ぎ足で藤木屋のある方へと歩いて行った。
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