時雨太夫 東海道編 箱根の宿

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第十七話

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 後ろから数名の者がつけてくるのが分かった。敢えて時雨しぐれはつけさせることにした。今は箱根の宿の外れ、山の入り口に差し掛かっている。このまま小吉のいるところまでついてこさせ、そこでもう一度小吉に戦いを見せて旅を諦めさせるつもりだった。

「時雨姉~!」

 山の少し開けた場所にたどり着く前に小吉の声が聞こえてきた。遠くで手を振る小吉の姿が見える。時雨は少しだけ歩く速度を速めた。後ろに付いてくる者達はやはり等間隔で動いてくる。

(相当な手練れか?)

 数もかなり多く十名は越えているだろう。時雨は小吉に見物させながら戦えるかどうか不安になってきた。小吉はまだ戦えない。身を守ることすら出来ないだろう。時雨はこの戦いをなるべく悲惨な終わり方にして恐怖を抱かせ、岡崎にでも預けて江戸に行かせるつもりだった。
時雨は唐突に走りだす。一気に山の斜面を駆け上がり小吉の元にたどり着いた。

「敵が来ている。先程渡した太刀でときを稼げ。斬らなくて良い、突くことに集中しろ。それと背中に回り込まれるな」

 時雨はそれだけ言うと小吉を大きな木に背中を付けさせその前に立ちはだかった。小吉は既に太刀を抜き払っている。
時雨は小吉から鞘の方を受け取り腰に刺す。暫くすると動く気配が止まり、膠着状態になった。小吉の腹がくるるるると鳴る。思わず時雨の頬が緩む。すぐに時雨は表情を引き締め腰に差した竹筒のみを小吉に渡す。

「小吉、腹は減っているだろうが今は水だけにしておけ。それも口を湿らせるだけだ。そうしないと戦いの最中に吐いて動けなくなる」

 時雨の真剣な言葉に小吉はごくりと一口だけ水を喉に流し込み、竹筒を時雨に返した。時雨が一瞬微妙な顔をするが何も言わない。
 お互いの膠着状態が続く中、相手方がしびれを切らして動き出す。気配が三つの塊に分かれる。時雨は小吉に左の方を向いていろと言って右側に移動する。そのまま前方へ走り出す。
  小吉がいた場所から少し離れたところから悲鳴が上がる。時雨は三人の侍と斬り合っていた。そこそこ腕の立つ者だったが相手から来るとは思っていなかった者達は敵では無かった。すぐに三人とも骸と化した。時雨は念入りに止めを刺す。

「あああああああぁぁぁぁぁ」

 小吉の叫び声が後ろから聞こえる。鉄のぶつかる音が時雨の耳にまで聞こえてきた。小吉は遊ばれているようだ。時雨は一直線に小吉の元へと戻ろうとする。その時雨に五人の気配が近づいていた。
 侍が五人。小吉の元にたどり着く前にその集団と遭遇する。その中には見知った顔がいた。

「時雨殿……か?」

 一夜を共にしたむろの姿がそこにはあった。

「あら室様。何故ここにお出でになりました?
しかも捕らえるためでは無く殺る気しか感じられませんが……」

 軽口を叩いているが時雨は焦っていた。早く助けに行かないと小吉が嬲り殺しにあってしまう。正直足手まといならば置いていくとは言ったが、見棄てるつもりはまったく無い。岡崎に頼み安全に江戸まで行かせたかった。早く目の前の五人を片づけないとそれも出来ない。

「稲葉家ご家老から阿芙蓉あふようの事を知っている者を消せという指示だ。残念だ。折角知り合えたが消えて貰おう」

 室はそれだけ言うと黙って刀を引き抜いた。残りの侍達も刀を引き抜く。侍達は鎖を纏っていてかなりの重装備だ。武具が刀だけというのは非常に有り難かった。時雨は左手に持った鞘を腰に刺すと、太刀を鞘の中に収めた。基本的に時雨は抜きからの攻めを得意としている。これは同時に全力でゆく構えだ。

「そうねぇ。あなたいい男だったと思ったんだけど……ねぇ!」

 時雨から向かって左の男の前に動くと抜き打ち様に股下から腹に抜けるように斬り上げる。そのままくるりと太刀を回転させ右袈裟で首筋を狙った。鎖が着込まれている場所を外しての攻撃。
 一番左にいた侍は最初の一撃で戦闘能力は失われていたが、首筋に受けた追撃の一太刀で血飛沫をあげながら絶命した。一瞬動きが止まった侍達の反応を時雨は見逃さなく、袈裟に斬り下ろした太刀をその横の侍のこめかみへ叩きつけた。刃ではなく太刀の腹が側頭部を襲う。突然襲った衝撃に侍は木の根に足を取られよろけ、そのまま斜面を転がり落ちていった。

「やる! しかしそれまでだな」

 室が手振りで残りの二人に腰を落とすように指示をする。山の斜面での安定性を狙った動作だ。その動作のままゆっくりと時雨に近づいてきた。
 三人はそれぞれに突きを放ってくる。それは必ずしも時雨の身体を狙ったものではなかった。上手い具合に時雨の避けそうな位置に刀が繰り出されている。
 どうやらこの室を中心にした集団は連携が得意のようだった。完全に訓練されてる動きだ。時雨はその連撃を躱し、いなしながら後退していた。そのまま小吉の所まで移動するつもりだった。

「あーっ!」

 突然聞こえてきた小吉の悲鳴。時雨は反射的に小吉のいる方を振り返っていた。隙ができる。時雨の身体に二つの光が集中して迫っていた。

(間に合わない!)

 時雨は身体を捻って躱そうとするがどう見ても二本は身体に喰い込む。そのうちの片方には相当な深手を負わせられるだろう。

(どちらを逸らすべきか……)

 一瞬だけ二人の侍を見比べる。室は知っている。もう一人は知らない。ただ明らかに指揮系統を握っているのは室だった。そして身体を重ねた時雨には室の危険性は十分分かっている。時雨は無理な体勢で室から繰り出された突きを太刀の腹で器用に滑らせる。凄まじい速度の突きは上手い具合にいなされていた。
 もう一本の刀が時雨の身体に迫る。場所は脇腹と心の臓の間の辺りだ。失敗すれば骨で止めるしかない。時雨は膝を器用に上げて腰に刺した刀身が無い鞘を上へと跳ね上げた。
 上手い具合に拵で突きを受け止めることが出来た。しかし威力までは相殺できず突きと同時に襲ってきた体当たりに時雨ははじき飛ばされる。一本足では体格で勝っている時雨といえどもこらえることは出来なかった。それでも尻を地面に付けなかったのは才能の成せる技だろう。
 時雨は体勢を立て直すと室達から距離を取ろうとする。しかしそう簡単には動かせてくれない。小吉の方も気になっている。

(やはり一人は早めに斬らねば……)

 反射的に躱した侍の腕を斬りつけていた。渾身の突きで伸びきっていた侍は躱すことが出来ずに手首を鎖ごと半分程まで斬られている。
 太い管を切断された手首から大量の血飛沫が辺りと時雨を濡らす。手首を斬り裂いた太刀はそのまま遠心力を得て鞘を叩き割った侍の左方を襲う。侍は刀を引き抜こうとするが刀が鞘に喰い込み抜けきれなかった。咄嗟に刀を放し後ろへと飛ぶが山道を駆け上がってきていたのを失念していたのか、身体を立て直せずにそのまま山を転がり落ちていく。

(判断は良いんだよねぇ……、でも周りが見えていないっ!)

 もう一度鋭い突きが時雨の頬を掠める。室の刀だった。

「しつこいねぇ。しつこい男は嫌われるよ!」

 時雨は突き出された刀を下から跳ね上げる。お互いの得物がぶつかり合った。
 次に唸ったのは室だ。時雨は得物の刃同士が当たった瞬間に太刀を動かし太刀の腹で受けていた。そのまま腹が傷つくのを気にせずに振り抜く。渾身の力と刀身を利用した走りの速度で室の刀の鍔は切断され、そのまま両手の指全てを飛ばす。室は十本の指の半分は中程から切断され半分は指先を無くし、かろうじて刀を持っていられるだけとなった。

「あんた、良かったけどねぇ。さよなら」

 地面にめり込むほど踏み込んだ時雨の太刀は鎖を突き抜け室の心の臓を貫いた。室がにやりと笑う。

「刀は貰った」

 そのまま山の斜面へ倒れ込んでゆく室の身体は急激に引き締まり、時雨の太刀を咥え込んだ。反射的に時雨は室の腹に蹴りを入れ押し離そうとする。しかし太刀は抜けず、逆に時雨の身体が持って行かれそうになった。慌ててつかを離す時雨に近くに残っていた侍の振りかぶった刀が襲いかかる。

(遅い)

 時雨は振りかぶられた侍の懐に飛び込むと左手で侍の持つ刀のつかを受け、右手で侍の首を掴む。時雨は握力の全てを使い侍を締め上げた。軽く侍の身体が浮く。
 時雨の身体は独楽のように回転し、侍の頭を周囲の木に打ち付ける。それは何度も何度も続き時雨を中心とした木々は真っ赤に染まった。時雨が動きを止めたときには侍の頭は元々あった顔を思い出せないほど形を留めていなかった。そこまですると侍の腰から脇差を抜き、時雨は小吉のいる方へ走りだした。
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