時雨太夫 続・東海道編

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府中の宿

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 三人は飯屋で昼食を取っていた。正確には朝食べなかった分を昼に食べているのだが。
 あれから残りの四軒の道場も全て回っていた。どの道場も道場主か師範代、あとは二~三人の門弟がいるだけだった。
 道場主が敗れて流派を変えた者、怪我で稽古に出て来られぬ者、そして道場主が気落ちして一時的に閉鎖、もしくは道場を畳んだ者等様々に分かれていた。しかし全ての道場の者から話は聞くことが出来ていた。その中身は

【あれは人では無い。化け物か妖怪の類いだ】

というものだった。

「龍之介殿、どう思われますか?」

「そうでござるな、化け物、妖怪……というのはちょっと。ただ、どの流派の者も打ち込んだときには確かに肉の感触があったとは言っておりましたから、身体が無いわけでは無いのでしょう」

 そこまで言ってお茶をすする。その間、小吉は一言も口をきかず黙々と食事を続けていた。

「余程痛みに強い人物か、痛みを感じないのか」

 龍之介の言葉に時雨は嫌な予感を覚えた。阿芙蓉あふよう。それを強力にした紅笑芙蓉こうしょうふよう。阿芙蓉ではそこまでのことは無い。あくまでも中毒になり廃人になる程度だ。しかし紅笑芙蓉。あれは苦い思い出しか無い。あれのせいで江戸ではひどい目に遭ったし、今こうして旅をしている。阿芙蓉なら秘密裏に中毒者を増やし利益を増やすだけだ。紅笑芙蓉を使うとなれば……暗殺しかない。時雨はいつの間にか箸の動きを止めていた。

「……どの。時雨殿」

 龍之介の声で時雨は意識を元に戻した。心配そうな顔で龍之介が時雨を見ている。

「あぁ、すみません。少し考え事を。で、この後は今朝の瓦版の道場に行きたいのですが……、案内していただくお時間は?」

 時雨は湯飲みを持ち、龍之介に今後も一緒に行動出来るかを訪ねていた。龍之介は少しだけ小吉の方へ視線を向ける。そしてすぐに時雨の方へ視線を向けた。

「大丈夫ですよ。道場は門弟もいませんし。それに昨日稼がせていただきましたのでしばらくは大丈夫です」

 龍之介はぽんと懐を叩いた。しかしすぐに困ったような顔になる。

「ただその前に刀屋に寄りたいのですが。研ぎ直しで済むか買い換えかを……」

 その言葉に時雨は今朝の立ち会いを思い出していた。久しぶりに全力で打ち込んだ。気持ちはよかったが時雨の太刀にもその影響が出ていた。

「そうですね。私の太刀も一度見てもらった方がよいのかもしれませんので」

 二人は食べた後に刀屋に寄ることにして食事を続ける。その間、龍之介は何度か小吉の方に目を走らせていた。

■□■□名刀と迷刀■□■□

「また、派手にやりましたね二階堂様」

 刀屋の主が龍之介の刀を抜き、刀身を確認している。刃には二カ所に刃切れが入っていた。

「やはり使い続けるのは不味いか」

 龍之介は大きな溜息をついた。刃が欠けても問題ないし、刀身が曲がっても修復は可能だ。しかし刃切れだけは別である。刃切れは修復できない。使い続けるとそこから折れたりする。もっとも絶対では無く、そこは使い手の腕で対処できる。

「買い換えられますか?」

 刀屋の言葉に龍之介は顰めっ面をした。

「無理でござるな。金子が無い」

 そう言いながら龍之介は財布の紐を解いている。中身を見て溜息をついた。

「どう見ても五両程度しか無いな」

 龍之介の言葉を聞き、刀屋が少し待ってほしいと言って裏へと引っ込む。暫くして刀屋は一振りの刀を手に戻ってきた。

「これは少し問題がありまして……、三両で結構ですが……」

 そう言って刀屋が取り出した刀は美しい肌と波紋を持つ刀だ。長さは二尺四寸程。重ねは八分程。身幅も元が一寸程の腰反り。とても三両で買える代物では無いが……。龍之介と時雨が興味深そうに見ていると刀屋は目釘を抜き茎を見せてきた。

安綱やすつな

「あぁ、偽名か……」

 茎には安綱とある。名物童子切安綱どうじぎりやすつな伯耆ほうき安綱、鬼切等、名物が多く将軍家や大名家などにそのほとんどが収まっている。が、作風が違う。確かに代が下れば豪壮にはなるがこれ程の物は無い。しかもなかごが新しい。

「さようで……、少し訳ありの出所でございまして、詮索無用でお願いいたしますが」

 龍之介は財布からじゃらじゃらと銭を出す。それを百文差しずつに分け、その中に分判を混ぜ始めた。

「あ~、時間がかかりそうなので私が立て替えますよ」

 時雨はそう言うと荷物の中から小判を三枚出し刀屋に手渡した。

「……お武家の方でございますか?」

 刀屋は小判を受け取りなら時雨の豪快な金の出し方に驚いていた。龍之介もより分ける作業を止め唖然とした顔で見ている。

「いえいえ、私は昔吉原にいましたので……」

 時雨は自分の過去をあっけらかんと言い放った。その言葉に龍之介と刀屋は少し驚いた顔をしている。普通は隠すものだと思っているからだ。小吉はそのことを知っているので特に表情を変えない。
 もっとも吉原へ行くのは何も苦肉での身売りや口減らしの身売りだけでは無い。少数だが金を稼ぐために自ら入ってくる者もいる。時雨は自ら望んで吉原に入った身であるので吉原にいたことを隠すつもりも無かった。

「さようでございますか。では後はそちらで……。それと二階堂様、刃切れの入った刀はいかがなさいますか? 処分されるのでしたら一分でお引き取りいたしますが……」

 刀屋は龍之介に商談を持ちかけていた。しかし龍之介はそれを固辞する。

「申し訳ござらんがこれは我が家に伝わる家宝でしてな」

 龍之介は一度出した金子を袋に仕舞い、二振の刀を受け取る。それを見終わった時雨は今度は自分の太刀を差し出した。

「店主殿、この太刀に調整が必要か観ていただきたいのですが……」

 時雨の差し出した太刀を受け取り刀身を抜き出した。

 「うぉう、これはまた……」

 刀屋の目が商売人の眼に変わる。じっとりと刀身を確認してゆく。二尺九寸弱。反りは一寸強。

「茎を拝見しても?」

 刀屋の言葉に時雨は黙ってうなずいた。目釘を抜き、茎を見た刀屋は目を細めて観察する。

 【備前國友成びぜんこくともなり作】

 古備前の古刀で名刀鶯丸うぐいすまるを作刀した人物の物だ。

 「これを……使われているのですか?」

 刀屋の主人は[無茶な]という表情を浮かべている。普通に買うと数百両の値が付く代物だ。

「今朝、龍之介殿の刀と打ち合ったので。私も手入れは出来るのですが、龍之介殿と打ち合った後では専門の人に見てもらった方がよいかと思いましてね」

 時雨は刃切れの入った龍之介の刀を指さしていた。刀屋の主人は大きく溜息をつく。刀屋の主人は見世の小僧を呼び、何事かを囁いていた。小僧は黙ってうなずき外へ飛び出していく。

「これを見るとなると刀工に視てもらうしかありませんね。普段使いの刀はその小僧さんがお持ちの太刀で?」

 刀屋の主人の言葉に時雨はきょとんとした顔をする。

「違いますよ。それが普段使いのものですが? こっちのはこの子、小吉の差料ですよ」

 刀屋の主人の表情は一層険しい物になった。どうやら友成を使用していることに不満のようだ。

「よろしければ、えー、小吉様。そちらも見せていただけませんでしょうか?」

 刀屋の主人は一度鞘の中に時雨の太刀を収め、小吉の腰を見る。刀屋の言葉に小吉は太刀を外し手渡していた。受け取った刀を抜き、じっくりと確認する。こちらは二尺五寸強で反りが七分強。目釘を抜き、柄を外して茎を視ている。細まっていた目が今度は丸く見開かれた。

 【信房作】

 刀屋の主人はふるふると震える手で太刀を元に戻してゆく。その震える手で小吉に太刀を返していた。

「あなた様はどこかの大名様のご子息でしょうか?」

 時雨は刀屋の主人の問いに思わず吹き出していた。龍之介も少し笑うがその顔がすぐに引き締まる。小吉の表情に変化が無いのだ。時雨は気づいていない。もしかしたら気づいていないふりをしているのかもしれない。

「違いますよ。小吉は私の連れです。武士ではありませんが帯刀は問題ないですよ。私は秘密です」

 にまりと笑い時雨は自分の太刀に目を落とす。そこに外から息を切らせながら人が入ってきた。先程の小僧ともう一人白い服を着た人物だ。

「と、友成。友成は」

 白装束の男は慌てた様子で刀屋の主人に詰め寄った。時雨の刀をゆっくりと鞘から抜き差し出す。白装束の男は恭しく一礼し、太刀を受け取った。先程の刀屋の主人よりも更に厳しい眼で太刀を観察する。

 「むぅ、完璧だな。さすが備前の友成。名刀だ。しかし使い込んだような感じがするのだが……」

 白装束の男は[こんな物]を使う者がいるのかという表情を浮かべている。

「そこの女子おなごの普段使いの差料だそうだよ、善蔵ぜんぞうさん」

 善蔵と呼ばれた白装束の男は眼を見開いて時雨の方を向いた。刀屋の主人が言うには善蔵は刀工だそうだ。

「はぁ、無茶ですなぁ。普通は使いませんよ、こんな名刀。秘蔵するべき物ですがねぇ」

 善蔵の言葉に時雨はあきれたような顔をする。

 「あのさ、あんた刀鍛冶だよねぇ。飾るための刀打ってるの? それとも使うための刀打ってるの? 奉納刀ならそれでも良いだろうさ。ただ私は刀は使うための物だと思っているからね。たまたま私はそれを持っていた。相性が良いから使っている、それだけだよ」

 時雨は怒ったようにまくし立て[ふい]とそっぽを向く。善蔵は困った顔をしていた。ある程度当を得ていたからだ。

「まぁ、姉さんの言うとおりだな。確かに一理ある。俺も自分の打った刀は使ってもらうに越したことは無い、と言いたいが実際は使われないのが一番なのだがな。後はこの太刀のように良い物に近づきたいというところだな」

 善蔵はそれだけ言うと刃の部分をじっくりと視ていた。呼ばれた理由を思い出したようだ。

 「姉さん。刀身には問題ねえよ。この二階堂様と打ち合って傷が無いとはな。この太刀のそれか姉さんの腕か……」

 善蔵は太刀を刀屋の主人に返し、刀屋は太刀を組み立ててゆく。

 「いや、良い物を見せていただいた。眼福眼福。予備が必要ならいつでも訪ねてくれ。姉さんには格安で打ってやるよ」

 それだけ言うと善蔵はそのまま刀屋を後にする。目的を済ませた三人は刀屋の主人に挨拶をし活新流の道場へと向かうのであった。

■□■□芙蓉ふよう■□■□

 活新流の道場の前には数人の役人と門弟らしき者達が立っていた。検分は既に終わっているようだ。三人は門弟らしき者達に近づいてゆく。先程と同じように龍之介が話しかけた。

「此度は大変でございました」

 龍之介の挨拶に門弟らしき一人が丁寧な挨拶を返してきた。

 「これは二階堂様。宗家の遺体はここには……」

 殺された宗家の遺体は今は別の場所で検分されているらしい。龍之介は後日葬儀に出席したい旨を伝え、事情を聞き始めた。

 「このような時に申し訳ないのだが、相手のと打ち合った者と話がしたいのだが」

 龍之介の話しかけた相手は師範代で自分も打ち合ったと返事をする。龍之介は今朝、他の道場で聞いたことと同じことを質問していた。内容はほぼ同じで、型は見たことも無く右手を高く上げ左手をだらりと下げ、一切の打撃を受け付けず、どれだけ打ち据えても最終的に一撃で打ち負かされたという。

 「正直すさまじい一撃です。私は一太刀木刀で受けたのですが抜けてきたのですよ、衝撃が」

 師範代の男が言うには身体に密着していない状態で木刀で受けたのに、体内に衝撃が入り込んだということだった。それには時雨は覚えがあった。龍之介も[ああ]という表情をしている。

 「それと一瞬身体が近づいたときに不思議な嗅いだことの無い臭いがしました」

 時雨はそれを聞いた途端、ごそごそと自分の荷物を漁り始め、一本の筒を取り出した。それを少しだけ嗅いでみてほしいとお願いをする。師範代の男は訝しがりながらも軽くにおいを嗅いだ。

「あぁ! 似ていますね。 これにほぼ近い臭いです。これは?」

 師範代の問いに時雨は薬草だと言って誤魔化していた。その後、狐面のことを少し聞き、時雨達三人は活新流の道場を後にする。時雨の表情は硬くなり、天領である府中にも芙蓉の影響が出始まっていることをひしひしと感じていた。
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