時雨太夫 続・東海道編

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宮の宿

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「う~ん」

 小吉は全身に倦怠感を感じながら目を開けた。視界はぼやけており、辺りは暗い。全身の肉は張り詰めたように痛み、時雨について修行を始めた頃を思い出させた。
 起き上がろうとするが思ったように身体が動かない。小吉は足先、手の先から徐々に動かし自分の身体の状態を確認し始める。これは時雨に教わった自分の状態を確認する方法だ。自分の身体の末端から徐々に動かし不具合がないかを確認する。
 小吉はそのように全身を確認し、あることに気がついた。お腹に重たいものが乗っているのだ。そしてそれは何故か小吉の全身の動きを阻害していた。
暗闇に視界が慣れてくる。小吉は視線だけを動かし腹の位置を目を細めて確認した。

(……しぐれ……ねぇ……)

 そこには小吉を包む蒲団の上で涎を垂らしながら眠っている時雨の顔があった。時雨は小吉の腹の上で眠っていたのだ。とりあえず時雨を起こそうと声を上げようとするが口が動かない。
 小吉は全力を込めて動こうとしたが時雨はびくともしなかった。暫くじたばたしてみたが打つ手無しと諦め記憶を遡らせる。

(う~ん、確か三人組を見たところまでは覚えているんだけど……、そこから記憶がないなぁ)

 そう思いながら小吉は三人組の顔を思い浮かべる。付き人壱、付き人弐、そして初老の男を思い浮かべたとき、小吉の背中から一気に汗が噴き出した。

(そうだ。あの男。あの男を見てから記憶が無いんだ)

 小吉は頭の中から初老の男の事を振り払おうとするが中々出て行かない。そうこうしていると背中の汗が蒲団に染み、徐々に身体が冷えてきた。
 ぶるりと身体を震わせたつもりだったがぴくりとも動かない。そんな時、突然部屋に明かりが差し込んできた。
 襖の縁に女性らしき影が見える。

「まあ、お気づきになられましたか? 旦那様~、お医者様~!」

 女性は襖も閉めずに声を上げながら廊下らしき所を走り去った。

(どうせならこの寝ぼけ師匠を起こしていって欲しかった……)

 女性の大声にも時雨はぴくりともせず眠っている。当然小吉も動けない。暫くすると数人の走ってくる足音が聞こえてきた。
 白衣に身を包んだ男と女が二人だ。入ってきた男は蒲団に手を突っ込んで小吉の腕に触れる。二人の女性は必死に時雨を起こそうとしていた。

「んぁ、もう朝? それともご飯?」

 時雨が寝ぼけた声と共に頭を上げる。袖口で涎を拭いゆっくりと小吉の方を向く。時雨と小吉の目が合った。

「小吉!」

 時雨は勢いよく小吉の頭元へ移動してきた。同時に医者らしき男を吹き飛ばす。

「小吉、小吉!  無事かい? 目、眼を見せておくれ!」

 時雨は小吉の頭を掴むと小吉の顔にぎりぎりまで顔を近づけた。時雨の弾んだ息が小吉にかかる。
 いつもいたずらで近づいてくる時雨とは全く違う時雨の顔が目の前にある。小吉は心の臓が早鐘のように動くのを全身で感じていた。時雨はがっしりと小吉の顔を掴み眼の中をのぞき込んだ。
 唇同士が触れ合うほどに近づいている。小吉は顔を真っ赤にさせるが時雨は全く気にした様子は無い。

「あの、時雨殿。容態を視たいですので暫しお時間をいただけますかな」

 先程はじき飛ばされた医者らしき男が時雨に声を掛ける。時雨はがばりと振り返った。その鬼気迫る様子に男が身を引く。
 時雨はもう一度ゆっくりと小吉の顔を見る。そしておもむろに手を離した。

「あらららら、私ったらなにやってるんでござんしょ」

 照れた笑いを浮かべ時雨が小吉の側を離れる。小吉は時雨の照れたような表情の中に多少の曇りが含まれているのを見逃さなかった。それを追求する前に医者らしき男が小吉の全身を確認し始めた。
 時雨は少し離れたところに立ち様子を見ている。入ってきた女性二人の内一人が医者らしき男の補助をしており、もう一人は部屋の行灯あんどんに火を灯すとすぐに外に出て行った。菜種油の焼ける臭いが小吉の鼻を刺激する。

「とりあえず身体自体に異常はありません。目と鼻からの出血ですがあまりの興奮のための出血でしょう」

 医者らしき男はそう言って立ち上がる。時雨に薬らしき物を渡す。

「今日、明日、そうですな、五日は安静にしておいてください。絶対に無理はしないように。鍛えてあるようですがまだまだ身体が出来ていませんから。それと汗を大量にかかれたようですので水分を取り小まめに汗を拭き、着替えを欠かさないように……」

 そこまで言うと頭を下げて部屋から出て行く。助手らしき女性が部屋を出るときに時雨が包み紙を渡していた。小吉はそれを見るとゆっくりと起き上がろうとする。

「おっと、動くなと言われただろう」

 時雨が小吉の足の甲を踏む。それだけで小吉の身体は自由を失い蒲団に固定された。時雨の視線が[動くなよ]と言っている。あまりの迫力に小吉は目で分かったと合図をした。
 もっとも小吉自体も身体を動かしたいわけでは無い。全身に痛みが走り、気を抜けば呻き声を上げそうだからだ。

「どうですかな? お弟子様の様子は」

 聞き覚えのある声が小吉の耳を襲った。あの初老の男の声だ。小吉は背中にぬるい汗が湧き出すのを感じる。しかしそれはすぐに収まった。宮の宿で最初に会った時とは何か感じる気配が違う。
 襖の先から初老の男が顔を出した。会っているはずなのに小吉は今、初めて会ったような感覚を受けた。

「大丈夫ですか? 小吉様」

 
 初老の男が声を掛けてくる。小吉は[大丈夫です]と小声で答えた。時雨の表情に微妙な変化が起こる。

「どうですか? 身体の調子は。 お腹は空いてないですか?」

 初老の男の言葉に小吉は口と言葉では無く腹の音で返事をした。

「はっはっは。 良い音ですな。 粥を用意させますので暫しお待ちください」

 初老の男は時雨の方を向くと黙って頷いて部屋を出て行った。後には時雨と小吉だけが残る。

「時雨姉。どれくらい寝ていたの?」

 小吉の問いに時雨は若干考えるそぶりを見せた。

「そうだねぇ。十日という所かねぇ」

 時雨がゆっくりと小吉の横に腰を下ろす。時雨は旅装束では無く着物に着替えていた。

「十日……」

 あまりのことに小吉は声を出せない。ぱくぱくと口が動くだけだ。時雨はそんな様子の小吉の額に手を当てゆっくりと撫でる。

「気にするんじゃないよ。それよりさっきの御仁に殺意は沸かなかったかい?」

 小吉は時雨にどういう意味か聞き返し、事のあらましを教えて貰う。当然その内容に小吉は愕然とする。

「小吉。今度九鬼殿がおいでになったらきっちりと詫びを入れるんだよ」

 時雨は優しい眼差しを小吉に向ける。ゆったりとした時間が流れる。

■□■□■□■□

「失礼いたします。お食事をお持ちいたしました」

「お願いいたします」

 お互い口を開かず暫しの刻が流れた。襖の先から声が掛かり、時雨の返事と同時に襖が開く。先程の女性が膳を持って入ってくる。部屋の中に湯気と共に米の甘い香りが漂う。小吉の腹が盛大な音を立てる。
 女性は小吉と時雨の間に膳を置き一礼して去って行った。小吉がいそいそと起き上がろうとするのを時雨が腕で制す。

「熱いからね、冷まさないとね。 それに動くなと言われたでしょう」

 時雨は左手で小吉の動きを制したまま、右手で粥を掬いゆっくりと息を吹きかけ冷ます。なんと言うことの無い動作なのだが小吉は大人しく魅入っていた。それでも腹は粥を要求する。

「じゃあ、食べさせてあげる」

 小吉が反論する前に時雨は粥を口に含むと、咀嚼しそのまま小吉の唇に口を重ねた。粥を含んだまま器用に小吉の口をこじ開け、程良い温度と適度に砕かれた粥をゆっくりと流し込む。
 以前にも同じ事をやられたことのある小吉だが、今回は無理して拒むことは無い。全身が絶え間なく痛むことと、先日の時雨の乳の谷間に心を動かされていたからだ。

「おや、今日は素直だねぇ?。 ……ははぁ」

 時雨がにやりと笑い粥の入った椀を膳の上に置く。そのままゆっくりと着物の胸元を緩める。また椀を抱え、粥を冷やし口に含み同じ事を繰り返す。
 今度はゆっくりと口元に近づく。その間、小吉の視線には時雨の乳の谷間が映り続ける。
時雨は小吉の口に粥を流し込むとゆっくりと元の姿勢に戻り、同じ動作を繰り返す。粥が無くなると最後に白湯を含み、小吉の口の中に流し込んだ。

「小吉、暫くは楽しみなさいな。たまには良いだろう。でも自分でやっては駄目だよ。身体に負担が掛かるからね」

 小吉は思わず顔をしかめていた。それは当然だろう。いつもは憎まれ口を叩く粗野がある女性だが一度魅力にはまると恐ろしいのが時雨の特徴だ。小吉は行ったことが無いが時雨がいた吉原がどういう所で何をするところかは知っている。
 実際小吉も体験して良い歳だ。そして目の前には認識を変えた吉原で最高位だった美女が甲斐甲斐しく口で粥を食べさせてくれる。しかもおまけ付きだ。

「時雨姉、無茶言わないでよ」

 小吉は半分泣きそうな顔で時雨を見る。時雨はいたずらっぽい笑いを浮かべていた。

 「がまんおし」

 時雨はそう言うと少し待っているように言って部屋を出て行く。後には悶々とした小吉だけが残された。
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