僕の不適切な存在証明

Ikiron

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20話

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山間に面した邸宅でヒメーリアンの初老の婦人が庭仕事をしている。彼女が伸びすぎたマンドラゴラの剪定をしようとしたとき、山側の茂みからガサゴソと何かが動く物音がした。小動物ではない、大型だ、それも丁度人間位の。

 「ねえ!誰かいるの!」

 「……す……さ……い……」

 「え……」

茂みの奥から人の声のようなものが聞こえてきた。婦人は緊急ニュースでやっていた事件のことを思い出した。確かカイメラの集団が町を襲ったとか、犯人の一部はまだ逃走中だとか言っていたはず。

 「……やだ……」

もしかしたら茂みの奥にいるのはその逃げている犯人かもしれない。

 「ねえ!あなた!銃を持ってきて!」

妻の叫びを聞き夫が大型の銃をもって駆けつけた。この辺りには時折竜が人里に迷い込んでくる。それを追い払うのに大型の銃は必需品だった。

 「何があった」

 「あそこに誰かいる!ニュースで言ってたカイメラかもしれない!」

そう聞くや否や夫は銃を構えて臨戦態勢に入る。竜撃ちで鍛えた銃の腕だが、彼の家族を危うくするのなら人でも撃つのをためらわない。

 「動くな!そこで何をしている!」

銃を向けられているにも関わらず、人影はふらふらと動くのをやめなかった。夫の言葉にも応じない。夫は威嚇射撃をするために人影の後方の木に照準を向けた。温情をかけたのではない、可能な限り警告しておかないと裁判の時こちらが不利になるからだ。夫は引き金に指をかけ力を込めようとした瞬間、人影はばたりと倒れ込んだ。夫婦は思わず顔を見合わせた。人影に照準を向けたまま恐る恐る近寄ると。奇妙なことに気が付いた。彼は全身傷だらけで、顔の半分には大きなボロ布が巻かれていて顔がよくわからなかったが、布の隙間から除く被毛の生えた耳は自分たちヒメーリアンやカイメラの特徴ではなく……

 「ねえ!この人カイメラじゃないわ!タルタリアンよ!しかも酷い怪我!」

 「たすけ……くださ」

 「待て!何か言ってるぞ!」

 「……たしは……アヨ......オ……ハラ……ナラカ……の留学……です……たしは……今まで……この山で……監禁さ……」

 「今、監禁って……言ったか?」

 「まさか彼、カイメラに襲われたんじゃ……」

夫婦は再び顔を見合わせた、彼らは自分たちはとんでもない事件に巻き込まれたことに気が付いた。

 「待っていろ!今すぐ助けを呼ぶ!救急車と警察もだ!」

 「ああ……何てこと……すぐ助けが来るから!頑張って!」



アヨウが目を開けると真っ白な蛍光灯の光が目の中に飛び込んできた。思わず目を細めてしまう。そこは見知らぬ部屋の中だった、今までいた暗く埃っぽい部屋の中とは対照的な明るく清潔な部屋だ。硬い床の上ではなく柔らかいベッドの上に寝かされていた。腕を動かそうとすると、肘の内側に痛みが走った、点滴をされているようだ。潰れた目を覆っていたボロ布は清潔な包帯に変わっていた、それ以外の傷も治療されているようだ。アヨウは自分が病院にいることに気が付いた。

 「アヨウ!!」

アヨウの耳に自分を呼ぶ声が飛び込んできた。ずっと聞くことを切望してきた人の声。

 「ミオ……」

ミオはアヨウが目を覚ますのを見るや否や、追いすがり大粒の涙を流して泣き始めた。アヨウはそんなミオの頭をなでてやろうと手を伸ばしかかるが踏みとどまった。彼女に触れたい気持ちを、拳を握りしめ押し殺す。

その時病室の扉が開かれた、扉を開けたのはボーガン教授だった。飲み物を買って来たのか手には二つの紙コップを持っている。

 「ミオさんどうかしましたか!……アヨウ……!今すぐお医者さんと刑事さんを呼んできます」

泣き出しているミオを見て慌てたボーガンであったが、目を覚ましているアヨウを見て状況を察すると、報告の為に入ったばかりの病室から出て行ってしまう。二人の邪魔をしたくないのもあったのだろう。

 「私あなたが約束の便に乗ってなくってすごく心配して…それで私あなたが事件に巻き込まれたって、聞いて、それで病院にいるって……すごく心配したのよ……ほんとに、本当に………私はそれを聞いたら居ても立ってもいられなくって……お母さんも、お父さんも後から来るわ」

嗚咽しながらなんとか話すミオの様子を見てアヨウは自分も泣き出したくなった。だが泣くことは出来なかった。

病室の扉が再び開けられた。今度は初老のヒメーリアン男性をボーガンが連れてきた。スーツを着ていることから医者ではない、刑事の方か。

 「あなたの事件を担当するアドラーです。いくつか質問させていただいても?」

男は刑事であることを示すバッジを見せながら簡単に自己紹介した。

 「解りました」

アヨウは首肯し、アドラーは続ける。

 「貴方は助け出されたとき監禁されていたと言っていたそうですが、それは本当ですか?」

 「はい」

 「貴方を監禁した犯人が誰かわかりますか?」

 「カイメラの集団です」

アドラーの表情が険しくなる、明らかに心当たりがある様子だ。アドラーは自分の端末を操作するとアヨウに見せた。端末にはカイメラ達の死体が映っていた。

 「この中に犯人はいますか?」

アヨウが端末をのぞき込むと見知った少年の変わり果てた姿を見つけた。

 「彼のことを知っています。彼は私を監禁した者の一人です」

 「彼らがあなたを監禁した目的はわかりますか?」

アヨウが一瞬ミオを見やった。その行動はミオを不安にさせた。

 「アヨウ?」

アヨウは一度深い呼吸をすると声を震わせながら話した。

 「彼らは私に子供を作らせるのが目的でした。そうしなければ子孫を残せないからでしょう。彼らの女性と無理やり行為をさせられました。子供が出来たとも言っていました」

 「え……」

アドラーは絶句していた、そこまでは予想していなかったのだろう。アヨウは自分のすぐ傍にいる恋人の顔を直視することが出来なかった。彼女が今どんな顔をしているのか......合わせる顔がなかった。

アドラーが黙っていたのでアヨウは勝手に続きを話すことにした。吐き出さずにはいられなかった。

 「私は何とか逃げ出そうとした、でもうまくいかなかった。そのうち彼らの中の女の子が行方不明になりました、7歳くらいの女の子です。男たちは彼女を助けるために警察と戦ったと言っていました」

 「その女の子というのは彼女?」

アドラーは端末を操作してアヨウに写真を見せる。果たしてそれはラミャエルの写真であった。

 「はい」

 「あなたはどうやって逃げ出したのですか?」

 「それは……」

アヨウが続きを話そうとすると、ミオが突然立ち上がり病室の外に出て行ってしまう。これ以上聞いてはいられなかったのだろう。

 「ミオさん!」

取り乱したミオをボーガンが追って行った。アヨウはシーツを握りしめ身を震わせていた。泣き出しそうな顔をしていたが涙を流してはいなかった。

 「それは……私が……温情をかけられたからです……殺されても……おかしくなかったのに生かされた」

アヨウの涙のない嗚咽が病室にこだまする。
起きてしまったことはもう元通りには戻らない。
それでも生きることを選んだのだ、だからもう生きることをあきらめることはできない。



某日某所
黒い服を着たタルタリアンの女性が乳母車に乗せた子供をあやしている。黒髪に蜷局を巻いた蛇のような角が特徴的な美しい女性だ。丁度左側の角が隠れるように帽子を斜めに被っている。簡素な喪服のようないでたちだが彼女に非常に似合っていた。

 「ハイ」

一人の痩せぎすのヒメーリアンの少年が彼女に声をかける。

 「あ……君いつもここにいるよね?その、僕もいつもここを通るんだけど……」

少年は女性に初めて話しかけるのか緊張しているようだ、酷く赤面している。
女性はそんな少年に曖昧な笑みを返すだけで何も答えない。少年は脈ありと思ったのか、あるいは沈黙に耐えかねたのか、一人で話を続ける。

 「あ……その子とも、一緒にいるよね?弟か妹かな?子供好きなの?……僕も好きなんだけど」

少年は乳母車の赤ん坊に触れようとした、その時赤ん坊を包んでいた産着がハラリとはだけた。

 「え?」

それは奇妙な赤ん坊だった、タルタリアンのような尾と角が生えているのに耳はヒメーリアンのようだった。まるで両者の混血のような……

その時少年は身動きが取れないことに気が付いた。まるで空気が粘土か何かに変わってしまったように指一本動かせない。彼の体の周りに見えない何かがあってそいつに拘束されていた。

 「破滅するくらいなら、好きにならなければよかったのに」

少年は女性の声を初めて聴いた、よく透る少年のような声だ。嘲るような、憐れむような口調でつぶやいた。少年にはその声に感慨を持つ暇はなかった、見えない何かの締め付けが強くなり意識が薄れてゆく。

薄れゆく意識の中で少年は女性の帽子がハラリと落ちるのを見た。帽子の下の彼女の角は折れて欠けていた。

彼は今日も呪われた糧を得る。たとえ誤った道でも歩みを止めることはできないのだから。
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