死者は嘘を吐かない

早瀬美弦

文字の大きさ
上 下
1 / 20
序章

序章

しおりを挟む
 彼に関わる人は不幸になる。


 電車は徐々にスピードを落とし、体を大きく揺らして停まった。開いたドアから熱気が襲い掛かってきて、降りるのをわずかに躊躇う。心地よかった車内から一歩踏み出せば、強烈な日差しが肌に突き刺さる。ホームには屋根すらないほぼ無人の駅、電車が去ると蝉の音だけが空間を支配していた。
 午後二時、一日の中で最高気温を記録する時刻。灼熱の太陽がじりじりとコンクリートを焼き付け、立っているだけでも倒れそうな暑さだった。思い返せば今朝、天気予報のお姉さんが今日は全国各地で猛暑日でしょう、と笑顔で伝えていた。もう聞き慣れたフレーズだ。
「……あつーい」
 早瀬美琴は前にいる青年、高遠雪人に訴えてみるが返事はない。むしろ聞こえていなかったようにすたすたと歩き始めてしまい、美琴は慌てて後を追った。
「待って、ちょっと、高遠!」
 高遠は制止を聞かず、改札を通るとバス停に向かった。うだる暑さの中、出歩く人は見当たらない。閑散としたロータリーにはアイドリングしながら寝ているタクシーの運転手、船を漕ぐ売店の老婆しかおらず、バスの案内所は無人だった。ロータリーの真ん中に聳え立つ時計塔には温度計もついていて、現在の温度は三十八と表示されている。美琴は我が目を疑い、何度か瞬きをして目を擦り、再度見るも数字は変わっていなかった。先ほどより暑く感じられた。美琴は今朝の会話を思い出す。
 まだしっかり目が覚めていなかった美琴は、カップに浮かぶ緑茶のティーバッグを見つめていた。このホテルに滞在してもう一週間になる。高遠が荷物をまとめていたので、そろそろ移動するのは感づいていた。
「これから木佐萬村(きさよろずむら)に向かう」
 美琴は顔を上げて高遠を見た。高遠は対面でテーブルの上にノートパソコンを広げていた。聞きなれない名前に「どこ、そこ」と尋ねる。大体、目的地が決まるのは当日だ。急な移動はもう慣れっこである。
「この県の外れにある村だ」
「遠いの?」
「そうだな。電車で三時間ぐらいだ」
 美琴はテーブルに突っ伏す。
「仕事?」
「……いや、その村にイブキ様と呼ばれる霊能者がいるらしい」
 高遠は自身を呪った霊能者を探している。
「はぁ……、イブキ様、ねえ」
 美琴はため息交じりに聞いた名前を呟いた。
「天と会話し、風の声を聞き、大地の息吹を感じられるとかいう霊能者だ。そのイブキ様とやらが、去年、一度死んで生き返ったという」
「……え、何それ」
 人が死んで生き返るなんてまるでファンタジーだ。美琴は「ありえない」と呟いて眉間に皺を寄せた。高遠はいつも通りの無表情でパソコンの画面を見ていた。
「真偽の程は分からないが、無視は出来ない。ある儀式を行ったとか言っていた。それを調べたい」
「どうせ門前払いされるよ」
 予想される態度に美琴はまたため息を吐く。これまで何人かの霊能者と会ったが、簡単に会わせてくれる人は滅多にいない。一ヶ月間、毎日通い詰めてようやく会わせてもらえたり、不審者として捕らわれかけたりなど、大抵は一筋縄でいかない。霊能者と会うのは嫌ではないが、すんなり事が進まないのは隣で見ていてイライラする。だが美琴は高遠の行動に口を挟めない。
 二人の出会いは三年前、美琴のいる村に高遠がふらりとやってきた。ドが付くほどの田舎から一歩も出たことのない美琴が、全国を旅する高遠に憧れ勝手についてきて旅が始まった。最初は相手にされていなかった美琴であるが、何度も何度もしつこく付きまとうと高遠も観念し同行を許した。それが運の尽きだった。
 自分のことは自分でする。自分の身は自分で守る。金は一切貸さない。そんな条件を突きつけられたが、今のところ、美琴がそれを守っている様子はない。困ればすぐに高遠を頼るし、自分の身が危なくなれば高遠を盾にして逃げ、これまで借りた金は一切返していない。そんなことから何度もケンカし、「家に帰れ!」と言われても美琴は高遠に付きまとって今まで続いている。旅の最中、互いに散々な目に遭って、高遠は連れてきたことを後悔し、美琴は外の世界への憧れなんて疾うに消え失せた。なのにどうして付き纏われているのか、高遠は甚だ疑問だ。
「死んだ人が生き返るなら、限界集落なんてとっくに無くなってるよ」
 それよりも人口増加による資源不足のほうが問題になりそうだ。戯言は無視して高遠は話を続ける。
「死者との交信、降霊なんかも出来るらしい。……盛りだくさんだな」
 一瞬、高遠の表情から呆れが見える。美琴もこれまで幾人かの霊能者と顔を合わせたが本物なんて呼ばれる人は一握りだ。そのほとんどは自分の存在をなるべく潜ませ、公の場には出ない。聞いてもいないのに、素晴らしい霊能者と自称する人に限って、偽者だったりする。
「それでも行くんでしょ?」
「……そうだな」
 高遠は画面を見つめてそう答えた。
 それから在来線を乗り継ぎ、ようやくこの駅に到着した。だがまだバスでの移動が待っている。途中、十分から二十分ほどの待ち時間はあったけれど、食事するほどは無く、それに加えて普段より朝食が早めだったので空腹が限界だった。電車に乗っている間、何度も何度もしつこく腹が減っていると訴えたが、高遠は揺さぶられようとも目の前で喚かれようとも本を取り上げられて窓から捨てられようとも美琴の要望を無視した。
 ただ本を窓から投げ捨てたことは激怒した。運よく線路を飛び越えて畦道に落ちたので事故は免れたもの、もしも線路上に掛かってしまえば大惨事になる。人に当たれば怪我をする可能性だってある。周囲にいた人がそそくさと逃げ出すほどどやしつけられた美琴だったが、反省したのは数分ほどで次の駅に到着する頃にはすっかり忘れて高遠に途中下車を勧めていた。
 この早瀬美琴という女みたいな名前の男は今年で三十になると言うのに、そんな非常識をさも当然に行う。
「ちょっと!」
 頭にきた美琴は風に揺れる長い髪を掴んだ。男のくせにダラダラと伸ばした髪は後ろで一つに括られている。それをぐいと引っ張ると「やめろ」と手を叩かれ、美琴は反射的に手を離した。
「おなかすいた」
「少しぐらい我慢しろ」
「たーかーとーおー!」
「うるさい」
 今度は頭を叩かれる。髪の毛を掴もうとしたが、同じ手は使わせないよう前へ持って行ったので、美琴の手は空振りした。
「ねえ、次のバスでもいいじゃん。ご飯食べようよおお。おなかすいて倒れちゃうよ。ここで僕が倒れたら、恥ずかしい目に遭うの高遠だよ。いいの? ねえ、いいの!?」
 顔を覗き込もうとすると、手で押しのけられる。かなり鬱陶しいのか、高遠の表情は不機嫌に変わった。
「勝手に倒れろ。俺は一人で行く。むしろ好都合だ」
 目も合わさず、高遠はさらりとそう言ってもう一度腕時計で時刻を確認した。それにこんなところで倒れても誰も助けてくれず野垂れ死にするオチだ。恥ずかしいも何も無い。
 高遠への訴えを諦めた美琴は図々しく「ああー、特上寿司がいいなぁ」と言いながら店を探し始めた。電車を乗り換えた時、売店で飲み物を買って有り金が尽きたはずだが、一体、その金は誰が払うと言うのか。「お金なくなっちゃったあ!」と自己申告があったので、高遠もそのことは知っている。電車に乗り込む前にコンビニで菓子を買い込んでいたから、腹が減っているならその菓子を食べればいいのに、なぜかその選択肢は美琴の中に無い。
 出発時刻の確認が終わり、高遠は寿司屋を探している美琴を無視して、バス停横の蕎麦屋に入った。
「あ、待ってよ」
 高遠が居なければ食事にはあり付けない。美琴もすぐに蕎麦屋の暖簾をくぐった。
「お寿司ないかなー」
 机の上に置いてあるメニューを高遠より先に手に取り、美琴はページを捲る。「いらっしゃいませ」と面倒くさそうに対応する初老の男性に、高遠は「ざるそば二つ」と勝手に注文する。昼時を過ぎているせいもあるのか、店内に客の姿は無い。
「え、待ってよ。僕、違うのがいい!」
「他にするなら金は自分で払え」
 奢ってもらう美琴に選ぶ権利は無い。高遠は冷たく言い放つとバックパックの中からノートパソコンを取り出した。所持金ゼロの美琴は反論できないが、黙りっぱなしも癪なので頬を膨らませてモニターの背を睨み付ける。
 蕎麦が来るまでの時間を利用してそのイブキ様とやらの情報を整理するつもりなのか、高遠はパソコンの操作を始めた。美琴は肘をついて背に印刷された企業ロゴを見つめる。ちょっかいを出すぐらいしかやることが無くて退屈だ。
 自然が溢れすぎている村で育った美琴は機械に疎く、パソコンや携帯電話など高遠の所持品は珍しい物ばかりだ。色々と教えてもらい興味は持ったが、使い方をいまいち理解できなかったので高遠が動かしているのを見るだけだ。高遠は乱暴にキーボードを叩いている。それからじれったくなったのか、ポケットから携帯を取り出して画面を確認した。
「チッ」
 舌打ちが聞こえた。ここではインターネットに繋げられなかったのだろう。美琴はしてやったりと言わん顔で高遠を見た。
 都会と呼べるほど大きい街ではないが生活するには不便ないところで生まれ育った高遠は最近の若者らしく電子機器を容易に扱える。身の回りには便利な機械が溢れかえっていたのだからそれを手足のように動かせるのは当たり前だ。しかしそれは人口の多い市や街に限定され、住民の殆どが老人だったり少数の村にはなかなか普及しない。この近辺も特急など通らないほどの田舎だ。電波はあるかないかのギリギリで、それを使用するインターネットも繋がりにくい。受信したついでに情報ぐらいローカルに落としておけばこんなことにはならなかっただろう。田舎についてはまだまだだな、と美琴はほくそ笑む。することがなくなった高遠は手持ち無沙汰に古ぼけたメニューを捲っていた。常に忙しそうにしている高遠にしては珍しい光景だった。
 老人が気だるげに運んできたざる蕎麦を十分ほどで平らげ、高遠が二人分の料金を払って店から出た。奢ってもらったのに、美琴は礼すら言わず照りつける太陽を睨み「暑い」と呟いた。そんな美琴に慣れた高遠は財布をジーンズのポケットに押し込み美琴の隣を通り過ぎた。
「バス、何時なの?」
「三時」
「ええー、まだ三十分あるじゃん」
 美琴は長針が六を指している時計を見てげんなりする。こう乗換えが上手くいかないのは都会ではあり得ない。
「一日三本しかないから仕方ないだろう」
 バスが少ないのも、田舎独特だ。
 美琴はベンチに座ってぐったりと項垂れた。高遠は駅前をきょろきょろと見渡して何かを探している。ここを逃すとどこで買い物できるか分からないので今のうちに済ますつもりだろう。高遠は五年も旅をしているので用意周到だ。
 どうやら銀行を探していたようで、メガバンクの看板を見つけると一目散に歩き出した。高遠は買い物や宿泊費などほとんどクレジットカードで済ましている。けれど田舎へ来るとそれも使えない。一度だけクレジットカードが使えず、美琴が立て替えてやったことがある。そのときの態度があまりに尊大だったのと、ネチネチ言われるのに腹が立ったのか、それ以来、高遠は美琴に金を借りていない。
 高遠の準備が整ったのはバスが来る十分前だった。その間、ずっとバスのベンチに座っていた美琴の疲労はピークに達し、戻ってきた高遠を見るなり「遅いよ!」と文句をたれてあからさまなため息を吐いた。心労も含めて疲れているのは高遠のほうだが、彼はそんなことおくびにも出さない。
今日、そのイブキ様とやらに会えないのは高遠も憶測済みか、タクシー会社の番号をメモに取っていた。山中の集落だと宿泊先が見つからないことも多々ある。時間が遅くなればバスもなくなるのでその保険だ。それならいっそ行きもタクシーを使えばいいもの、金銭面に細かい高遠は時間よりも金が優先だ。バスがあるならタクシーなど使わない。
 ようやくやってきたバスに乗り込んで美琴と高遠は目的地を目指す。がらんとしたバスに乗客は数人しかいない。隣で質問責めされるのが嫌なのか、高遠は美琴と距離を置いて座った。面白くも無い田んぼと山だけの風景を見つめているうちに眠気がやってきた。田舎で育ったので、こんな風景は見慣れている。
 がくんと大きく車体が揺れて美琴は目を覚ました。知らないうちに寝ていたようだ。先ほどまで前に座っていた初老の男性がいなくなっている。元々、高遠には無理を言ってついてきたので、寝ているのをいいことに置いていかれる可能性がある。勢いよく振り返ると本を読んでいる高遠と目が合った。安堵して胸を撫で下ろすと、高遠のいる方向から舌打ちが聞こえた。
 バスは山の中に入っていた。緑の隙間から強い光が差し込んでくる。しっかり舗装されていないのかバスはがたがたと揺れ、道は曲がりくねっている。つい最近、雨が降ったらしく路面が濡れていた。山の側面に目を向けると、ところどころ斜面を支えるコンクリートの壁から水が吹き出ていた。雨量が多かったのか、かなり勢いが良かった。山の麓でみな降りていて、乗客は美琴と高遠だけだった。
 山を登り始めて二十分、ようやく高遠が停車ボタンを押した。バスはすぐに停まり、下りてみると水のさざめく音が聞こえた。近くには川があるらしい。湿り気のある風は太陽が木々に遮断されているおかげで幾ばくか涼しく感じられる。バス停は三叉路にあり片方をバスが登っていき、高遠は時刻表を確認してバスとは反対の道を歩き出した。
「えええええー、まだあるのぉ?」
 移動に疲れたのか、美琴は文句しか言わない。
「そこにいたければ、そこにいろ。まだバスは一本あるから、それに乗って帰れ」
 先を歩く高遠は随分と高いところから美琴を見下ろしている。
「高遠のバカ!」
 苦し紛れの暴言など聞きなれているのか、高遠は目もくれず山道を登り始めてしまった。
 今から向かう木佐萬村は中腹にあり、続く道もこの県道のみだ。道も狭く普通車がぎりぎりすれ違える程度の幅しかない。ジージーとセミの鳴き声が両サイドから聞こえてきてかなり煩い。時たま吹く風は心地よいけれど、とにかく坂が急で足が痛い。
「あー、もう、疲れたよおお! 高遠! おんぶ!」
 喚いてみるが体力を消耗するだけで何の意味もなかった。高遠は振り向かずにそのまま行ってしまう。
「……そう言えば、飲み物あったよな」
 歩く気力を失ったので、美琴はその場にしゃがみこんでリュックサックの中を漁る。有り金全てをつぎ込んだジュースがあったはずだが、服やお菓子が邪魔をしてなかなか見つけられない。日頃から片付けていないせいで、中はめちゃくちゃになっていた。時折バリバリと何かが割れる音がする。探すのを諦めて、小さくなる背中に向かって叫んだ。
「高遠おー! 飲み物おお!」
「黙って登れ!」
 遂に堪忍袋の緒が切れた。鬼のような形相で振り返ったので、美琴は黙って立ち上がり歩き出した。暑くて疲れているのは高遠も同じだ。いい大人が子供のように喚くのをよくもここまで我慢できたものだ。
美琴は一度立ち止まって額を流れる汗を拭う。顔を上げると高遠の行く先は木に覆われていて、山に入ってからずっと同じ景色が続いていた。
               
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

婚約破棄されましたが、幼馴染の彼は諦めませんでした。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,081pt お気に入り:281

言いたいことはそれだけですか。では始めましょう

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,316pt お気に入り:3,569

任侠高校生 ~The ultimate appointment

青春 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

【完結】獅子の威を借る子猫は爪を研ぐ

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:916

are You ready

青春 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:1

最後の夏休み

ミステリー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

鳥籠王子

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:25

処理中です...