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最終章 逃避行の終末
俺と僕
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「……戒斗……?」
「お父さん何言ってるの? 悠斗でしょ?」
「いや。確かに『お』父さんとは言ってるが、俺と言った。それに雰囲気が。随分前にも同じ雰囲気をしていたんだよ」
「お父さん? さっきから何を言ってるの?」
「そう、そうだ! 悠斗が初めて現れた日だ。あの日、俺は確かにこの戒斗を見たんだ」
「ねえ。さっきから何を言ってるの? 説明してくれないかしら」
意外だった。常と言っていいほど一緒にいたはずの母が気づかずに、仕事ばかりでずっと無関心だった父が気づいたのだ。
母は未だに状況が飲み込めていないらしい。黙って俺を見ている父の肩を叩きながら説明を求め続けている。
「父さん。なんでわかったの」
「やっぱり戒斗か。お前こそ何をしてるんだ?」
一人置いてけぼりにされた母が憤慨し、真夜中にも関わらず悲鳴のような声で父を問い質し始めた。
「さっきから二人で何を言ってるの! お父さんが言わないならもういいわ。悠斗! 説明しなさい!」
隠されていた本性が現れたのか。気が動転しているだけなのか。
豹変した母に驚きながらも、俺はわかりやすく説明をしていった。
父が見たことのある俺は、悠斗を演じていたときの『戒斗』であること。
途中までは二重人格を装っていたこと。ふとした瞬間全ての記憶がなくなり、悠斗は本当に『もう一人の人格』として形成されてしまったこと。
物語で言えば〝なんてご都合主義〟なのだろうが、これが真実だ。
いや、これも嘘。なのかもしれないな。
全ては俺の弱さと、普通に生きてみたいという願いから始まったのだから。
聞き終えた父は瞠目している。母はやはりと言うべきか。わかりませんと顔に書いてある。
極端な二人の反応を見ていると急に可笑しくなってきて。
「は、ははっ。あははははは……!」
突然、笑い始めた息子を見て気が触れたと思ったのか。
「だから言ったじゃない。悠斗が戒斗を死なせたのよ!」
見当違いも甚だしいことを叫び始めた母。
「母さん。落ち着け。今、目の前にいるのは戒斗だ。話を聞いただろう?」
「戒斗が辛い現実から逃げたくて悠斗を演じてた? それがいつの間にか本当に病気として悠斗が確立されて、ついさっき全てを思い出したって言うの? そんな馬鹿な話がある? そんなのただの狂言じゃない。可笑しいわよ。じゃあ、私たちが、私が今までずっと待ち望んでいた〝普通の〟戒斗はどこに行ったの? 私の戒斗はどこなの? ねえ?」
焦点の合わない目でずっと俺を見ている母は、同じことを繰り返している。
「あんたじゃないの。私がずっと待ち望んでいたのは、悠斗でも戒斗でもなくて、病気になる前の戒斗なの! ねえ、戒斗を返してよ。私が産んだ戒斗を返して! 今のあなたは普通じゃない。こんな気が狂った人間が言うようなことを、私の戒斗が言うはずないだろ! 返せ。返して! 私の子供を返して!」
泣き喚き、部屋に散乱しているゴミを手当たり次第に投げ始めた。
――母は俺のせいで狂ってしまった。
暴れる母を止める父、遠くから聞こえるサイレンの音。
全てが非現実的だ。
搬送先は橘病院だった。女の人一人に男性警察官が三人がかりで抑えつけ、やっと覆面車両に押し込まれても母はまだ暴れていた。
理性が崩壊した人間の力というのは凄まじいものだと、どこか他人事のように眺めていたが、今の母の姿が今日までの俺だと思うと、両親に背負わせたものはとても重い。
それを一人で背負い、立っていた母はとっくに限界を超えていたのだ。
もっと早く全ての嘘と真実に気がついていれば。目の前の惨劇に罪悪感で押し潰れそうになる。
鎮静剤で大人しくなった母は、穏やかな顔で眠っている。
当直だった主治医が父と俺を別室に通してくれた。会議室で主治医と対面する形で椅子に腰を下ろす。
先陣を切ったのは父だった。
「あの……妻はやっぱり病気……なんですか?」
「今の状況を見る限りではそうでしょうね」
「良くなるんでしょうか?」
「それはこれからの治療と、本人の気持ち次第ですね。ただ、一つだけ確かなことがあります」
「なんですか?」
「俺と離れることだよ」
主治医が口にする前に答えを告げた。
一瞬息を詰まらせた父が主治医と俺を交互に見遣る。
「それは本当ですか?」
「お父さんもお分かりでしょうが、奥さんは病気が治った〝元の〟戒斗君ではなく〝普通の〟戒斗君を望んで今まで支えてきたのです。それが蓋を開ければ元の息子がいつまでの息子を指すのかわからない。挙げ句の果てにはずっと騙されていた。奥さんの中で〝今の〟戒斗君は既に奥さんの望んだ結果ではないんですよ」
「認めたくないから。今の俺を悠斗と思い込むことで、心のバランスを保とうとしてるんだ」
「だからあんなことを」
父にとって俺は憎い相手となっただろう。
最愛の妻を殺した仇。
血の繋がる人間によって、絆で結ばれた最愛の家族を奪われたのだから。
自己の確立のために他人を犠牲にする。いつだって人間は自分勝手で臆病な生物だ。
主治医と父がこれからの方針を話している。その中には俺のことも含まれていた。
「わかりました。しばらくは入院させて戒斗と距離をあけさせます」
「そうして下さい。戒斗君もそれでいいね?」
「構いません。でも、いつまでも入院しているわけにはいかないですよね? 退院してきたらどうするんですか?」
「それは……お前もそろそろ自立したらどうだ?」
「バイトしをして一人暮らしをしろってこと?」
「そのような段階の話ではありません」
一触即発の雰囲気を察した主治医が仲裁に入る。
「退院後のことはもう少し落ち着いてからにしましょう。今はお母さんの精神を安定させることが先決です。それと戒斗君。君もだ。いつまでも嘘が通るとは思わないことだよ」
話が一区切りしたところで、父は母の様子を見に行くといって席を立った。頭を下げると早々に部屋を出て行こうとする。俺も後に続こうと腰を上げた。
「戒斗君。君は少し残ってくれないか? お父さんいいですか?」
「わかりました。それじゃあ戒斗。父さんは病室にいるからあとで来なさい」
「わかった」
一人残された俺は手持ちぶさたに扉の前で立ち尽くした。
「お父さん何言ってるの? 悠斗でしょ?」
「いや。確かに『お』父さんとは言ってるが、俺と言った。それに雰囲気が。随分前にも同じ雰囲気をしていたんだよ」
「お父さん? さっきから何を言ってるの?」
「そう、そうだ! 悠斗が初めて現れた日だ。あの日、俺は確かにこの戒斗を見たんだ」
「ねえ。さっきから何を言ってるの? 説明してくれないかしら」
意外だった。常と言っていいほど一緒にいたはずの母が気づかずに、仕事ばかりでずっと無関心だった父が気づいたのだ。
母は未だに状況が飲み込めていないらしい。黙って俺を見ている父の肩を叩きながら説明を求め続けている。
「父さん。なんでわかったの」
「やっぱり戒斗か。お前こそ何をしてるんだ?」
一人置いてけぼりにされた母が憤慨し、真夜中にも関わらず悲鳴のような声で父を問い質し始めた。
「さっきから二人で何を言ってるの! お父さんが言わないならもういいわ。悠斗! 説明しなさい!」
隠されていた本性が現れたのか。気が動転しているだけなのか。
豹変した母に驚きながらも、俺はわかりやすく説明をしていった。
父が見たことのある俺は、悠斗を演じていたときの『戒斗』であること。
途中までは二重人格を装っていたこと。ふとした瞬間全ての記憶がなくなり、悠斗は本当に『もう一人の人格』として形成されてしまったこと。
物語で言えば〝なんてご都合主義〟なのだろうが、これが真実だ。
いや、これも嘘。なのかもしれないな。
全ては俺の弱さと、普通に生きてみたいという願いから始まったのだから。
聞き終えた父は瞠目している。母はやはりと言うべきか。わかりませんと顔に書いてある。
極端な二人の反応を見ていると急に可笑しくなってきて。
「は、ははっ。あははははは……!」
突然、笑い始めた息子を見て気が触れたと思ったのか。
「だから言ったじゃない。悠斗が戒斗を死なせたのよ!」
見当違いも甚だしいことを叫び始めた母。
「母さん。落ち着け。今、目の前にいるのは戒斗だ。話を聞いただろう?」
「戒斗が辛い現実から逃げたくて悠斗を演じてた? それがいつの間にか本当に病気として悠斗が確立されて、ついさっき全てを思い出したって言うの? そんな馬鹿な話がある? そんなのただの狂言じゃない。可笑しいわよ。じゃあ、私たちが、私が今までずっと待ち望んでいた〝普通の〟戒斗はどこに行ったの? 私の戒斗はどこなの? ねえ?」
焦点の合わない目でずっと俺を見ている母は、同じことを繰り返している。
「あんたじゃないの。私がずっと待ち望んでいたのは、悠斗でも戒斗でもなくて、病気になる前の戒斗なの! ねえ、戒斗を返してよ。私が産んだ戒斗を返して! 今のあなたは普通じゃない。こんな気が狂った人間が言うようなことを、私の戒斗が言うはずないだろ! 返せ。返して! 私の子供を返して!」
泣き喚き、部屋に散乱しているゴミを手当たり次第に投げ始めた。
――母は俺のせいで狂ってしまった。
暴れる母を止める父、遠くから聞こえるサイレンの音。
全てが非現実的だ。
搬送先は橘病院だった。女の人一人に男性警察官が三人がかりで抑えつけ、やっと覆面車両に押し込まれても母はまだ暴れていた。
理性が崩壊した人間の力というのは凄まじいものだと、どこか他人事のように眺めていたが、今の母の姿が今日までの俺だと思うと、両親に背負わせたものはとても重い。
それを一人で背負い、立っていた母はとっくに限界を超えていたのだ。
もっと早く全ての嘘と真実に気がついていれば。目の前の惨劇に罪悪感で押し潰れそうになる。
鎮静剤で大人しくなった母は、穏やかな顔で眠っている。
当直だった主治医が父と俺を別室に通してくれた。会議室で主治医と対面する形で椅子に腰を下ろす。
先陣を切ったのは父だった。
「あの……妻はやっぱり病気……なんですか?」
「今の状況を見る限りではそうでしょうね」
「良くなるんでしょうか?」
「それはこれからの治療と、本人の気持ち次第ですね。ただ、一つだけ確かなことがあります」
「なんですか?」
「俺と離れることだよ」
主治医が口にする前に答えを告げた。
一瞬息を詰まらせた父が主治医と俺を交互に見遣る。
「それは本当ですか?」
「お父さんもお分かりでしょうが、奥さんは病気が治った〝元の〟戒斗君ではなく〝普通の〟戒斗君を望んで今まで支えてきたのです。それが蓋を開ければ元の息子がいつまでの息子を指すのかわからない。挙げ句の果てにはずっと騙されていた。奥さんの中で〝今の〟戒斗君は既に奥さんの望んだ結果ではないんですよ」
「認めたくないから。今の俺を悠斗と思い込むことで、心のバランスを保とうとしてるんだ」
「だからあんなことを」
父にとって俺は憎い相手となっただろう。
最愛の妻を殺した仇。
血の繋がる人間によって、絆で結ばれた最愛の家族を奪われたのだから。
自己の確立のために他人を犠牲にする。いつだって人間は自分勝手で臆病な生物だ。
主治医と父がこれからの方針を話している。その中には俺のことも含まれていた。
「わかりました。しばらくは入院させて戒斗と距離をあけさせます」
「そうして下さい。戒斗君もそれでいいね?」
「構いません。でも、いつまでも入院しているわけにはいかないですよね? 退院してきたらどうするんですか?」
「それは……お前もそろそろ自立したらどうだ?」
「バイトしをして一人暮らしをしろってこと?」
「そのような段階の話ではありません」
一触即発の雰囲気を察した主治医が仲裁に入る。
「退院後のことはもう少し落ち着いてからにしましょう。今はお母さんの精神を安定させることが先決です。それと戒斗君。君もだ。いつまでも嘘が通るとは思わないことだよ」
話が一区切りしたところで、父は母の様子を見に行くといって席を立った。頭を下げると早々に部屋を出て行こうとする。俺も後に続こうと腰を上げた。
「戒斗君。君は少し残ってくれないか? お父さんいいですか?」
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本当にありがたく思います。
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