君たちが贈る明日へ

天野 星

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最終章 逃避行の終末

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 僕が自分の意思でかげを彷徨い始めたのはいつ頃だったのか。気づいた時には別人格として存在していた。
 初めて外に出たときはこのまま悠斗として、一人の人間として生きてみようと思った。
 でも、乗っ取ることができなかった。戒斗が起きているときに意識をすり替えようとしても上手くいかない。
 やきもきする中、戒斗を通して世界を見ていくうちに、僕は僕が生まれた本当の意味を知った。
 絶望と同時に歓喜したことを覚えている。
 何故、歓喜したのかわからない。ただ、どうしようもなく嬉しかった。
 存在理由ができたから。自己、として確立したから。
 とにかく、しなければならないことがわかった途端、僕はあらゆる手段を講じて戒斗を生かそうとした。
 演じていた記憶がないことも、自分が二重人格だと診断されたことも忘れてしまった都合のいい戒斗。それを利用する手はなかった。
 主治医に会い、両親とも今まで通りに接する。思い出せるタイミングを計りながら、ゆっくり、でも確実に外堀を埋めていく。
 ただ、夢以外に戒斗と接触する方法がなかったのは辛かった。
 闇の向こう側に夢を見ながら『悠斗』を演じていた『戒斗』には、陽の下に出ることができなかったのだろう。そんな制限が僕を苦しめることになる。
 何度訴えかけても反応を示さない。やっと気づいたかと思えば声が聞こえない。低速すぎる動きは、僕の中の秘めたはずの想いを呼び起こさせた。
 嫉妬と羨望に覆い尽くされそうになり、諦めかけたときに思いついたのが『両生類の進化』にコメントを残すこと。

『5月1日
 ずっと俺は独りだ……生きているのに死んだも同然のガラクタ。死ぬのも怖い。生きることも怖い。いったいどうすればいいのか誰か教えてほしい』

 ひたすら孤独に耐える悲痛な叫び。いつ〝演技〟から〝人格〟にすり替わったのかを知らない僕は、どの日の日記にコメントを残すべきなのかがわからなかった。
 悩んだ挙げ句に決めたのが、梅雨を迎えた六月のことだ。
 そこから先はずっと見てきたとおり。
 加速しては停止する。それの繰り返し。
 夜を彷徨い、進化させていく。飛べない僕はずっと漂うだけ。
 戒斗に生きて欲しい。生きたいと思っていた記憶を思い出して欲しい。一心不乱に駆け抜けた日々はもうじき消えてしまう。
 戒斗が死を決意して僕と同じように夜を歩く。思い出の公園で見えた一筋の光は、夢の中で見たものと同じだ。
 戒斗を消滅させて、僕に全てを背負わせる。間違いな決断を疑うことなく自宅へと駆けていく戒斗は本当に愚かで愛おしい。
 もう気づいているはずの答えに対して、僕は何も答えない。
 問いかけられても、伝える手段が失われてしまったのだ。言葉という繋がりが消えた今。僕を待っている運命は――。
 階段を駆け上がり部屋へ入ると、交換日記ではなくパソコンを開いた。
 そこに打ち込まれた文章は、確かに僕宛てのものだった。

『陸に初めて上がった生物いきもののように、地上で息をすることが苦しかった』

 もう一人でも大丈夫。前に話したとおり進化するから。半端だから息をするのは苦しいけれど、爬虫類にはなれないけれど。
 半端な存在でごめん。
 そして、ありがとう。
 僕は最後にはねを与えられて、かげから明るい場所へと飛んでいく。
 今宮悠人は確かに存在して、死んでいった。
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