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第五章 夜は明けていく
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「お父さん、お母さん」
「悠斗か。どうしたんだ」
「お父さん? 今、なんで悠斗だとわかったの?」
「なんだ。母さんはまだ気づいてなかったのか? 悠斗が俺たちを呼ぶときは決まって頭に『お』がつくだろう」
呆れた父親が溜息を吐きながら母親に説明をしている。
「それに、何年一緒に暮らしてると思ってる。そういうところが怪しまれる原因になっていると、何故気づかないんだ」
「てっきりお母さんも気づいてると思ってたけど。ああ、だから毎回名前を呼ぶときに少し間があったんだね」
「ごめんなさい。今まで雰囲気で判断していたけど、これからは気をつけるわ」
「そうした方がいいよ。でも、そんなに気にしなくていいかもしれない」
二人の双眸が同時に僕を射貫く。期待と不安に満ちた視線を浴びて少しだけ、ほんの少しだけ寂しさを覚えた。
「どういうことなの?」
「ここに座りなさい」
促されるままにソファに腰を掛ける。
「どういうことなんだ?」
「この間の一件から不信感を抱いているんだ」
「この間ってまさか?」
母親の顔から色が失われていく。
「うん。そのまさかだよ。でも、それだけじゃないんだ」
「どういうことなの?」
「僕がそう仕向けたんだよ。早く気づいてほしくて」
「なんでまたそんなことを……」
溜息を吐くように父親が呟く。
「僕に任せてって、前に言ったよね? 今がその時期だと思っただけだよ」
「一言ぐらい相談してくれても――」
「そんなことをしていたら手遅れになる。僕がすることに一切口を出さないって約束できた? できないよね。あれこれと指示されるのがわかっていたから黙っていた。それだけのことだよ」
父親の言葉を遮って話を続けた。
「…………」
図星だったのか。目が泳いでいる父親を見て、自分の考えは間違っていなかったと確信した。
「僕からは先生に話してないから」
「僕から?」
母親が問うけれど、答える気は最初からない。
「それでね、今度一緒に見に行って欲しい場所があるんだけど、お母さん仕事休める?」
「仕事は休めるけど、どこに行くの?」
「病院だよ。行けばわかる。お願い」
両親は顔を見合わせながら何事かと思案している。しばらくして父親が口を開いた。
「それは必要なことなのか?」
「心構えは必要だと思うから」
「具体的に言えないのか?」
「敢えて言うなら、そうならないことを願うしかない、かな」
「…………」
沈黙が重なる。はっきりしない僕の回答に、二人とも不安がっている様子が見て取れる。それでも、必要以上に傷つけたくないという僕の気持ちは変わらない。
未だ俯いたまま考え込んでいる両親に再度問いかけた。
「これ以上は言えないけど、僕のことを信じてほしい。これもアイツには必要なことなんだ。お願いします。一緒に来てください」
頭を下げる。頭上から「お父さん」と頼りない母親の声が降ってきた。
「俺たちはあいつの親なんだぞ。何の説明もないまま病院に来てくれと言われても困る」
あいつの親。
現実に存在している両親は、僕の両親ではない。悪意はなくとも痛む心臓を許してほしいとアイツに請うた。
その後、母親が説得してくれたおかげで父親も渋々了承してくれた。
「時期がきたら必ず全部話すから、それまで待ってて」
それだけ言うと、僕は自室へと戻った。
これから起こるであろう出来事を憂う。
止められない自分を歯がゆく思う。あの時と同じだ。片羽では朝に出られないと悟ったあの日と。
実体を伴わない実体。不明瞭な僕が闇を彷徨っていても夜の帳は下りていく。
『――ねえ、――』
『閉ざさないで、わからないふりをしないで』
『いつまでそうしているの? 僕は……僕はっ』
『俺はココだよ』
同じ顔をした人間が不敵な笑みを浮かべていた。あれは僕の本心なのか、果ては芽生えてしまった自我なのか。
知りたくもない想いに蓋をして、僕は目の前にあるパソコンに手を伸ばした。
ああ、きっと、これが最後の闘いになる。
無意識に震える指先を動かすと『両生類の進化』と書かれたブログを開いた。
未公開のまま保存された日記を選んで公開ボタンをクリックする。
大きく深呼吸をしてから、コメントを残すために夢中でキーボードを叩いた。
『孤独なのは君じゃない。君はずっと目を背けているだけなんだ。ねえ、戒斗。まだ』
続きは打てなかった。
必要なことなのに、大切なことだと頭では理解しているのに、本来在るはずのない僕の心が悲鳴を上げている。
『まだき』
『まだきこ』
『まだきこえて』
何度も何度も打ち直しては消去する。
その行為は、悠斗という存在を象徴するかのようだ。現れては消え、消えては現れという無意味な事象。結局、最後まで打つことは叶わなかった。
『まだ』
そこまで作成した文章をコメント欄に載せた。
絶望と希望を綯い交ぜにした荒波が僕をのみ込んで黒く塗り潰していく。
六月の前線は消えたはずなのに、窓の外では小さな滴が降り始めていた。
「悠斗か。どうしたんだ」
「お父さん? 今、なんで悠斗だとわかったの?」
「なんだ。母さんはまだ気づいてなかったのか? 悠斗が俺たちを呼ぶときは決まって頭に『お』がつくだろう」
呆れた父親が溜息を吐きながら母親に説明をしている。
「それに、何年一緒に暮らしてると思ってる。そういうところが怪しまれる原因になっていると、何故気づかないんだ」
「てっきりお母さんも気づいてると思ってたけど。ああ、だから毎回名前を呼ぶときに少し間があったんだね」
「ごめんなさい。今まで雰囲気で判断していたけど、これからは気をつけるわ」
「そうした方がいいよ。でも、そんなに気にしなくていいかもしれない」
二人の双眸が同時に僕を射貫く。期待と不安に満ちた視線を浴びて少しだけ、ほんの少しだけ寂しさを覚えた。
「どういうことなの?」
「ここに座りなさい」
促されるままにソファに腰を掛ける。
「どういうことなんだ?」
「この間の一件から不信感を抱いているんだ」
「この間ってまさか?」
母親の顔から色が失われていく。
「うん。そのまさかだよ。でも、それだけじゃないんだ」
「どういうことなの?」
「僕がそう仕向けたんだよ。早く気づいてほしくて」
「なんでまたそんなことを……」
溜息を吐くように父親が呟く。
「僕に任せてって、前に言ったよね? 今がその時期だと思っただけだよ」
「一言ぐらい相談してくれても――」
「そんなことをしていたら手遅れになる。僕がすることに一切口を出さないって約束できた? できないよね。あれこれと指示されるのがわかっていたから黙っていた。それだけのことだよ」
父親の言葉を遮って話を続けた。
「…………」
図星だったのか。目が泳いでいる父親を見て、自分の考えは間違っていなかったと確信した。
「僕からは先生に話してないから」
「僕から?」
母親が問うけれど、答える気は最初からない。
「それでね、今度一緒に見に行って欲しい場所があるんだけど、お母さん仕事休める?」
「仕事は休めるけど、どこに行くの?」
「病院だよ。行けばわかる。お願い」
両親は顔を見合わせながら何事かと思案している。しばらくして父親が口を開いた。
「それは必要なことなのか?」
「心構えは必要だと思うから」
「具体的に言えないのか?」
「敢えて言うなら、そうならないことを願うしかない、かな」
「…………」
沈黙が重なる。はっきりしない僕の回答に、二人とも不安がっている様子が見て取れる。それでも、必要以上に傷つけたくないという僕の気持ちは変わらない。
未だ俯いたまま考え込んでいる両親に再度問いかけた。
「これ以上は言えないけど、僕のことを信じてほしい。これもアイツには必要なことなんだ。お願いします。一緒に来てください」
頭を下げる。頭上から「お父さん」と頼りない母親の声が降ってきた。
「俺たちはあいつの親なんだぞ。何の説明もないまま病院に来てくれと言われても困る」
あいつの親。
現実に存在している両親は、僕の両親ではない。悪意はなくとも痛む心臓を許してほしいとアイツに請うた。
その後、母親が説得してくれたおかげで父親も渋々了承してくれた。
「時期がきたら必ず全部話すから、それまで待ってて」
それだけ言うと、僕は自室へと戻った。
これから起こるであろう出来事を憂う。
止められない自分を歯がゆく思う。あの時と同じだ。片羽では朝に出られないと悟ったあの日と。
実体を伴わない実体。不明瞭な僕が闇を彷徨っていても夜の帳は下りていく。
『――ねえ、――』
『閉ざさないで、わからないふりをしないで』
『いつまでそうしているの? 僕は……僕はっ』
『俺はココだよ』
同じ顔をした人間が不敵な笑みを浮かべていた。あれは僕の本心なのか、果ては芽生えてしまった自我なのか。
知りたくもない想いに蓋をして、僕は目の前にあるパソコンに手を伸ばした。
ああ、きっと、これが最後の闘いになる。
無意識に震える指先を動かすと『両生類の進化』と書かれたブログを開いた。
未公開のまま保存された日記を選んで公開ボタンをクリックする。
大きく深呼吸をしてから、コメントを残すために夢中でキーボードを叩いた。
『孤独なのは君じゃない。君はずっと目を背けているだけなんだ。ねえ、戒斗。まだ』
続きは打てなかった。
必要なことなのに、大切なことだと頭では理解しているのに、本来在るはずのない僕の心が悲鳴を上げている。
『まだき』
『まだきこ』
『まだきこえて』
何度も何度も打ち直しては消去する。
その行為は、悠斗という存在を象徴するかのようだ。現れては消え、消えては現れという無意味な事象。結局、最後まで打つことは叶わなかった。
『まだ』
そこまで作成した文章をコメント欄に載せた。
絶望と希望を綯い交ぜにした荒波が僕をのみ込んで黒く塗り潰していく。
六月の前線は消えたはずなのに、窓の外では小さな滴が降り始めていた。
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