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第1章
罰
しおりを挟む悪かったな、独りにしてーーー。
佐助は懺悔の言葉を吐きながら、黒い不安定な世界をゆらゆらと揺蕩う。
だけど…。
なんだろう、とても安心する。
頬に触れる温かな感触が心地良くて、佐助は再び深い深い暗闇に落ちそうになった。
その時、自分を呼ぶ懐かしい声が聞こえてハッとする。
すぐそこで彼が呼んでいる。
行かなくては、行かなくては。
使命感に突き動かされ、佐助は鉛のように重い手を懸命に伸ばす。
『……さ…すけ……』
……
…………
…………………
「…?」
ぼんやりと滲む視界に、綺麗な琥珀色の髪が映る。
「…お、漸く目が覚めたか遊馬。」
「っ!!」
一気に脳内が覚醒し、佐助は勢い良く上半身を起こした。
しかし、ぐらりと意識が揺らぎ、佐助は再び力なく枕に沈む。
「おいおい無理すんな。軽い貧血と、過呼吸だったそうだが、具合が優れないなら早退するか?」
真田が心配そうな面持ちで佐助の顔を覗き込む。
真田越しに見える白い天井と、鼻につく消毒液の香から察するに、此処は恐らく保健室だろうと佐助は朧げに思った。
佐助はうっすらと汗の滲んだ額に手をやり、ゆっくりと身体を起こす。
「…いま、何時っすか…?」
懐かしい夢のせいで、佐助は随分長い間眠り込んでいた気がしていた。
真田はシャツの袖を捲って時計を見やる。
「えーと…、もう少しで十二時になる。もう昼飯の時間だな。」
まだ頭は靄がかかったようにはっきりとしていなかったが、午後から授業を受けるには問題なさそうだった。
「遊馬って一人暮らしなんだってな。ちゃんと飯食ってんのか?カップ麺ばっかじゃ栄養取れないぞ。」
部屋に積み上がっているカップ麺の山を見透かされたようで、佐助は居心地が悪そうに押し黙る。
「どうする、帰るなら俺が家まで送るぞ?」
「…いや、大丈夫です。」
佐助は素っ気なく返事をして、ふいと真田から視線を逸らす。
やはり、俺が見間違える筈がない。
こいつは間違いなく、真田幸村だ。
佐助の五感全てがそう訴えている。
しかし、それを真田に問う勇気はなかった。
何故ならーーー、
「そうか、じゃあ校医の先生には俺から伝えておくよ。」
そう言って、真田は事務机に置かれた電話を取り、内線に繋ぐ。
暫く所用で席を外していたという校医に連絡をとり、その旨を手短に伝えて受話器を置いた。
「なぁ、遊馬…。」
「…はい?」
教室を出て行こうとしたさなか、真田のよく通る声に呼び止められ、佐助は一瞬ドキリとして足を止めた。
「…ゆきむら…って、真田幸村のことか?」
「!!」
佐助は硬直して、その場に立ち尽くす。
「…なんのことですか?」
他に言うことが見つからず、それっきり佐助は口を噤んだ。
「…いや、悪い。なんだかお前…悲しそうな顔してたからほっとけなくてさ。」
真田は佐助の頭をぽんぽんと撫ぜ、戯けたように柔らかく微笑んだ。
「…っ!」
無意識だった。
するりと伸びた佐助の手は真田の腕を掴み、ぐいっと力任せに奴を引き寄せる。
「う…わっ!」
突然のことで受け身の取れなかった真田は、されるがままに佐助が寝ていたベッドに倒れ込む。
瞠目する真田の上に素早く覆い被さり、両手をシーツに縫い付ける。真田は何が起きたのかわかっていないのか、ただ大きな目を見開いて固まっていた。
「あ…遊馬…?…どうした、やっぱりどこか具合悪いのか?」
困惑しながらも佐助の身を案じるその姿は、やはり、自分が知っている真田幸村そのものだった。
逢いたくて、触れたくて、苦しくて、
ーーー愛おしくてたまらなかった。
400年前、未来永劫護ると誓ったにも関わらず、みすみす幸村より先に逝ってしまった己を恨んで、今迄ずっと佐助は生きていた。
だが、幸村は再び佐助の元へ戻ってきてくれた。
自身への罰と共に…。
佐助は真田の頬に、そっと手を触れた。
空白だった時を埋めるように、佐助はゆっくりと真田との距離を狭めていく。状況を把握できていない真田は、ほぼ無抵抗のままだ。
互いの息遣いが聞こえる距離にまでなった時、
「……もう、俺に関わるな…。」
佐助が漸く搾り出した声は酷く掠れていて、凪いだ風のように頼りなかった。
「……え?」
真田は言われた意味がわからないというように、小首を傾げる。
佐助は無言のまま真田の手首の戒めを解いて、そのままフラフラと保健室を後にした。
音を立てて閉まった扉を背に、佐助はズルズルとその場にしゃがみ込む。
『…くそっ!』
押し倒すつもりはなかったのに。
でも真田は、抵抗も文句の一つも言わなかった。
それどころか、自分の身を案じて…。
そう考えれば考えるほど、佐助は良心の呵責に押し潰されそうになる。
『でも、あの顔は反則だ…っ』
幸村と同じ声で。
変わらぬ笑顔で。
懐かしい仕草で。
堪らなかった。
気が付いたら、あいつの腕を掴んでいた。
真田が言ったことに深い意味は無いのだろう。
きっと、寝言か何かで呟いた言葉に反応しただけに違いない。そう自分に言い聞かせ、佐助は高鳴る鼓動を必死に押さえつける。
『…なんで…よりによってあいつが担任なんだ。』
その時、四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
刹那、こちらに向かってものすごい勢いで迫り来る足音に気付き、佐助はギョッとする。
「さ!す!けーーッ!!!」
甲高い声が廊下に響き、佐助は思わず後ずさる。佐助を押し倒す勢いで抱き付いてきた親友に苦笑いしながらも、しっかりと小柄な身体を受け止めた。
「悪い悪い、心配かけたな小太郎。もう俺は大丈夫だ。」
そう言って頭を撫でてやると、小太郎は涙ぐんだ顔を上げて、ぎゅっと佐助の制服のシャツを掴む。
「ほ、ほんとか?病院行かなくてもいいのか?お、俺が付いていってやるぞ!」
「んな大袈裟なもんじゃねぇよ。ただの貧血と過呼吸だとよ。情けないことにな。」
中々抱き付いて離れない小太郎に困り果てていると、後ろのドアが開き、中から真田が出てきた。
「お、なんだなんだ。感動の再会中かお前ら。」
先刻のこともあり、佐助は居た堪れなくなって顔を背けると、小太郎がシャツを掴んだまま、真田に近寄った。
「真田先生!ほんとに佐助は大丈夫なんですか?佐助のやつ、注射が嫌いだから病院に行きたがらないんです!」
「…おい、誰がんなこと言った。」
「ははっ!心配するな、こいつは大丈夫だよ。」
真田は哄笑して、小太郎の額を指で軽く小突いた。
『…っ!』
佐助を窘める時に、幸村はいつも額を指で軽く小突くのが昔からの癖だった。
何もかもが、佐助の知っているあの頃のままだ。
唯一違うのはーーー、
「じゃあ遊馬、具合悪くなったら遠慮なく俺に言えよ。あと、いくら武将の真田幸村が好きでも、俺は真田悠希だからな!名前が似てるからって間違えるなよー。」
「真田幸村」としての記憶がないこと。
そして「佐助」という存在のリセット。
そう、これが佐助に科せられた死よりも重い、
残酷な罰であった。
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