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第5章
名も無き感情
しおりを挟むHRを告げる予鈴が鳴っても、窓側の一番後ろの席が埋まる事はなかった。
「真田先生、佐助今日休みですか?」
小太郎が物珍しそうに真田に問い掛ける。だけど、真田の元には欠席の連絡は届いていない。
「渚、何か聞いてないか?」
「いや、今まで佐助が無断欠席した事なんてないですよ。」
学校にも渚にも連絡がいってないようだ。真田は何か嫌な予感がした。
「…わかった。渚、何か連絡があったら教えてくれ。」
手短にHRを済ませ、真田は足早に職員室へと向かう。クラスの個人名簿を引っ張り出し、佐助の連絡先を確認して電話を手に取った。
佐助の両親は今海外出張しており、実家には母方の祖母しかいないと聞いている。実家にかけてみたが、佐助からは何も連絡は入っていないらしい。
何かあったのかと、佐助の祖母は心配そうに聞いてきたが、まだ何も状況が把握出来ていない以上、余計な事を言うのは避けた方が良さそうだと真田は思い留まった。
そう判断して、佐助からもし連絡があったら知らせて欲しいとだけ伝えて受話器を置いた。
『あいつ、一人暮らしだったよな。じゃあ、あいつの携帯番号が確か載ってた筈…。』
数回呼び出し音が鳴り響くも、繋がったのは留守番サービスだけだった。
「どうされました?真田先生。」
急に津田に背後から声をかけられ、真田はビクリと肩を震わせる。
「あ、あの実は…。遊馬から欠席の連絡が来てなくて…。」
「遊馬?仲の良い友達にも連絡は来てないんですか?」
「はい…。」
津田は暫く黙考した後に、
「まあ、ただの寝坊かもしれないですし、一日無断欠席する事くらいは、この年頃ではよくある事ですよ。そこまで心配する事はないんじゃないですかね。」
そう事もなげに言った。
「いや、でも…。」
何かあったのではないかと、そればかりが真田の頭に浮かぶ。
何故だろう。
随分昔にもこんな事があったような気がする。
遊馬が音も無く消えていくような、酷く不安定な感覚に、身体の奥底から蝕まれていくようだ。
「後は私に任せて、真田先生は授業準備をなさってください。今日は一時間目から授業が入っておられるでしょう?」
時計を見ると、予鈴二分前を指していた。
いくら焦燥しても、この不安な気持ちに理由を付けることができない。
「…わかりました。じゃあ何かあれば、すぐに教えてください。」
真田は仕方なく、津田に遊馬を任せることにした。
職員室を出ると同時に本鈴が鳴り、生徒たちは慌ただしく自分の教室へと駆け込んでいく。
僅かな静寂を取り戻した廊下で、真田はぐるぐると考えを巡らせる。
『確かに、津田先生の言う事も一理ある。単なる寝坊かもしれないし、ただのサボりだって可能性も…。』
そこで真田は、ある事を思い出す。
『そうだ…今日から俺、遊馬の個別指導するんだったっけ。』
あの事があって以来、真田と佐助の間には大きな距離があった。
それは佐助が意図して作っているものだと、鈍感な真田にもわかるくらい、徹底して自分との接触を避けていた。
廊下ですれ違えば会釈をし、授業準備を頼めばそつ無くこなす。
教師と生徒ーーー。
そんなありふれた関係性が、より一層佐助の存在を遠く感じさせた。
『でもこれが、‘普通’のことなんだよな…。』
そんな普遍的な答えが浮かぶも、蟠りが晴れる事はなかった。
『遊馬が今日休んだのって、もしかして…。俺と二人きりになるのが嫌だったからか?』
ちくりと胸の奥が痛む。
言いようの無いこの感情は、一体何なのだろう。
真田は何も分からないまま、喧騒に溢れた教室へと足を踏み入れるのだった。
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