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第三章:目印

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 六月。
 山本・火口夫妻の挙式が執り行われる。

 うちの専属フラワーアーティスト達が、この日を待っていたのだと言わんばかりに朝っぱらから出勤してきて、華頂茜の装飾に感嘆のため息を漏らした。
 昨日の夕方から始まった挙式準備は、早朝にはほぼ完璧に仕上がっていた。

 脚立に上りながらスタッフ達に指示を出す華頂さんの姿は凛々しく、的確で、仕事ぶりは繊細で美しかった。

 価値観変わるかもよ、と言った弟の言葉が今になって身に染みる。
 圧倒的な仕上がりだった。
 見慣れたはずの式場は別世界のようで、天国じゃないかと思ってしまうほど、美しい花で彩られている。ごちゃごちゃしているわけじゃない。なのに他が何も頭に入って来なくなるほど「一面、花」なのだ。それはまるで絵画のように。

「すごい……っ」

 うちのスタッフが、全員そう口にした。

 一応、仕上がり予想の3Dイラストは手元にあったのだが、絵と実物を一緒にしてはいけない。これは圧巻だ。

「先生が本気出しましたねぇ」

 真田さんが、呆気にとられる俺達にそう言って笑う。

「報酬額以上の仕事ぶりですよ、今回は」

 クスクスと笑い、完成した式場の写真を撮っていく。うちのスタッフたちも「撮影させてもらおう」と言って、カメラを準備し始めた。

 あまりに美しすぎるため、いつまででも会場の中を眺めていられると思ったが、ここでぼーっとしているわけにもいかない。直に新郎新婦が会場入りを果たし、メイクアップが始まる。準備をしなければいけない。

「土田、行くよ! そっちはホールスタッフに任せましょう!」
「あっ、はい! すみません!」

 俺は慌てて披露宴会場から離れて、各控室の準備へと向かう。先輩達も受付の設置やウエルカムボードの設置。指輪の準備、音楽のセッティング……、やることは頭がパンクしそうなほどある。スタッフが一丸となって確実に、正確に準備してゆく。時間なんてあっという間に過ぎてゆく。

 挙式当日用の正装は四年前、初任給で一着購入した。それから、少しずつ増やして、先月、また新しく購入した。
 俺は、下ろしたての挙式専用スーツを着て、髪だってしっかり固めて後ろに流し、挙式当日にしか使わないインカムをセットする。四年もこの仕事をしていると、さすがに慣れた。初めてインカムを付けた時は緊張して吐きそうだったけど、今はこれがないとむしろ不安だ。

『神父さん到着しました。控室にご案内します』
「了解しました。新婦さんのドレスアップは如何でしょうか」
『予定通り進んでおります。リハーサルの時間には間に合うと思います』
「ありがとうございます。また連絡ください」
『了解』

 バック通路はバタバタだ。スタッフが走り回って準備をしている。ホールの中も、音響、照明、カメラさんのリハーサルが綿密に行われている。厨房など地獄絵図のようだが、これが式当日というものだ。

『土田! 新郎側のご両親が到着されたようだわ! 貸衣装部屋ドレスルームへのご案内をお願い!』
「了解しました。すぐに向かいます!」
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