黒い花

島倉大大主

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第二章:田沢京子

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「――というわけで、我が親愛なる野町刑事は今、隣県である埼玉にいる。同様の通報は三時間前まで全国で一七件。その全てが建物の異常な変形、肉体の欠損をしている人物、そして関係者の記憶齟齬、周辺情報の歪曲らしきものが観測されている。どうかな、僕が過去に経験した事件に類似していると思わないか?」
 真木は喋りながら浮き浮きしているような、不安でたまらないような複雑な表情を目まぐるしく浮かべていた。
「さて、ここで質問だ。君のあの怪談動画、本当の所、黒い連中は何を言ったのか? 君、今度は誤魔化さないでくれたまえよ」
 あたしは、ううんと唸った。
「夢だから、確実にこう言った! とは言えないんだけど……先輩はそっちの目で視えるんだよな? 耳では聞こえるわけ?」
「ああ。より正確に言うと、目で視て脳の中で再生される場合もある、という感じだが」
「……ここにいるのか?」
「いる。連中は、そう――点在する。だが、ここらはちょっと多すぎるように感じる」
「多いって……どのくらい? 何人?」
 真木は窓の外を眺めた。あたしもつられてそちらを見る。窓の外には細やかなうちの庭がある。隣の家の屋根でできた日陰に小さな蝶が飛んでいるだけだ。
「君の家の周りには四人いる。これは極めて多いと思う。連中は影や薄闇の中にひっそりと佇むのだ」
 佇む。
 あたしはそのフレーズにゾッとした。
「そして、その近くには必ず黒い染みがある。つまり染みを探せば、連中を見つけられるというわけだ。
 ちなみに、通常は数キロメートル四方に一人いるかいないか、かな。ソシャゲのレアモンスターエンカウント率としてはかなり低い方じゃないだろうか? 金返せ――とまではいかないと思われる」
 あたしはゾッとしたのを後悔した。
「多分連中は僕が経験したような事件の場所に多く佇むのではないかと推測する。僕の倒壊した家の辺りにも五人いた。しかも染みだらけだった。
 ところで、連中だがね、通常は何もしない。佇んでいるだけだった。だが、最近は違う。なんと、動いたのだ!」
「動く? それは――こう、歩いたり踊ったり?」
「踊るのは怖すぎるだろ。こう、すーっと滑るようにふらふらと、非常にゆっくりと移動する。まあ、しばらくすると元の位置に戻るのだけれども、こう――そわそわしているように見えるのだ。
 しかもだ! 君、驚くなかれ! 君の夢と同じく、昼からぽそぽそと何かを囁き始めたのだよ! 吃驚したよ。まあ、今は正直鬱陶しかったりするのだけども」
「……ちょい待ち。先輩は黒い連中が見えるんだよな? んじゃ、暗黒脳で詳細が判るんじゃねーの? 推測とか言ってるけど、どういうことよ?」
 真木は顎を撫でた。
「そこなんだよ。連中に関しては――僕の頭には何も浮かばないのだ。
 普段ならば『そういうモノ』を見ると、データがぱっぱっと頭に浮かぶ。それを残った脳で整理するわけだね。ところが、黒い連中に関しては、違う。まったく何も見えない時も殆どなんだが、稀に異常な程の、こちらに向けられた複数のジグザグした物を視る時もある」
「なんだそりゃ?」
「なにか、こう――『憧れ』とか『嫉妬』みたいな物だ。人が出す、強烈な意志の塊に似ているな。『念』と言えば分りやすいかな?」
「それを、連中が出してるってわけ? 何だろう、人間が妬ましいってやつか? それとも――黒い連中は元人間で、幽霊的なアレで、生きてる人が妬ましいってやつか!」
「幽霊ねえ……。あれはまた特殊なんだよなあ。まあ君が言ってる意味合いは判る。そういう悪霊や幽霊の類も見たことはある。でも、そういう連中は四六時中何かを放出しているものなのだよ。ランダムに放出されるものではない。
 とにかく、黒い連中自体については、何も判らないんだなあ。動く時に、うっすらと青黒く光る時があるが、似ているのは――活性化している植物とか……」
 あたしは何も見えない窓の外を見た。
「へえ……じゃあ、もしかして幽霊ってのは植物に近いのか?」
 真木は首を振った。
「いやいやいや! 幽霊の類は違う。種々様々あるけれども、あれは基本的にエネルギー体だから、絶えず薄ぼんやりと光っている。周期的に光って視えるのは『生物』だけだ」
「……じゃあ、えーっと……異次元生物?」
 真木はううむ、と腕を組んだ。
「確かにそういう類の生物は結構な数を目にしては来た。で、確かにそれと同じではあるように思える……。だが――時折放出される複数のジグザグは、どう見ても『人間の感情』なのだ。
 しかも、連中が囁いている言葉は『日本語』なのだよ」
 あたしは、首を捻った。真木も同じ方へ首を捻る。
「つまり……わけが判らないから、怪しいって思ってるわけ?」
 真木は頷き、眼帯の横を指でトントンと叩いた。
「それだけじゃない。京さん、さっき僕の目を見た時、思わなかったかい? 夢で見た黒い連中に、この目が似てるって――」
 あたしは、あっと叫んで膝を叩いた。
 どっかで見たなと思ったら、あの夢で見た、連中と同じ黒さだ。
「つ、つまりは、その目と、いや、先輩の脳の半分と連中は同じってことか?」
 真木は肩を竦めた。
「それも調べている最中さ。ある日突然、自分に謎が多くなるってのは、気持ちが悪いものだよ」
 あたしは、はあ、と溜息をつき、緑茶を入れたグラスに触れた。
 ひんやりとした結露を指先に感じる、ということは残念ながら、ざーっと聞いた、無茶苦茶な話の数々は、今あたしが見ている、真夏の昼の夢、というやつではないわけだ。
「さて、京さん、いっせーのせ、で、連中が何を囁いているか、僕と同時に言ってみようじゃないか」
 真木は相変わらず複雑な表情を浮かべながら、一応笑っている。ただし、その額にはグラスのように汗が浮かんでいた。触れたらひんやりとしているのかもしれない。
「では、いっせーの……」
 真木は指揮棒を振るかのように両手を振り上げた。ゆっくりとそれが振り下ろされる。
 勝手な奴だ。あたしは教えるなんて一言も言って――
「あれが――」
「あれが――」
 あたしの口は、いつの間にか開いていた。言葉がハモり、真木の目が大きく開いた。
「――おきる」
「――また、さく」
 ああ、言っちまった。
 夢の中で、黒い連中が何度も何度も繰り返す、あの言葉。
「……また? さく? 君、京さん、それは――」
「あたしにはそう聞こえた。そんだけ」
「……京さん、君はうなされている悪夢に関して殆ど覚えていないと言ったね。では、少しは覚えているわけだな?」
 あたしは腕を組んで天井を見上げた。
「欠片程度なら」

 そしてあたしは覚えている夢の断片を喋った。
 どろどろとした音。
 大きい自分と小さい自分。
 足元が揺れて、倒れ込むと震えるアスファルトが熱くなっていて――
 真っ黒い花が――

 真木は聞き終ると、大きく息を吐いた。
「その真っ黒い花というのは――どんな形なんだね?」
「……よくわからない。『黒』と『花』っていうイメージが脳にくる感じかな……」
「……なんとも、はや……君の手を掴んだのは誰かわかるかね?」
「わからないな。手しか覚えてない。多分……」
「女性かな?」
 あたしは頷き、それから、と付け足した。
「今朝はおまけがついてた」
「おまけ?」
「すげえ、遠い所から、子供に助けてって言われた……ような気がする」
 真木は呆然とした顔になると、こめかみを揉みながら、何だそれは、と低く唸った。
「参った! ……いや、どうしたらいいか――うむ、置いておくしかないな」
 あっさりと悩むことを止めた真木に、あたしはずっこけそうになったが、考えてみればその通りだ。現状では推測と妄想しかできない。
 では別の話題を振ってみるか、とあたしは質問する。 
「ところで、さっき話してくれた事件の被害者たちが見てた動画って、御霊桃子の番組なんだよな? 中身は?」
 真木は夢から覚めたみたいな表情であたしをしばらく見た後、額を二度叩いた。
「……ええっと、番組名は『霊処探訪』だったかな。バックナンバーは他の動画サイトで確認済みだが、今回の奴はPCの一時ファイルからサルベージ済み。ただし中身は確認していないんだよ」
「ああ、観ただけで、ってやつか。だったら、動画の拡散を止めるべきじゃね?」
 あたしの言葉に真木は肩を竦めた。
「現時点で動画サイトにアップしてある物はない、らしい。
 御霊桃子、本名、一之瀬裕子の携帯・ネットの契約は全て停止措置になった。だけども、ネットカフェに行かれたらどうしようもない。僕が時間が無いかもしれないと言った理由がわかったかな?」
 あたしは溜息をついた。
「ああ……すげぇおっかねえ話になってるな。拡散してないって所が、すげえ嫌だ」
 真木はハンカチを取り出すと、折り畳み始めた。
「ああ。見た人間には百発百中で何かが起こるということだからな。ただし――」
 真木がパッと笑顔になった。あたしはぐっと前のめりになる。
「ただし?」
「写真に関しては、この限りではないらしい。御霊桃子のサイトからリンクされているチャットルームに動画のスクリーンショットが幾つかあがっていた。これは霊処探訪の場所特定として毎回定番の流れだったらしい。現在チャットルームは閉鎖したが、どうやら撮影されたのは隣県との県境の山のどれからしい」
「……この近くなのか!?」
「まあ、道があれだから、車で一時間半といったところかな? ところで京さん、葦田のおばちゃんと面会してみたいのだが」
「……案内するけど会話になるか怪しいぞ、マジで」
 真木は立ち上がりながら、ハンカチをポケットにしまった。
「彼女は最近も座っているのかね?」
 あたしはハッとした。
「そういや、しばらく見てないな……。あ、でも陽射しも強いし蚊も多いから、夏はあまり座らないんだったかな」
 そうは言ったが、あたしの中に不安が産まれつつあった。それは酷く大きく、そして黒くて深い。
 真木はあたしの肩を軽く叩くと、にっと笑った。
「とにかく行ってみよう。二軒隣だったね?」
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