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第四章:黒い花
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「はい、地域防災計画に基づき、市役所に事故警戒本部を設置しました。当該アパートから半径三キロメートル内の住人を避難させてます。
は? いや、何を今更……緊急ですよ? いや、今日中に――あ? はあ……はあ、はあ……あぁ?
……知らねえよ! こっちは三十分後には突入だ! んなことはババアに聞け!」
電話を切ると、やたらと肩幅の広い刑事、野町さんはあたしに歯を剥きだして、失礼しました、と笑ってみせた。目が全く笑って無い上に、額に青筋がぎっちり浮かんでいる。あたしが、はあと間抜けな声を出して助手席で身じろぎしていると、後ろの座席から、狭い狭いと、やたらとあたしの背もたれを蹴っ飛ばしていた真木が顔を突き出してきた。
「いやあ、野町さん、荒れてますねえ。上の人ですか?」
「うるせえぞ、ゴミ屋。ちったあ黙ってろって」
あたし達は山を降りると、近場のコンビニで野町さんと合流した。野町さんは真木としばらく二人で話し合った後、あたしに、大変申し訳ないが、ここで――と言ってきた。
あたしは首を振った。
住所を知っている。ついでに言えば、御霊桃子を止められるのは、あたしだけかもしれない。こう言うと、真木は野町さんの後ろで、ほらあ、とおどけて笑った。もう連れていくしかないでしょう? そう言いながら、ひらひら手を振って踊る真木。
野町さんが無言で、真木の頭をぶん殴り、あたしの顔をじっと見た。
「申し訳ないが――命の保証はできません。それでも、よろしいですね?」
あたしはしっかりと頷いた。
「で、上の人は突入を伸ばせと? 一時間ですか、それとも、もしや二時間……」
真木の質問に心底うんざりだという顔で、それどころじゃねーよ、と野町さんは答えた。
「三日後だとよ、三日後。ここら仕切ってる馬鹿が、何処ぞで聞きつけて横やり入れてきて面倒な事になってんだよ」
「ああ、少人数とはいえ、自衛隊が出てくるとなれば、まあ色々とね」
「それだけじゃねえよ。警戒本部に一枚噛ませろとさ。今、東京の方でギャアギャアうるせえらしい」
「それはそれは! 首相近辺へのアピールですかな? 選挙も近いですからなあ! ひひひ、下衆いですなあ!」
てめえが言うなよ、と野町さんはブツブツ文句を言いながら、車をゆっくりと左折させ、大通り脇の地下駐車場の入り口を通り抜ける。車が通過すると、横手から二人のスーツ姿の男が出てきて、車止めを設置した。車は中ほどまで進むと、停車する。
野町さんは体をこちらに向けると、あたしに頭を下げた。
「田沢京子さん、今回はご協力いただき感謝しております。再度確認させていただきますが、この先は命の保証等は全くできません。怪我等に関しましても我々としましては、やはり全く保証できません。それでも、よろしいというならば――」
あたしはシートベルトを外しながら頭を下げた。
「結構です。どうぞ、よろしくお願いします」
「ほらほらほら野町さん! 幾ら蒸し返しても京さんの決断は変わりませんって! さあ、降りた降りた!」
はしゃぎながら車を降りた真木を、野町さんはフロントガラス越しに眺めて首を振った。
「……俺が言うのもなんですけど、あれと一緒にいると頭のネジがどんどん緩みますよ」
「出会って数時間ですが、痛いほどわかります。ですが今回は、彼なしじゃあ、ここまでこれなかったと思うんです」
「……自分もそう思います」
あたしは少し笑った。成程、真木の言う通り、真面目な人のようだ。
「野町さん、あたしの方が年下なんで敬語は結構ですよ」
野町さんは、むむっと珍妙な顔をした後、ともかく行きましょうと車を降りた。あたしも続く。地下駐車場の奥を目指して、あたし達は歩き出した。真木が先頭で歩きながら浮き浮きした大声を出す。
「いやあ、貸切ですか。豪勢だなあ! ただ、地下って所は暗くていけませんなあ!」
成程、車が一台も停まっていない。あたし達の足音以外、外の車の音も聞こえずとても静かだった。さっきの車止めといい、人払いは完璧なんだろう。
真木は小さくジャンプすると足を打ち鳴らした。
「ところでー……何名確保できたんですか?」
「……実働は俺らを除くと三名。後は周辺の封鎖に回した」
「少ないんじゃないですかねえ?」
「うるせえよ。緊急だから、無理だったんだよ。ったく、糞テロリストが」
頭を掻き毟る野町さんに、あたしは質問した。
「テロリストって御霊桃子の事ですか?」
「ああ。この場合は、そうで――そうだな――宗教テロだな」
真木がぐるりとこちらを振り返る。
「いやいやいや! この場合は宗教は関係ないかと。
いいですか、今回のケースは『超自然的な力を使った』『個人の暴走』です。カルトの教えとは無関係な、個人の悪意によるものです。
ここは、本来の言葉の意味とは異なるのですが、フィーリング優先で『オカルトテロ』と呼称するのが適切かと!」
野町さんが、ああそうかいと肩を竦めた。
「フィーリングで考えた単語を適切とか言うなよな。しかし、お前、ホントにその呼び名を推すよな」
しばらく歩くと奥に車が一台停まっているのが見えた。真っ黒い大型のバンだ。その周りに黒い上下のジャージみたいなぴったりした服を着た男性が二人いる。
野町さんが片手を挙げて近づくと、一人がバンの後ろのドアを開けた。中にはモニターやらPCやらがぎっしりと詰まっている。野町さん、真木と順に入っていく中、ドアの横に立っていた男性が無言で手招きをしたので、あたしも続けて乗り込んだ。続いて黒づくめの二人が乗り込んできた。
あたしはあちこちに目を走らせる。モニターには地図や天気図。何だかわからない波長が延々と表示されている。機材の隙間から運転席が見えた。真木の車みたいに怪しげなラジオでもついているかと思ったが、こちらは極めて普通のように見えた。
「コーヒー飲みます?」
可愛らしい声が前からした。
ひょいと運転席から顔を覗かせたのは丸くて人懐っこい猫みたいな顔をしたスーツ姿の女性だった。その手には緑色の小さな魔法瓶が握られている。
あたしは魔法瓶を受け取ると、頭を下げた。女性もぴょこりと頭を下げた。
「こんちは! あたし、公機捜特の大河(おおかわ)香織(かおり)です!」
「こ、こんにちは、田沢京子です」
大河さんは親指を立て、よろしくぅ! とウィンクした。
「あたしのことは下の名前で呼んでね! あ、そのコーヒーだけど聖水とか若水とか良さげなものを使って作った奴なんで、きっとご利益がありますよ! まあ、インスタントですけどね!」
あまりに明るい彼女に気圧されて、あたしは、こくこくと頷くことしかできなかった。真木が、いやはやと声を上げる。
「京さん、彼女のテンションの高さは勘弁してあげてくれませんか。何しろ、長期間の幽閉生活から解放されたあげくに、彼氏までできてしまったんですからね! もしかしたらトリガーハッピーになってる可能性もありますから、不用意に彼女の前を歩くのはお薦めしないですねえ!」
「は? 彼氏?」
いやん、ゴミ屋ってばあ、と香織さんは体をくねらせて、ニヤケ顔になった。
「仕事中にそんな――不謹慎よねえ?」
座席の間から、体を乗り出して、ずいっと顔を近づけてくる香織さん。
さあ聞け、今聞け、とにかく聞け、とその目が語る。
「か、香織さんの彼氏って――」
「よくぞ聞いてくれました! あたしの彼氏はあたしを窮地から救ってくれた世界で一番勇敢なカッコいい男の人で、いや、見た目はイケてないって言う人がいるのは、そりゃあわかるんだけど、人間というのは内面が――」
ずっと黙っていた野町さんが、大きく溜息をついた。
「その辺でいいだろう。終わってからたっぷり話せ、な?」
香織さんは、口をパクパクさせると、んじゃ、続きは終わってからねえ、とあたしにウィンクをして運転席にごそごそと戻って行った。
揉み手をしていた真木は、景気よく一度、ぱんっと手を打つと、左右に大きく広げ、耳まで裂けそうな笑みを浮かべた。
「さて! コーヒーブレイク&ブリーフィングと行きますか!」
は? いや、何を今更……緊急ですよ? いや、今日中に――あ? はあ……はあ、はあ……あぁ?
……知らねえよ! こっちは三十分後には突入だ! んなことはババアに聞け!」
電話を切ると、やたらと肩幅の広い刑事、野町さんはあたしに歯を剥きだして、失礼しました、と笑ってみせた。目が全く笑って無い上に、額に青筋がぎっちり浮かんでいる。あたしが、はあと間抜けな声を出して助手席で身じろぎしていると、後ろの座席から、狭い狭いと、やたらとあたしの背もたれを蹴っ飛ばしていた真木が顔を突き出してきた。
「いやあ、野町さん、荒れてますねえ。上の人ですか?」
「うるせえぞ、ゴミ屋。ちったあ黙ってろって」
あたし達は山を降りると、近場のコンビニで野町さんと合流した。野町さんは真木としばらく二人で話し合った後、あたしに、大変申し訳ないが、ここで――と言ってきた。
あたしは首を振った。
住所を知っている。ついでに言えば、御霊桃子を止められるのは、あたしだけかもしれない。こう言うと、真木は野町さんの後ろで、ほらあ、とおどけて笑った。もう連れていくしかないでしょう? そう言いながら、ひらひら手を振って踊る真木。
野町さんが無言で、真木の頭をぶん殴り、あたしの顔をじっと見た。
「申し訳ないが――命の保証はできません。それでも、よろしいですね?」
あたしはしっかりと頷いた。
「で、上の人は突入を伸ばせと? 一時間ですか、それとも、もしや二時間……」
真木の質問に心底うんざりだという顔で、それどころじゃねーよ、と野町さんは答えた。
「三日後だとよ、三日後。ここら仕切ってる馬鹿が、何処ぞで聞きつけて横やり入れてきて面倒な事になってんだよ」
「ああ、少人数とはいえ、自衛隊が出てくるとなれば、まあ色々とね」
「それだけじゃねえよ。警戒本部に一枚噛ませろとさ。今、東京の方でギャアギャアうるせえらしい」
「それはそれは! 首相近辺へのアピールですかな? 選挙も近いですからなあ! ひひひ、下衆いですなあ!」
てめえが言うなよ、と野町さんはブツブツ文句を言いながら、車をゆっくりと左折させ、大通り脇の地下駐車場の入り口を通り抜ける。車が通過すると、横手から二人のスーツ姿の男が出てきて、車止めを設置した。車は中ほどまで進むと、停車する。
野町さんは体をこちらに向けると、あたしに頭を下げた。
「田沢京子さん、今回はご協力いただき感謝しております。再度確認させていただきますが、この先は命の保証等は全くできません。怪我等に関しましても我々としましては、やはり全く保証できません。それでも、よろしいというならば――」
あたしはシートベルトを外しながら頭を下げた。
「結構です。どうぞ、よろしくお願いします」
「ほらほらほら野町さん! 幾ら蒸し返しても京さんの決断は変わりませんって! さあ、降りた降りた!」
はしゃぎながら車を降りた真木を、野町さんはフロントガラス越しに眺めて首を振った。
「……俺が言うのもなんですけど、あれと一緒にいると頭のネジがどんどん緩みますよ」
「出会って数時間ですが、痛いほどわかります。ですが今回は、彼なしじゃあ、ここまでこれなかったと思うんです」
「……自分もそう思います」
あたしは少し笑った。成程、真木の言う通り、真面目な人のようだ。
「野町さん、あたしの方が年下なんで敬語は結構ですよ」
野町さんは、むむっと珍妙な顔をした後、ともかく行きましょうと車を降りた。あたしも続く。地下駐車場の奥を目指して、あたし達は歩き出した。真木が先頭で歩きながら浮き浮きした大声を出す。
「いやあ、貸切ですか。豪勢だなあ! ただ、地下って所は暗くていけませんなあ!」
成程、車が一台も停まっていない。あたし達の足音以外、外の車の音も聞こえずとても静かだった。さっきの車止めといい、人払いは完璧なんだろう。
真木は小さくジャンプすると足を打ち鳴らした。
「ところでー……何名確保できたんですか?」
「……実働は俺らを除くと三名。後は周辺の封鎖に回した」
「少ないんじゃないですかねえ?」
「うるせえよ。緊急だから、無理だったんだよ。ったく、糞テロリストが」
頭を掻き毟る野町さんに、あたしは質問した。
「テロリストって御霊桃子の事ですか?」
「ああ。この場合は、そうで――そうだな――宗教テロだな」
真木がぐるりとこちらを振り返る。
「いやいやいや! この場合は宗教は関係ないかと。
いいですか、今回のケースは『超自然的な力を使った』『個人の暴走』です。カルトの教えとは無関係な、個人の悪意によるものです。
ここは、本来の言葉の意味とは異なるのですが、フィーリング優先で『オカルトテロ』と呼称するのが適切かと!」
野町さんが、ああそうかいと肩を竦めた。
「フィーリングで考えた単語を適切とか言うなよな。しかし、お前、ホントにその呼び名を推すよな」
しばらく歩くと奥に車が一台停まっているのが見えた。真っ黒い大型のバンだ。その周りに黒い上下のジャージみたいなぴったりした服を着た男性が二人いる。
野町さんが片手を挙げて近づくと、一人がバンの後ろのドアを開けた。中にはモニターやらPCやらがぎっしりと詰まっている。野町さん、真木と順に入っていく中、ドアの横に立っていた男性が無言で手招きをしたので、あたしも続けて乗り込んだ。続いて黒づくめの二人が乗り込んできた。
あたしはあちこちに目を走らせる。モニターには地図や天気図。何だかわからない波長が延々と表示されている。機材の隙間から運転席が見えた。真木の車みたいに怪しげなラジオでもついているかと思ったが、こちらは極めて普通のように見えた。
「コーヒー飲みます?」
可愛らしい声が前からした。
ひょいと運転席から顔を覗かせたのは丸くて人懐っこい猫みたいな顔をしたスーツ姿の女性だった。その手には緑色の小さな魔法瓶が握られている。
あたしは魔法瓶を受け取ると、頭を下げた。女性もぴょこりと頭を下げた。
「こんちは! あたし、公機捜特の大河(おおかわ)香織(かおり)です!」
「こ、こんにちは、田沢京子です」
大河さんは親指を立て、よろしくぅ! とウィンクした。
「あたしのことは下の名前で呼んでね! あ、そのコーヒーだけど聖水とか若水とか良さげなものを使って作った奴なんで、きっとご利益がありますよ! まあ、インスタントですけどね!」
あまりに明るい彼女に気圧されて、あたしは、こくこくと頷くことしかできなかった。真木が、いやはやと声を上げる。
「京さん、彼女のテンションの高さは勘弁してあげてくれませんか。何しろ、長期間の幽閉生活から解放されたあげくに、彼氏までできてしまったんですからね! もしかしたらトリガーハッピーになってる可能性もありますから、不用意に彼女の前を歩くのはお薦めしないですねえ!」
「は? 彼氏?」
いやん、ゴミ屋ってばあ、と香織さんは体をくねらせて、ニヤケ顔になった。
「仕事中にそんな――不謹慎よねえ?」
座席の間から、体を乗り出して、ずいっと顔を近づけてくる香織さん。
さあ聞け、今聞け、とにかく聞け、とその目が語る。
「か、香織さんの彼氏って――」
「よくぞ聞いてくれました! あたしの彼氏はあたしを窮地から救ってくれた世界で一番勇敢なカッコいい男の人で、いや、見た目はイケてないって言う人がいるのは、そりゃあわかるんだけど、人間というのは内面が――」
ずっと黙っていた野町さんが、大きく溜息をついた。
「その辺でいいだろう。終わってからたっぷり話せ、な?」
香織さんは、口をパクパクさせると、んじゃ、続きは終わってからねえ、とあたしにウィンクをして運転席にごそごそと戻って行った。
揉み手をしていた真木は、景気よく一度、ぱんっと手を打つと、左右に大きく広げ、耳まで裂けそうな笑みを浮かべた。
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