田舎娘、マヤ・パラディール! 深淵を覗きこむ!

島倉大大主

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序章

その一 アルバン・バダンテール氏、黒衣の男の訪問を受ける

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 床板の軋みに、微睡んでいた男は目を覚ました。
 すぐに自分が今、自宅にいないことを思い出す。
 
 ボロボロの天井に、白い壁紙が所々剥げた粗末な部屋の粗末なベッド。
 部屋というより、小屋だ。

 さっと半身を起すと隅を睨む。
 そこには真っ黒な巨大な塊があった。

「ははあ、流石は元軍人。今の物音で目を覚ますとはねぇ」

 ガラガラと水を含んだような声がすると、真っ黒な塊はずいと前に進み出た。
 二メートルはあろうかという巨漢の男。でっぷりと太ってはいるが腕や足は細い。
 巨漢は胸元から覗くシャツ以外は上から下まで、黒を身にまとっていた。貧弱な明かりの下では、また闇に溶けていってしまいそうだった。
「アルバン・バダンテール氏……でよろしいですかな?」
 巨漢は足を組むと、何もない空間に椅子があるかのように座った。
 アルバンは口を拭うと、溜息をつく。
「死神か? 随分と遅いじゃないか」
 巨漢は、くくっと低く笑った。
「残念ながら、あなたと生死について問答をしている暇は無いのです。私は、『あの村で何があったか』聞きに来たのですよ」
「それなら、警察やら軍部のお偉いさんに話した。もう話すことは無い」
 巨漢は真っ黒な手袋に包まれた、蜘蛛の足のように細く長い人差し指を三度振った。
「ノンノンノン! あの供述書は拝見しましたがね、どうにも書き手の偏見が匂ってしまい、いただけないのですなあ。というわけで、あなたの口から直接話を聞きたいのです。私は、あなたが何かを忘れている、と感じましてね……」
 アルバンは巨漢をじっと見た。目が慣れてきた所為か、男のまとっている服の詳細がみてとれた。黒い燕尾服に黒い蝶ネクタイ――
「舞踏会か、降霊会でも始まりそうだな」
「おや、そういうものに興味をお持ちで?」
 いや、とアルバンは頭を振った。
「俺は軍人だ。踊るのも霊を呼ぶのも興味はない。現実しか見ない」
「……軍人『だった』でしょ? ま、私も興味はありませんがね」
 巨漢はすっと滑るように座ったままの姿勢でベッドに近づいてきた。肉厚の顔に、立派な口髭。人懐っこそうな、だが、何処か作り物めいた笑みが暗闇の中に浮かんでいる。巨漢は細長い指をアルバンに向けた。
「でも、あなた、アルバンさん、今はそういうのにちょっとばかり寛容になったんじゃないですか? 私なら、あなたのお話をちゃんと聞けますよ。
 あなた、最初は混乱されていて鎮静剤を打たれたそうじゃないですか。
 それで、『質問されたことだけを、簡潔に答えろ』ときたんじゃないですか? 
 私は違います。そんな事は言いません。あなたが何か言っても頭からは否定しませんよ」
 アルバンは巨漢を見つめ、目を瞬かせた。
 ここ何日間か、かわるがわる質問攻めにされた。だが、こんなことを言う輩は初めてだった。医者らしき人物も話を聞こうとしない。不安が募るばかりで、とうとう眠る前に神に祈ったりもした。子供の頃以来、久しぶりの経験だったが、それの所為か夢見は最悪だった。
「……あんた何者だ?」
 巨漢は肩を竦めた。ふっとアルバンの鼻に異臭が漂ってきた。釣って放置した魚が放つ、微かな生臭さ……。
「私が何者かはどうでもよろしい。死神と思えばそれでも良いです。
 肝心なのは、私が『予防』に動いているという点です。あなたに今まで質問された方々はそれは考えていない。私は今後もああいう事件が起きないようにしたいと考えておりましてね――」
 アルバンの息が荒くなった。
「あ、あんた! あんなことが他でも……」
「私の知る限りでは二十七件」
 アルバンは絶句した。
 巨漢は眉を上下させる。
「さあ、アルバン・バダンテール、喋ってください。我に聞く用意あり、ですぞ」
「……どこから?」
「どこからでも」
 アルバンは目を閉じると、ベッドに身を横たえた。
「……俺は一次大戦で軍に嫌気がさし、除隊した。で、色々あってルージュに流れ着いた」
「ルージュ村……フランスには幾つかございますね?」
「ああ、なんだったか……近くにワインの有名な産地があったな」
「ああ、わかりました。続きをどうぞ」
「村の連中はいい顔をしなかったが、俺は村長に許可をもらって村の外れに小さな家を建てて、野菜とかを作って暮らした。土木工事のお呼びがかかったらすぐに行って手伝った。
 だから、まあ、仲間外れってわけじゃなかったんだが……俺の顔見りゃわかるだろ?」
「戦場で受けた傷といえば勲章なんですがね」
「ふん、夜道で会ったらそうも言ってられんだろうよ。とにかく、そんなこんなで一年が過ぎた、ある日の夜……」
「一か月前の夜、ですよ」
 アルバンは顔をしかめた。
「もうそんなに経ってるのか」
「薬物による譫妄状態が長かったらしいですね。あなたの足の筋肉、劣化が激しいですよ」
「やれやれ……。まあ、ともかく、あの夜は――おい、まさか酒は持ってないよな?」
 巨漢はにやりと笑うと、懐から琥珀色の液体の入った小瓶を取りだした。アルバンはそれを受け取ると、まず香を楽しみ、それから小瓶を傾け、喉を焼く液体の感触に目を瞑って震えた。
「……たまらん」
「私は飲まんので全部差し上げましょう」
「……随分と気前がいいもんだな」
「ここが飲み屋だったら、更に現金を上乗せし、いい女をあてがう所ですがね」
 アルバンはもう一口飲むと、息を吐く。
「三月の夜だ。俺は豚の燻製を齧って、井戸掘りの計画を立てていた。そしたら遠くで銃声が聞こえた。
 俺は中腰になった。
 夜中に猟をするやつはいないだろ? だから空耳かと思ったんだが、もう一発聞こえた。
 で、慌てて外に飛び出した」
 アルバンはそこで言葉を止めた。巨漢は首を傾げた。
「どうしました?」
「いや、俺は普段は酒を飲まない。あの夜も酔っぱらっていなかった。それは信じてくれるか?」
「信じましょう」
「本当か? 俺がこれから言う事も幻覚だとか言ったりしないか?」
 巨漢は再び肩を竦めた。アルバンは小瓶を見つめ、唇をもごもごと動かした。
「……外に出たんだ。そしたら、そう、全身がざわざわとしてな。毛という毛が逆立った感じがした。戦場でよくそういう経験をした。大砲の弾が飛んでくる直前なんて、よくそんな感じがしたもんさ。
 俺は高台に住んでたんで、村が一望できたんだが、静まり返ったこの村で今、とんでもないことが起きてるって感じたんだ。
 ……で、俺は逃げようって思った。」
「そんな状況になる心当たりはあったのですかな?」
「村には大地主が二人いて、対立していた。権力争いだよ。片方は村長さ。当然俺もそっち側さ。
 小競り合いは何回か見かけたが、ついに殺し合いか、と暗い気持ちになったよ」
「ふうむ……田舎の地主の喧嘩が、そんな大それたことになりますかねえ?」
 アルバンは笑った。
「俺は一次大戦に参加したが、あれこそが世界の縮図さ。結局どこだってそうなんだ」
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