38 / 62
第三章
その五 タルタロス:レイとダイアナ
しおりを挟む
「水は飲むなよ。腹壊すぜ」
少年はそういうと、ざぶざぶと腰までの汚水の中を進んでいく。マヤはジャンに抱きかかえられたままで頷いた。
数分前、格子の下から顔を出したのは、くしゃくしゃの髪の少年だった。口に長い楊枝を咥え、しっしっと短く息を吸うと、こちらに来いと手招きした。ジャンは素早くマヤを抱えると、格子の下に体を躍らせたのだ。
「ここは見ての通り、下水だ。汚いだろ?
ま、トイレのやつは流れてこないから安心しなよ。ちょっとべたべたするだけさ」
少年はそう言って笑った。
下水はコンクリートで作られた方形で、仄かに悪臭が漂っていた。
どこかの食堂や厨房に繋がっているらしく、所々に食材の欠片が溜まり、それに小さな魚や虫、貝が群がっていた。
先ほどの機械室から遠のくにつれ、辺りは段々と暗くなり、進む先は完全なる闇だった。マヤは眼鏡を押し上げると、先を進む少年に声をかけた。
「ねえ君! 助けてくれて、ありがとう! それで君は誰? どうして助けてくれたの?」
「俺はレイだ! ロングデイさんに世話になってる。あんたらを探して来いって言われて、方々駆けまわったら、あんたらが下に逃げたって情報を掴んで、見回ってた。
あそこで接触できたのは運が良かったねえ……うん? あれは……おおい、ダイアナ!」
少年は下水の先に向かって叫んだ。ぼんやりとした光が現れると、ふらふらとそれが近づいてくる。マヤは夢に見たあの青白い光を思い出し、体を強張らせた。
懐中電灯を持った少女が闇から現れた。
ほっそりとした黒髪で、ずっと俯いたまま視線を上げようとしない。
「そんなに大きな声を出さなくても聞こえるわよ、モンキーレイ」
「へえ、そうかい。お前、時々ぼーっとしてて、話聞いてないだろ? だから聞こえるように大きい声を出してやったんだが……な!」
レイの大声に、ダイアナは馬鹿めが、と小さく呟くと二人に頭を下げた。
「……どうも、ダイアナと申します。皆さんをご案内いたします。グスターヴさんとロングデイさんも待っています」
ジャンがあっと叫んだ。
「ヨハンの奥さんか! どっかで聞いたと思ったら……ってことは君たちは――」
ダイアナは顔を上げずにぽそぽそと喋った。
「我々はあの人達にお世話になっている者です。残念ながら実子ではありません」
ダイアナはそれだけ言うと、もと来た方へ戻り始めた。
レイが肩を竦める。
「あいつの態度を許してくれよ。あれは親にいじめられまくって、ひねくれちゃってね。ちなみに俺はなんと捨て子だ。品がないだろ?」
ジャンがにやりと笑う。
「俺もなんと捨て子さ」
マヤも微笑んだ。
「あたしはなんと残酷大公の娘だ」
レイは笑った。
「こりゃ、すげえ! 色んな連中大集合で、今夜は宴会だな!
まったくなあ、生まれたからにゃ生きなきゃならないんだから、人生大変だぜ!」
「レイ、俺達はオーゼイユって店を探してる。知ってるか?」
「ああ、知ってる知ってる。なんだ、そこで酒を奢ってくれるのかい?」
マヤがこら、とレイを叱った。
「お酒は十六になってからでしょ!」
レイはけらけら笑いながら、ダイアナを追いかけた。懐中電灯の光に二人のシルエットが重なる。レイが何か囁くと、ダイアナはレイを小突き、再び歩き始めた。
しばらく暗闇を進むと、懐中電灯が振られた。ジャンが追いつくと、ダイアナが壁に開いた割れ目を指差している。
ジャンはマヤを抱えたまま、ざぶざぶと水から上がった。
その先は狭い通路だった。レイがおどけた調子で通路に滑り込んだ。
「さあ、お二人さん、ついてきてくれ。そっちの手品師は通れるか微妙だが、なーに、ぐいぐい押しこめばいけるいける!」
四人は進み始めた。先頭はレイ。続いてジャンとマヤ。しんがりにダイアナと続く。先頭のレイはけらけら笑いながら、壁を叩き、喋り続けた。
「ここは忘れられちまった連絡用の通路なんだと。この船って増築やら改築が多いんでこういう通路が一杯あるわけだ。ワニが住んでるって噂の通路もあるぞ!
気をつけなきゃなあ!」
マヤがふむふむと頷きながら、時折ジャンの背中を押した。ジャンは通り抜けること自体は容易だったのだが、素早くは進めない。擦れた腹が、壁の汚れをこそぎ取って行った。レイは後ろ向きで起用に進みながら、手を叩いて囃し立てた。
「うひゃひゃ! 手品師、あんたがいれば掃除いらずだな! さて、このちょっと先には、忘れられた倉庫があるんだぜ。すげえお宝が一杯さ!」
「モンキーレイ!」
ダイアナの鋭い声にレイは舌を出すと、突き当りのドアを開けた。
マヤは部屋に一歩踏み込んで、息を飲んだ。
薄暗い部屋の四方の壁には、大きな額が大量に飾られていた。マヤはその一つに近づくと、手で埃を拭って、驚きの声を上げた。
「ちょっと、これ!? モナリザでしょ!」
隣の絵も拭ってみる。ジャンが近づいてきて呑気な声を出した。
「こりゃ、ゴーギャンの……何とかの女だったかな?
……まあ、よくできた贋作だな」
「あ……そうなんだ。いやあ、吃驚したなあ」
二人の会話にレイが不思議そうに声をあげた。
「『がんさく』ってなんだ?」
ダイアナが静かに答える。
「偽物ってことよ」
「えぇっ!? なんだよ、ガッカリするなあ……売って金に換えようと思ってたのに」
ダイアナは溜息をつくと、今度は先頭で進みだした。
少年はそういうと、ざぶざぶと腰までの汚水の中を進んでいく。マヤはジャンに抱きかかえられたままで頷いた。
数分前、格子の下から顔を出したのは、くしゃくしゃの髪の少年だった。口に長い楊枝を咥え、しっしっと短く息を吸うと、こちらに来いと手招きした。ジャンは素早くマヤを抱えると、格子の下に体を躍らせたのだ。
「ここは見ての通り、下水だ。汚いだろ?
ま、トイレのやつは流れてこないから安心しなよ。ちょっとべたべたするだけさ」
少年はそう言って笑った。
下水はコンクリートで作られた方形で、仄かに悪臭が漂っていた。
どこかの食堂や厨房に繋がっているらしく、所々に食材の欠片が溜まり、それに小さな魚や虫、貝が群がっていた。
先ほどの機械室から遠のくにつれ、辺りは段々と暗くなり、進む先は完全なる闇だった。マヤは眼鏡を押し上げると、先を進む少年に声をかけた。
「ねえ君! 助けてくれて、ありがとう! それで君は誰? どうして助けてくれたの?」
「俺はレイだ! ロングデイさんに世話になってる。あんたらを探して来いって言われて、方々駆けまわったら、あんたらが下に逃げたって情報を掴んで、見回ってた。
あそこで接触できたのは運が良かったねえ……うん? あれは……おおい、ダイアナ!」
少年は下水の先に向かって叫んだ。ぼんやりとした光が現れると、ふらふらとそれが近づいてくる。マヤは夢に見たあの青白い光を思い出し、体を強張らせた。
懐中電灯を持った少女が闇から現れた。
ほっそりとした黒髪で、ずっと俯いたまま視線を上げようとしない。
「そんなに大きな声を出さなくても聞こえるわよ、モンキーレイ」
「へえ、そうかい。お前、時々ぼーっとしてて、話聞いてないだろ? だから聞こえるように大きい声を出してやったんだが……な!」
レイの大声に、ダイアナは馬鹿めが、と小さく呟くと二人に頭を下げた。
「……どうも、ダイアナと申します。皆さんをご案内いたします。グスターヴさんとロングデイさんも待っています」
ジャンがあっと叫んだ。
「ヨハンの奥さんか! どっかで聞いたと思ったら……ってことは君たちは――」
ダイアナは顔を上げずにぽそぽそと喋った。
「我々はあの人達にお世話になっている者です。残念ながら実子ではありません」
ダイアナはそれだけ言うと、もと来た方へ戻り始めた。
レイが肩を竦める。
「あいつの態度を許してくれよ。あれは親にいじめられまくって、ひねくれちゃってね。ちなみに俺はなんと捨て子だ。品がないだろ?」
ジャンがにやりと笑う。
「俺もなんと捨て子さ」
マヤも微笑んだ。
「あたしはなんと残酷大公の娘だ」
レイは笑った。
「こりゃ、すげえ! 色んな連中大集合で、今夜は宴会だな!
まったくなあ、生まれたからにゃ生きなきゃならないんだから、人生大変だぜ!」
「レイ、俺達はオーゼイユって店を探してる。知ってるか?」
「ああ、知ってる知ってる。なんだ、そこで酒を奢ってくれるのかい?」
マヤがこら、とレイを叱った。
「お酒は十六になってからでしょ!」
レイはけらけら笑いながら、ダイアナを追いかけた。懐中電灯の光に二人のシルエットが重なる。レイが何か囁くと、ダイアナはレイを小突き、再び歩き始めた。
しばらく暗闇を進むと、懐中電灯が振られた。ジャンが追いつくと、ダイアナが壁に開いた割れ目を指差している。
ジャンはマヤを抱えたまま、ざぶざぶと水から上がった。
その先は狭い通路だった。レイがおどけた調子で通路に滑り込んだ。
「さあ、お二人さん、ついてきてくれ。そっちの手品師は通れるか微妙だが、なーに、ぐいぐい押しこめばいけるいける!」
四人は進み始めた。先頭はレイ。続いてジャンとマヤ。しんがりにダイアナと続く。先頭のレイはけらけら笑いながら、壁を叩き、喋り続けた。
「ここは忘れられちまった連絡用の通路なんだと。この船って増築やら改築が多いんでこういう通路が一杯あるわけだ。ワニが住んでるって噂の通路もあるぞ!
気をつけなきゃなあ!」
マヤがふむふむと頷きながら、時折ジャンの背中を押した。ジャンは通り抜けること自体は容易だったのだが、素早くは進めない。擦れた腹が、壁の汚れをこそぎ取って行った。レイは後ろ向きで起用に進みながら、手を叩いて囃し立てた。
「うひゃひゃ! 手品師、あんたがいれば掃除いらずだな! さて、このちょっと先には、忘れられた倉庫があるんだぜ。すげえお宝が一杯さ!」
「モンキーレイ!」
ダイアナの鋭い声にレイは舌を出すと、突き当りのドアを開けた。
マヤは部屋に一歩踏み込んで、息を飲んだ。
薄暗い部屋の四方の壁には、大きな額が大量に飾られていた。マヤはその一つに近づくと、手で埃を拭って、驚きの声を上げた。
「ちょっと、これ!? モナリザでしょ!」
隣の絵も拭ってみる。ジャンが近づいてきて呑気な声を出した。
「こりゃ、ゴーギャンの……何とかの女だったかな?
……まあ、よくできた贋作だな」
「あ……そうなんだ。いやあ、吃驚したなあ」
二人の会話にレイが不思議そうに声をあげた。
「『がんさく』ってなんだ?」
ダイアナが静かに答える。
「偽物ってことよ」
「えぇっ!? なんだよ、ガッカリするなあ……売って金に換えようと思ってたのに」
ダイアナは溜息をつくと、今度は先頭で進みだした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
200万年後 軽トラで未来にやってきた勇者たち
半道海豚
SF
本稿は、生きていくために、文明の痕跡さえない200万年後の未来に旅立ったヒトたちの奮闘を描いています。
最近は温暖化による環境の悪化が話題になっています。温暖化が進行すれば、多くの生物種が絶滅するでしょう。実際、新生代第四紀完新世(現在の地質年代)は生物の大量絶滅の真っ最中だとされています。生物の大量絶滅は地球史上何度も起きていますが、特に大規模なものが“ビッグファイブ”と呼ばれています。5番目が皆さんよくご存じの恐竜絶滅です。そして、現在が6番目で絶賛進行中。しかも理由はヒトの存在。それも産業革命以後とかではなく、何万年も前から。
本稿は、2015年に書き始めましたが、温暖化よりはスーパープルームのほうが衝撃的だろうと考えて北米でのマントル噴出を破局的環境破壊の惹起としました。
第1章と第2章は未来での生き残りをかけた挑戦、第3章以降は競争排除則(ガウゼの法則)がテーマに加わります。第6章以降は大量絶滅は収束したのかがテーマになっています。
どうぞ、お楽しみください。
戦場の英雄、上官の陰謀により死亡扱いにされ、故郷に帰ると許嫁は結婚していた。絶望の中、偶然助けた許嫁の娘に何故か求婚されることに
千石
ファンタジー
「絶対生きて帰ってくる。その時は結婚しよう」
「はい。あなたの帰りをいつまでも待ってます」
許嫁と涙ながらに約束をした20年後、英雄と呼ばれるまでになったルークだったが生還してみると死亡扱いにされていた。
許嫁は既に結婚しており、ルークは絶望の只中に。
上官の陰謀だと知ったルークは激怒し、殴ってしまう。
言い訳をする気もなかったため、全ての功績を抹消され、貰えるはずだった年金もパー。
絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、
「ルーク、あなたに惚れたわ。今すぐあたしと結婚しなさい!」
何故か求婚されることに。
困りながらも巻き込まれる騒動を通じて
ルークは失っていた日常を段々と取り戻していく。
こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。
攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】
水無月いい人(minazuki)
ファンタジー
【HOTランキング一位獲得作品】
【一次選考通過作品】
---
とある剣と魔法の世界で、
ある男女の間に赤ん坊が生まれた。
名をアスフィ・シーネット。
才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。
だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。
攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。
彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。
---------
もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります!
#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
---
追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる