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第四章
その五 墓所:狂人の理
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大公は空中を音もなく歩きながら、両手の指をひらひらさせ、耳まで裂けんばかりの笑みを浮かべていた。木箱の上で揺らめく火が、一つ、また一つと消えていった。
ジャンが、おおと声をあげ、恭しく一礼した。
「これはこれは大公閣下! このような汚い所へようこそ! それにしたって遅いご到着ですなあ! おやあ? はてさて、私が開けた穴が顔にございませんな? 何処に行きましたかな?」
残酷大公は手をゆっくり翳す。ジャンはさっと身を屈める。
だが、その右手は何かに掴まれたようにピンと上に伸び始めた。
「不敬な豚だ……」
「うおおおおおっ!?」
声をあげるジャンの腕が、ギリギリと捻じれていく。マヤが叫んだ。
「や、やめろクソ野郎! それ以上やったら――」
ジャンの腕が湿った音を立てて、ねじ切れた。マヤは息を飲む。
ひらひらになった袖がたれ、ねじれた細い腕はまだ空中に浮いていた。ダイアナが小さく悲鳴を上げ、レイが何てこった! と叫ぶ。
「ジャ――ジャンさん!」
マヤは足をもつれさせながら、ジャンに駆け寄る。
残酷大公は高らかに笑い、ややあって、訝しげな顔になると、浮いているジャンの腕を手に取った。
「……ふん。面白い出し物だ」
残酷大公は腕を床に叩きつけた。それは、もぞもぞと勝手に動き出す。
ジャンは駆け寄ってきたマヤを手で制すると、体を震わす。と、袖口から新しい手がぬるりと生えてきた。
階層警察官とレイ、ダイアナがそろって長く息を吐いた。
マヤは頭を抱えてしゃがみこむ。
「もう、ホント……勘弁してよぉ……」
「はは、悪いな。そして中々いい顔になったじゃないか。ん?」
マヤは肩頬を上げた。
「知ったような口をきくじゃない。昨日会ったばかりの手品師さん」
「ふん、お前なんざ、五分あれば底の底まで見通せるね」
マヤの髪をくしゃりとやり、ジャンは残酷大公を睨みつけた。
「さて、大公閣下。不肖私、ジャン・ラプラスは大体あなたの企みを看破しましたぞ。マヤを呼んだのは、あの箱の中の人の代わりをさせるつもりだった――どうですかな?」
残酷大公はふふんと笑うと、ハインツに残念そうな顔を向けた。
「カスパール! お前には才能がない! 女を垂らしこむ才能がな。
だが、勘違いするな! お前には殺しの才能がある! それで良いのだ。慣れないことはするな!」
ハインツは不満そうな顔で、一礼をした。
マヤが声を荒げた。
「おい! なんだってあたしを誘おうとしたんだ!? 普通にさらえばいいじゃないか! 関係ない人間を大勢巻き込みやがって!」
ジャンがマヤの肩に触れる。
「それは俺が応えてやる。
あそこにいる馬鹿野郎二人は、お前――マヤ・パラディールを絶望させたかったんだ。
『受信機』としては、お前は成長しちまってるから不安定で使えない。
だが、もしかしたら、『中枢機構』としてなら使えるかもしれないと考えた。
だから、あの容器の中の女性のように、世界に対して憎悪を持ち続ける存在にするつもりだった。お前さんを絶望させ、それから幸福にし、そしてどん底まで落とす……そんなとこですかな?」
残酷大公は大袈裟に拍手をした。
マヤは自分の部屋のドレスと、大量の金を思い出して、何とも言えない気持ちになった。
この男、残酷大公は――人の心をわかっちゃいないんだな……。
「それにしてもわかりませんね。偉大なるヘルメス・トリスメギストスが、ちっぽけな人間に憎悪を抱くことになるとは……何がありました?」
ジャンの言葉に残酷大公は含み笑いをすると、目を見開いた。
赤い無数の光りが、深淵のようなその眼の中で煌めく。マヤとジャンがゆっくりと空中に持ち上げられていく。
「うおぉっ!? ちょっ……」
「マヤ、落ち着け」
残酷大公は両手を拡げ、芝居がかった様子で悲しそうな表情を作った。
「あの方は、絶望なされたのだ……人に! 自分に! 全てにだ!
あの方は新しき入れ物に魂を移して時代を経ながら、深淵を探求するはずだったのだ!
だが、あの方は優しすぎた!
人――いや、豚共の世に、役に立とうと、積極的に交わられた!
そして、数々の醜い物をご覧になられ、心がすさみ、やがては下卑た快楽を追及するようになられてしまったのだ!
なんということか! なんという悲劇か! あの素晴らしき崇高で透明なる純な魂を、貴様ら豚共の世界が、腐らせ、下の下まで堕落させてしまったのだ!!」
残酷大公は空中をエレベーターシャフトに向かって歩き始めた。
「ハアアアアアアアインツ! これから決闘を行う! 見せしめに、いつも通りに処刑する者を連れてこい!
今回はお前が選べ! 何人でも構わんぞ!! 私に従わぬ者は残らず連れてこい!!!」
マヤがもがきながら下を見ると、階層警察官が揉み合いをしていた。その中から栗毛の青年がレイとダイアナを抱えて逃げ出した。
すかさずハインツが発砲する。だが、三人は木箱の影に飛び込み、それ以上は見えなくなってしまった。
「それで、ヘルメスは自殺したのですか?」
ジャンの言葉に残酷大公は、涙を拭くような仕草で、けたたましく笑った。
「その通り、その通りなのだ!
あの方は、万物融解液(アルカエスト)をかぶり、不死の体を溶かし散らせてしまわれた……吾輩は独り残された……」
残酷大公は、顔を逸らせ、遥か上を見上げながら頭をゆっくりと振った。
「なんという悲劇! そしてなんという喜劇!
……であるから――くくくく、はははははははは!
次のヘルメスの器たる吾輩は、狂うより他なかったのだ!」
マヤは空中で笑い転げる残酷大公をまじまじと見た。
大公の目は――何処も見ていなかった。
ジャンが、おおと声をあげ、恭しく一礼した。
「これはこれは大公閣下! このような汚い所へようこそ! それにしたって遅いご到着ですなあ! おやあ? はてさて、私が開けた穴が顔にございませんな? 何処に行きましたかな?」
残酷大公は手をゆっくり翳す。ジャンはさっと身を屈める。
だが、その右手は何かに掴まれたようにピンと上に伸び始めた。
「不敬な豚だ……」
「うおおおおおっ!?」
声をあげるジャンの腕が、ギリギリと捻じれていく。マヤが叫んだ。
「や、やめろクソ野郎! それ以上やったら――」
ジャンの腕が湿った音を立てて、ねじ切れた。マヤは息を飲む。
ひらひらになった袖がたれ、ねじれた細い腕はまだ空中に浮いていた。ダイアナが小さく悲鳴を上げ、レイが何てこった! と叫ぶ。
「ジャ――ジャンさん!」
マヤは足をもつれさせながら、ジャンに駆け寄る。
残酷大公は高らかに笑い、ややあって、訝しげな顔になると、浮いているジャンの腕を手に取った。
「……ふん。面白い出し物だ」
残酷大公は腕を床に叩きつけた。それは、もぞもぞと勝手に動き出す。
ジャンは駆け寄ってきたマヤを手で制すると、体を震わす。と、袖口から新しい手がぬるりと生えてきた。
階層警察官とレイ、ダイアナがそろって長く息を吐いた。
マヤは頭を抱えてしゃがみこむ。
「もう、ホント……勘弁してよぉ……」
「はは、悪いな。そして中々いい顔になったじゃないか。ん?」
マヤは肩頬を上げた。
「知ったような口をきくじゃない。昨日会ったばかりの手品師さん」
「ふん、お前なんざ、五分あれば底の底まで見通せるね」
マヤの髪をくしゃりとやり、ジャンは残酷大公を睨みつけた。
「さて、大公閣下。不肖私、ジャン・ラプラスは大体あなたの企みを看破しましたぞ。マヤを呼んだのは、あの箱の中の人の代わりをさせるつもりだった――どうですかな?」
残酷大公はふふんと笑うと、ハインツに残念そうな顔を向けた。
「カスパール! お前には才能がない! 女を垂らしこむ才能がな。
だが、勘違いするな! お前には殺しの才能がある! それで良いのだ。慣れないことはするな!」
ハインツは不満そうな顔で、一礼をした。
マヤが声を荒げた。
「おい! なんだってあたしを誘おうとしたんだ!? 普通にさらえばいいじゃないか! 関係ない人間を大勢巻き込みやがって!」
ジャンがマヤの肩に触れる。
「それは俺が応えてやる。
あそこにいる馬鹿野郎二人は、お前――マヤ・パラディールを絶望させたかったんだ。
『受信機』としては、お前は成長しちまってるから不安定で使えない。
だが、もしかしたら、『中枢機構』としてなら使えるかもしれないと考えた。
だから、あの容器の中の女性のように、世界に対して憎悪を持ち続ける存在にするつもりだった。お前さんを絶望させ、それから幸福にし、そしてどん底まで落とす……そんなとこですかな?」
残酷大公は大袈裟に拍手をした。
マヤは自分の部屋のドレスと、大量の金を思い出して、何とも言えない気持ちになった。
この男、残酷大公は――人の心をわかっちゃいないんだな……。
「それにしてもわかりませんね。偉大なるヘルメス・トリスメギストスが、ちっぽけな人間に憎悪を抱くことになるとは……何がありました?」
ジャンの言葉に残酷大公は含み笑いをすると、目を見開いた。
赤い無数の光りが、深淵のようなその眼の中で煌めく。マヤとジャンがゆっくりと空中に持ち上げられていく。
「うおぉっ!? ちょっ……」
「マヤ、落ち着け」
残酷大公は両手を拡げ、芝居がかった様子で悲しそうな表情を作った。
「あの方は、絶望なされたのだ……人に! 自分に! 全てにだ!
あの方は新しき入れ物に魂を移して時代を経ながら、深淵を探求するはずだったのだ!
だが、あの方は優しすぎた!
人――いや、豚共の世に、役に立とうと、積極的に交わられた!
そして、数々の醜い物をご覧になられ、心がすさみ、やがては下卑た快楽を追及するようになられてしまったのだ!
なんということか! なんという悲劇か! あの素晴らしき崇高で透明なる純な魂を、貴様ら豚共の世界が、腐らせ、下の下まで堕落させてしまったのだ!!」
残酷大公は空中をエレベーターシャフトに向かって歩き始めた。
「ハアアアアアアアインツ! これから決闘を行う! 見せしめに、いつも通りに処刑する者を連れてこい!
今回はお前が選べ! 何人でも構わんぞ!! 私に従わぬ者は残らず連れてこい!!!」
マヤがもがきながら下を見ると、階層警察官が揉み合いをしていた。その中から栗毛の青年がレイとダイアナを抱えて逃げ出した。
すかさずハインツが発砲する。だが、三人は木箱の影に飛び込み、それ以上は見えなくなってしまった。
「それで、ヘルメスは自殺したのですか?」
ジャンの言葉に残酷大公は、涙を拭くような仕草で、けたたましく笑った。
「その通り、その通りなのだ!
あの方は、万物融解液(アルカエスト)をかぶり、不死の体を溶かし散らせてしまわれた……吾輩は独り残された……」
残酷大公は、顔を逸らせ、遥か上を見上げながら頭をゆっくりと振った。
「なんという悲劇! そしてなんという喜劇!
……であるから――くくくく、はははははははは!
次のヘルメスの器たる吾輩は、狂うより他なかったのだ!」
マヤは空中で笑い転げる残酷大公をまじまじと見た。
大公の目は――何処も見ていなかった。
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