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第7話:招かれざる来訪
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玄関の扉を開けた瞬間、
家の空気が違うとすぐに
わかった。
ただいま、と口にするより
先に、家の奥から母の声が
飛んだ。
「どこで油売ってたの?
人の家にずかずか上がり込んで、
恥を知らないの?」
まるで、何かを踏みにじった
子どもを責めるような声音だった。
椿は一歩、靴を脱ぐのをためらう。
「佐和さんの家に、お邪魔
しました」
恐る恐るそう告げると、母は
キッチンの流しから濡れた手で
タオルをつかみ、それを椿に
投げつけてきた。水のしずくが
床に跳ねる。
「やっぱり行ったのね。
まったく、どうしてあなたって
子は、そんなに人様に迷惑かける
のが得意なの?」
目の奥がひりつくような視線。
椿は無言でタオルを拾い、
端を整えて畳み直した。
⸻
夜、食卓の椅子に座ると、
椿の前の皿には白米だけが
盛られていた。
味噌汁も、おかずもない。
箸さえ、置かれていない。
「他所で甘やかされてきたん
でしょ? うちはそんな躾は
してませんから」
そう言いながら、母は自分と
父の食事を丁寧に並べていく。
父は新聞を広げたまま、
無関心を装っているが、
口元にはうっすらと嫌悪の笑みが
浮かんでいた。
椿は何も言わず、手でご飯を
摘まむ。
白米のぬくもりが、手のひらに
じわりと広がる。
⸻
母は椿の視線に気づいたように、
わざとらしく大きな声で父に言う。
「私、佐和さんのところに
ちゃんと連絡入れたのよ。
“うちの娘と仲良くすると、
お宅の子が悪影響を受けますよ”
って。なのに、今日に限って
何の相談もなくあの子が
行って……」
椿の胸の中に、冷たい何かが
落ちた。
やっぱり。
あの“やわらかい時間”は、
母の知らないところでしか
存在できないのだ。
自分の行き先を、いつも
母は先回りして潰していく。
見えない網の目のように、
母の言葉が周囲の大人たちを
締めつけていた。
「どうせ陰で何か悪さでも
したんでしょ。あんたが笑えば、
誰かが不幸になる。そういう
星の下に生まれたんだから」
その言葉に、椿はふっと
息を吐いた。
⸻
その夜、椿は布団の中で目を
開けたまま、天井を見ていた。
天井の模様が、淡い月明かりに
照らされて揺れている。
――私は、だれかの不幸を
背負って生きているのだろうか。
――人の家で笑ったことも、
罪だったのだろうか。
心の奥で、何かが静かに
沈んでいく。
それは、希望か。信頼か。
それとも、ただの諦めだった
のか。
椿はそっと目を閉じた。
誰にも見られないように、
声も立てずに泣いた。
けれどその涙は、母の前で
見せる涙とは違っていた。
そこには怒りも、哀れみも、
願いもなかった。ただ静かに、
自分自身の心が、冷たい水に
沈んでいくようだった。
⸻
それでも、椿の心の片隅には、
まだ“灯”があった。
それは、たった一人だけ、
自分を責めなかった存在。
小さな頃から、会うたびに
優しい手で髪を撫でてくれた人。
•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆
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家の空気が違うとすぐに
わかった。
ただいま、と口にするより
先に、家の奥から母の声が
飛んだ。
「どこで油売ってたの?
人の家にずかずか上がり込んで、
恥を知らないの?」
まるで、何かを踏みにじった
子どもを責めるような声音だった。
椿は一歩、靴を脱ぐのをためらう。
「佐和さんの家に、お邪魔
しました」
恐る恐るそう告げると、母は
キッチンの流しから濡れた手で
タオルをつかみ、それを椿に
投げつけてきた。水のしずくが
床に跳ねる。
「やっぱり行ったのね。
まったく、どうしてあなたって
子は、そんなに人様に迷惑かける
のが得意なの?」
目の奥がひりつくような視線。
椿は無言でタオルを拾い、
端を整えて畳み直した。
⸻
夜、食卓の椅子に座ると、
椿の前の皿には白米だけが
盛られていた。
味噌汁も、おかずもない。
箸さえ、置かれていない。
「他所で甘やかされてきたん
でしょ? うちはそんな躾は
してませんから」
そう言いながら、母は自分と
父の食事を丁寧に並べていく。
父は新聞を広げたまま、
無関心を装っているが、
口元にはうっすらと嫌悪の笑みが
浮かんでいた。
椿は何も言わず、手でご飯を
摘まむ。
白米のぬくもりが、手のひらに
じわりと広がる。
⸻
母は椿の視線に気づいたように、
わざとらしく大きな声で父に言う。
「私、佐和さんのところに
ちゃんと連絡入れたのよ。
“うちの娘と仲良くすると、
お宅の子が悪影響を受けますよ”
って。なのに、今日に限って
何の相談もなくあの子が
行って……」
椿の胸の中に、冷たい何かが
落ちた。
やっぱり。
あの“やわらかい時間”は、
母の知らないところでしか
存在できないのだ。
自分の行き先を、いつも
母は先回りして潰していく。
見えない網の目のように、
母の言葉が周囲の大人たちを
締めつけていた。
「どうせ陰で何か悪さでも
したんでしょ。あんたが笑えば、
誰かが不幸になる。そういう
星の下に生まれたんだから」
その言葉に、椿はふっと
息を吐いた。
⸻
その夜、椿は布団の中で目を
開けたまま、天井を見ていた。
天井の模様が、淡い月明かりに
照らされて揺れている。
――私は、だれかの不幸を
背負って生きているのだろうか。
――人の家で笑ったことも、
罪だったのだろうか。
心の奥で、何かが静かに
沈んでいく。
それは、希望か。信頼か。
それとも、ただの諦めだった
のか。
椿はそっと目を閉じた。
誰にも見られないように、
声も立てずに泣いた。
けれどその涙は、母の前で
見せる涙とは違っていた。
そこには怒りも、哀れみも、
願いもなかった。ただ静かに、
自分自身の心が、冷たい水に
沈んでいくようだった。
⸻
それでも、椿の心の片隅には、
まだ“灯”があった。
それは、たった一人だけ、
自分を責めなかった存在。
小さな頃から、会うたびに
優しい手で髪を撫でてくれた人。
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