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第16話
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「ありがとうございます、お父様」
「礼を言うのは、こちらのほうだ。お前は、私の誇りだ」
父が語り終えたそのとき、エリザがすっと身を乗り出した。
「でしたら、早速、次の手に移りましょう。公爵様、ミリア。実は、私の兄が、ずっと前から動いてくれていたのです」
エリザが待っていましたとばかりに口を開いた。私が息をのむ間もなく、彼女はまっすぐ前を見据え、強い意志を込めて言った。
エリザの兄、エルドリック伯爵。オルフォンス家の現当主である彼は、冷静沈着で切れ者だと評判の人物だ。
「兄は、あの事件の直後から、カタリーナ嬢の周辺を独自に調べていました。そして、一人の侍女を密かに保護していたのです。彼女の名前は、サラ。カタリーナが、ミリアを倉庫に閉じ込めた日、その場にいた唯一の侍女です」
こちらの切り札。カタリーナが秘かに信頼を寄せる侍女、サラ。いつもカタリーナの後ろで、怯えたように控えていた少女だ。今、安全な場所に隠されている。誰よりも口が堅く、信頼できる人物が、サラを人目につかない場所で守ってくれている。
彼女を守る者は、命を賭ける覚悟で動いていた。なぜなら、その小さな存在こそが、この争いの勝敗を左右する鍵を握っていたからだ。
「彼女が……証言を?」
「ええ。兄の説得に応じ、すべてを話す覚悟を決めてくれました。『カタリーナお嬢様に、倉庫に火をつけるよう、はっきりと指示された』と。その証言の、正式な承諾を得てきます」
真実に続く扉は、すでに開きかけていた。証拠は集まり、残すはその力を“どう使うか”だけ。その選択を誤れば、すべてが水の泡になる。私たちは慎重に、一つ一つの証拠を整理しながら、静かに勝負のときを待ち始めた。まるで、嵐の前の海に、静かに舟を浮かべるように。
◇
北の塔の一室は、外の世界から切り離されたような、ふたりだけの聖域だった。そこには、アーロンとカタリーナだけの時間が静かに流れ、誰にも踏み入れられない甘い空気が漂っていた。
レースのカーテンが、夜の静けさに合わせてそっと揺れる。その柔らかな囲いに包まれたベッドの上で、シーツに沈むふたりの影がひとつに重なる。呼吸と鼓動だけが響く空間で、ふたりは言葉もなく心を交わしていた。
「……アーロン」
ぬくもりを求めるように、カタリーナはそっと彼の胸に頬をあずけた。その表情はどこか満ち足りていて、吐息まじりの言葉が、彼の肌にやさしく触れる。
彼女の細くしなやかな指先が、彼の胸の上を滑るたび、彼の息づかいにわずかな変化が生まれていた。彼女の指の動きは、確かめるようでいて挑発するようでもあり、ふたりの間の空気を一段と熱くさせた。
「あの女、ミリアに手紙を送ったんでしょう? なんて書いてあったの?」
「気にするな。ただの、最後通告だ。俺のかわいいカタリーナを、傷つけるとただじゃおかないとな。心が広くて優しい俺でも、我慢の限度はある」
アーロンは、彼女の髪にそっと顔をうずめ、そのやわらかな香りを静かに吸い込んだ。ほんのひとときでも、この甘い空気の中に身を沈めていれば、外の世界の厄介なすべてが、どうでもよくなってくる。
(普段は穏やかで、多少のことじゃ目をつぶれる俺だけどな……守るべきものに手を出されたら話は別だ。俺は遠慮しない)
アーロンの胸の奥に、そんな思いが静かに湧き上がっていた。彼の中で一度も疑ったことのない、まっすぐな信念だった。彼女が自分の腕の中にいる──その事実だけが、いまの彼にとって何よりも確かで、何よりも大切だった。
(カタリーナをこれ以上、踏みにじるようなことをするなら……さすがの俺でも、黙ってはいられない。なにせ、俺にとってカタリーナは、どんな宝より大事な存在なんだ。カタリーナを守るためなら、どんな手でも使うし、俺はどこまでも鬼になれる)
声には出さなかったが、その想いはアーロンの中で揺るぎないものになっていた。彼が命をかけてでも守ろうとするカタリーナ。それは、彼の中では純粋な正義だった。
「礼を言うのは、こちらのほうだ。お前は、私の誇りだ」
父が語り終えたそのとき、エリザがすっと身を乗り出した。
「でしたら、早速、次の手に移りましょう。公爵様、ミリア。実は、私の兄が、ずっと前から動いてくれていたのです」
エリザが待っていましたとばかりに口を開いた。私が息をのむ間もなく、彼女はまっすぐ前を見据え、強い意志を込めて言った。
エリザの兄、エルドリック伯爵。オルフォンス家の現当主である彼は、冷静沈着で切れ者だと評判の人物だ。
「兄は、あの事件の直後から、カタリーナ嬢の周辺を独自に調べていました。そして、一人の侍女を密かに保護していたのです。彼女の名前は、サラ。カタリーナが、ミリアを倉庫に閉じ込めた日、その場にいた唯一の侍女です」
こちらの切り札。カタリーナが秘かに信頼を寄せる侍女、サラ。いつもカタリーナの後ろで、怯えたように控えていた少女だ。今、安全な場所に隠されている。誰よりも口が堅く、信頼できる人物が、サラを人目につかない場所で守ってくれている。
彼女を守る者は、命を賭ける覚悟で動いていた。なぜなら、その小さな存在こそが、この争いの勝敗を左右する鍵を握っていたからだ。
「彼女が……証言を?」
「ええ。兄の説得に応じ、すべてを話す覚悟を決めてくれました。『カタリーナお嬢様に、倉庫に火をつけるよう、はっきりと指示された』と。その証言の、正式な承諾を得てきます」
真実に続く扉は、すでに開きかけていた。証拠は集まり、残すはその力を“どう使うか”だけ。その選択を誤れば、すべてが水の泡になる。私たちは慎重に、一つ一つの証拠を整理しながら、静かに勝負のときを待ち始めた。まるで、嵐の前の海に、静かに舟を浮かべるように。
◇
北の塔の一室は、外の世界から切り離されたような、ふたりだけの聖域だった。そこには、アーロンとカタリーナだけの時間が静かに流れ、誰にも踏み入れられない甘い空気が漂っていた。
レースのカーテンが、夜の静けさに合わせてそっと揺れる。その柔らかな囲いに包まれたベッドの上で、シーツに沈むふたりの影がひとつに重なる。呼吸と鼓動だけが響く空間で、ふたりは言葉もなく心を交わしていた。
「……アーロン」
ぬくもりを求めるように、カタリーナはそっと彼の胸に頬をあずけた。その表情はどこか満ち足りていて、吐息まじりの言葉が、彼の肌にやさしく触れる。
彼女の細くしなやかな指先が、彼の胸の上を滑るたび、彼の息づかいにわずかな変化が生まれていた。彼女の指の動きは、確かめるようでいて挑発するようでもあり、ふたりの間の空気を一段と熱くさせた。
「あの女、ミリアに手紙を送ったんでしょう? なんて書いてあったの?」
「気にするな。ただの、最後通告だ。俺のかわいいカタリーナを、傷つけるとただじゃおかないとな。心が広くて優しい俺でも、我慢の限度はある」
アーロンは、彼女の髪にそっと顔をうずめ、そのやわらかな香りを静かに吸い込んだ。ほんのひとときでも、この甘い空気の中に身を沈めていれば、外の世界の厄介なすべてが、どうでもよくなってくる。
(普段は穏やかで、多少のことじゃ目をつぶれる俺だけどな……守るべきものに手を出されたら話は別だ。俺は遠慮しない)
アーロンの胸の奥に、そんな思いが静かに湧き上がっていた。彼の中で一度も疑ったことのない、まっすぐな信念だった。彼女が自分の腕の中にいる──その事実だけが、いまの彼にとって何よりも確かで、何よりも大切だった。
(カタリーナをこれ以上、踏みにじるようなことをするなら……さすがの俺でも、黙ってはいられない。なにせ、俺にとってカタリーナは、どんな宝より大事な存在なんだ。カタリーナを守るためなら、どんな手でも使うし、俺はどこまでも鬼になれる)
声には出さなかったが、その想いはアーロンの中で揺るぎないものになっていた。彼が命をかけてでも守ろうとするカタリーナ。それは、彼の中では純粋な正義だった。
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