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第32話
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二人は、まるで周りの人間が消えてしまったかのように、静かに唇を重ねていた。ただ、二人だけの世界に包まれていた。しかし、その穏やかなひとときの中で、ブラッドの心は、絶え間ない痛みと、切なさが交錯する複雑な感情に満ちていた。
やがて唇が離れると、セリーヌは頬を染めて幸せそうにルドルフの胸に顔をうずめた。ルドルフは、そんな彼女の髪を愛おしそうに撫でながら、ブラッドに勝利の視線を投げかけた。
「……うっ」
ブラッドの喉から、思わず奇妙な声が漏れた。目からは熱いものが止めどなくこぼれ落ちていった。声にならない涙がこぼれ、彼は顔を背けながらその場を離れようとした。貴族たちの視線が、好奇心と憐れみを混ぜ合わせて、痛いほど背中に突き刺さる。すべてが耐えきれなくなり、彼は無意識に広間を飛び出して、逃げるようにその場を後にした。
月明かりが庭園を静かに照らし、ブラッドはその美しい景色を見もせず、ひとり噴水の縁に座り込んで泣き続けていた。幼い子供のように声を上げて、涙が止まらなかった。失ったものの大きさが、急に押し寄せてきたかのように感じられ、その重さが胸を締め付けた。
しばらくして、ふと、楽しげな声が遠くから聞こえてきた。それは、広間の騒がしい音とは違い、もっと穏やかで親しみやすい響きがあった。その声に引き寄せられるように、ブラッドは自然と足を進めた。
足元の草の感触を感じながら、薔薇のアーチをくぐり抜けると、その先に人影が見えた。温かい光が、静かな空間に広がっているような気配が感じられ、その先に何が待っているのか無意識に胸が高鳴った。
(クロエ……!?)
その人影は、ルドルフとクロエだった。クロエは満面の笑みを浮かべながら、ルドルフの首にしっかりと腕を回して抱きついていた。その二人の姿は、周囲の空気までもが柔らかくなるような、温かい雰囲気を漂わせていた。
「ルドルフさま、大好き!」
その声は、ブラッドが長い間聞いたことのない娘の心から甘えたような声だった。ルドルフは、まるで実の娘を慈しむかのように、優しい笑顔でクロエを抱き上げると、楽しげにくるくると回って見せた。
その光景は、温かく幸せな瞬間に見えた。その時、ブラッドの脳裏に別の光景がよぎった。それは、幼馴染エミリーの子供アリスを抱き上げていた時のクロエの顔だった。クロエはその時、どこか悲しそうな表情を浮かべていた。
「ははは、私もクロエが大好きだぞ。重くなったな」
「ほんと? クロエ、大きくなった?」
「ああ。すぐに、ママよりも大きくなるかもしれないな」
高い高いをされて、クロエの楽しげな笑い声が、鈴の音のように夜の庭に響き渡る。その無邪気な笑い声を聞きながら、ブラッドは思わず目を閉じた。
自分を『パパなんて大嫌いだ!』と拒絶し、激しく反発していたはずの娘が、今では自分からすべてを奪った男――ルドルフに、あんなにも無邪気に全身で愛情を示している。
あまりにも無垢なその姿に、胸が締め付けられるようだった。彼の心には、もう、父親としての居場所がどこにもないのだと、はっきりと感じられた。
「どうしてだ……どうして俺じゃないんだ! 俺がクロエの父親だろう! こんなにも娘を愛しているのに……」
その事実が、最後の刃となって、ブラッドの心を完全に破壊した。彼は薔薇の茂みの陰に身を隠し、力なくその場に崩れ落ちた。もう、声を抑えることさえできなかった。嗚咽は次第にしゃっくりに変わり、あらゆる黒い感情が混ざり合って涙となって溢れ出してきた。
涙で滲む視界の先で、ルドルフがクロエを抱き上げたまま、セリーヌの元へ歩み寄っていくのが見えた。セリーヌは、微笑みながら二人を迎え、クロエの頬にキスをする。三人は、ずっと前からそうであったかのように、完璧な一つの家族として寄り添っていた。
「あれは、昔の俺の家族じゃないか? 幸せそうにしていた頃の姿だ……」
ブラッドには、過去の自分の家族のように見えた。その幸せそうな光景が、遠ざかっていく。音楽も、笑い声も、すべてが遠い。彼は暗い茂みの中で、一人、ただ泣き続けた。涙は、一向に止まる気配がなかった。
やがて唇が離れると、セリーヌは頬を染めて幸せそうにルドルフの胸に顔をうずめた。ルドルフは、そんな彼女の髪を愛おしそうに撫でながら、ブラッドに勝利の視線を投げかけた。
「……うっ」
ブラッドの喉から、思わず奇妙な声が漏れた。目からは熱いものが止めどなくこぼれ落ちていった。声にならない涙がこぼれ、彼は顔を背けながらその場を離れようとした。貴族たちの視線が、好奇心と憐れみを混ぜ合わせて、痛いほど背中に突き刺さる。すべてが耐えきれなくなり、彼は無意識に広間を飛び出して、逃げるようにその場を後にした。
月明かりが庭園を静かに照らし、ブラッドはその美しい景色を見もせず、ひとり噴水の縁に座り込んで泣き続けていた。幼い子供のように声を上げて、涙が止まらなかった。失ったものの大きさが、急に押し寄せてきたかのように感じられ、その重さが胸を締め付けた。
しばらくして、ふと、楽しげな声が遠くから聞こえてきた。それは、広間の騒がしい音とは違い、もっと穏やかで親しみやすい響きがあった。その声に引き寄せられるように、ブラッドは自然と足を進めた。
足元の草の感触を感じながら、薔薇のアーチをくぐり抜けると、その先に人影が見えた。温かい光が、静かな空間に広がっているような気配が感じられ、その先に何が待っているのか無意識に胸が高鳴った。
(クロエ……!?)
その人影は、ルドルフとクロエだった。クロエは満面の笑みを浮かべながら、ルドルフの首にしっかりと腕を回して抱きついていた。その二人の姿は、周囲の空気までもが柔らかくなるような、温かい雰囲気を漂わせていた。
「ルドルフさま、大好き!」
その声は、ブラッドが長い間聞いたことのない娘の心から甘えたような声だった。ルドルフは、まるで実の娘を慈しむかのように、優しい笑顔でクロエを抱き上げると、楽しげにくるくると回って見せた。
その光景は、温かく幸せな瞬間に見えた。その時、ブラッドの脳裏に別の光景がよぎった。それは、幼馴染エミリーの子供アリスを抱き上げていた時のクロエの顔だった。クロエはその時、どこか悲しそうな表情を浮かべていた。
「ははは、私もクロエが大好きだぞ。重くなったな」
「ほんと? クロエ、大きくなった?」
「ああ。すぐに、ママよりも大きくなるかもしれないな」
高い高いをされて、クロエの楽しげな笑い声が、鈴の音のように夜の庭に響き渡る。その無邪気な笑い声を聞きながら、ブラッドは思わず目を閉じた。
自分を『パパなんて大嫌いだ!』と拒絶し、激しく反発していたはずの娘が、今では自分からすべてを奪った男――ルドルフに、あんなにも無邪気に全身で愛情を示している。
あまりにも無垢なその姿に、胸が締め付けられるようだった。彼の心には、もう、父親としての居場所がどこにもないのだと、はっきりと感じられた。
「どうしてだ……どうして俺じゃないんだ! 俺がクロエの父親だろう! こんなにも娘を愛しているのに……」
その事実が、最後の刃となって、ブラッドの心を完全に破壊した。彼は薔薇の茂みの陰に身を隠し、力なくその場に崩れ落ちた。もう、声を抑えることさえできなかった。嗚咽は次第にしゃっくりに変わり、あらゆる黒い感情が混ざり合って涙となって溢れ出してきた。
涙で滲む視界の先で、ルドルフがクロエを抱き上げたまま、セリーヌの元へ歩み寄っていくのが見えた。セリーヌは、微笑みながら二人を迎え、クロエの頬にキスをする。三人は、ずっと前からそうであったかのように、完璧な一つの家族として寄り添っていた。
「あれは、昔の俺の家族じゃないか? 幸せそうにしていた頃の姿だ……」
ブラッドには、過去の自分の家族のように見えた。その幸せそうな光景が、遠ざかっていく。音楽も、笑い声も、すべてが遠い。彼は暗い茂みの中で、一人、ただ泣き続けた。涙は、一向に止まる気配がなかった。
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