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第3話
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「ニーナ嬢、どうかなさいましたか? アンドレ卿のお姿が見えませんが」
「……少し、野暮用が長引いているようですわ」
心配そうに声をかけてくれた侍女に、私はどうにか笑顔を返した。けれど、その微笑みの奥で、心は荒れ狂う嵐の中にいた。
(どうして来てくれないの? 何か予期せぬ出来事があったの? それとも……)
不安が冷たい霧となって、全身を包み込む。胸の奥に広がる予感は、拭いきれないほど静かで、けれど確かな重みを持っていた。
――そしてその夜、アンドレが舞踏会に姿を見せることは、とうとうなかった。
人目を避けるように、私はそっと会場を後にした。胸を張って歩いていた背筋は、知らず知らずのうちに震えていた。部屋へ戻ると、飾られたドレスも、丁寧に選んだ宝石も、夢の終わりのように色褪せて見えた。誰にも聞こえないよう、私はベッドに顔をうずめて静かに声を殺して泣いた。
そして、翌朝。
アンドレが、どこか疲れたような表情を浮かべて、私の屋敷を訪ねてきた。その顔を見た瞬間、胸の奥に張りつめていた糸が、ふっと緩むのを感じた。許したい。そう思ってしまいそうな自分が確かにいた。
けれど、彼の口からこぼれ落ちた言葉は、私の中に残っていた最後の希望を打ち砕いていった。
「すまない、ニーナ。昨夜は、どうしても行けなかったんだ」
「……何があったの?」
「キャンディが……お酒を飲みすぎて倒れてしまって。一晩中、看病をしていたんだ」
ああ、またキャンディ。私たちの、いちばん大切な約束の日でさえ、あなたは彼女を優先するのね。その瞬間、目の前がすっと暗くなった。涙はもう出てこなかった。ただ胸の奥で、何かが音もなく壊れていくのを感じた。それは、愛だったのか信頼だったのか自分自身だったのか、答えはわからないまま私はただ、そこに立ち尽くしていた。
「そう。それは……大変でしたわね」
「本当にすまない。埋め合わせは必ずするから」
「……アンドレ」
私は、心の奥が凍りついたような声で彼の名前を呼んだ。その一言には、言葉にできなかった想いのすべてが込められていた。
するとアンドレは、わずかに眉をひそめ、私の顔を見つめ返してきた。その表情には、苛立ちがにじみ、後ろめたさのような影が差していた。自分が悪いことをしたとわかっていながら、それを正当化しようとしているかのような曖昧で複雑な顔だった。
「あなたにとって、彼女は本当に、ただの友人なの? それとも……私が、邪魔なのかしら」
「どうしてそうなるんだ! だから、ただの仲の良い友人だと言っているだろう! 君は俺の大切なキャンディを悪く言うのか!」
その言葉が、私の中で最後の引き金になった。ああ、もう、はっきりした。
この人の心の中で、私は『彼女を悪く言う存在』にすぎず、守るべき大切な人は恋人である私ではなく、幼馴染だというキャンディの方なのだ。
胸の奥に残っていた小さな希望が、すうっと音もなく消えていくのを感じた。もう、何も言う気にはなれなかった。言葉を尽くしても、もう届かないとわかってしまったから。私と彼との恋は、この瞬間に静かに幕を下ろしたのだ。涙も怒りもなく、冷たく澄んだ実感だけが心に残った。
「……少し、野暮用が長引いているようですわ」
心配そうに声をかけてくれた侍女に、私はどうにか笑顔を返した。けれど、その微笑みの奥で、心は荒れ狂う嵐の中にいた。
(どうして来てくれないの? 何か予期せぬ出来事があったの? それとも……)
不安が冷たい霧となって、全身を包み込む。胸の奥に広がる予感は、拭いきれないほど静かで、けれど確かな重みを持っていた。
――そしてその夜、アンドレが舞踏会に姿を見せることは、とうとうなかった。
人目を避けるように、私はそっと会場を後にした。胸を張って歩いていた背筋は、知らず知らずのうちに震えていた。部屋へ戻ると、飾られたドレスも、丁寧に選んだ宝石も、夢の終わりのように色褪せて見えた。誰にも聞こえないよう、私はベッドに顔をうずめて静かに声を殺して泣いた。
そして、翌朝。
アンドレが、どこか疲れたような表情を浮かべて、私の屋敷を訪ねてきた。その顔を見た瞬間、胸の奥に張りつめていた糸が、ふっと緩むのを感じた。許したい。そう思ってしまいそうな自分が確かにいた。
けれど、彼の口からこぼれ落ちた言葉は、私の中に残っていた最後の希望を打ち砕いていった。
「すまない、ニーナ。昨夜は、どうしても行けなかったんだ」
「……何があったの?」
「キャンディが……お酒を飲みすぎて倒れてしまって。一晩中、看病をしていたんだ」
ああ、またキャンディ。私たちの、いちばん大切な約束の日でさえ、あなたは彼女を優先するのね。その瞬間、目の前がすっと暗くなった。涙はもう出てこなかった。ただ胸の奥で、何かが音もなく壊れていくのを感じた。それは、愛だったのか信頼だったのか自分自身だったのか、答えはわからないまま私はただ、そこに立ち尽くしていた。
「そう。それは……大変でしたわね」
「本当にすまない。埋め合わせは必ずするから」
「……アンドレ」
私は、心の奥が凍りついたような声で彼の名前を呼んだ。その一言には、言葉にできなかった想いのすべてが込められていた。
するとアンドレは、わずかに眉をひそめ、私の顔を見つめ返してきた。その表情には、苛立ちがにじみ、後ろめたさのような影が差していた。自分が悪いことをしたとわかっていながら、それを正当化しようとしているかのような曖昧で複雑な顔だった。
「あなたにとって、彼女は本当に、ただの友人なの? それとも……私が、邪魔なのかしら」
「どうしてそうなるんだ! だから、ただの仲の良い友人だと言っているだろう! 君は俺の大切なキャンディを悪く言うのか!」
その言葉が、私の中で最後の引き金になった。ああ、もう、はっきりした。
この人の心の中で、私は『彼女を悪く言う存在』にすぎず、守るべき大切な人は恋人である私ではなく、幼馴染だというキャンディの方なのだ。
胸の奥に残っていた小さな希望が、すうっと音もなく消えていくのを感じた。もう、何も言う気にはなれなかった。言葉を尽くしても、もう届かないとわかってしまったから。私と彼との恋は、この瞬間に静かに幕を下ろしたのだ。涙も怒りもなく、冷たく澄んだ実感だけが心に残った。
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