リュウのケイトウ

きでひら弓

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40合宿17師弟

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昨日に続き、
まだ誰も眼を覚ましていない
日の出前の早朝、
今日は一人神社の境内に
赴いた慧人。
その訪れを予感していたかの様に
深い藍色を背に佇む人影が
在った。

『久しいのう。
   随分と立派になったようだ。
鍛練は続けて
   おった様じゃの。』
石黒 源之丞。
静かな佇まいの中に
身を引き締める冷ややかな
気を纏い、
場を支配する眼差しを
放つ。

『お久しぶりです。
    師匠。
      御察しの通りです。』
源之丞の威圧を全身で
受けながら、
身動ぎ(みじろぎ)一つ、
呼吸一つ乱す事無く
両の眼(まなこ)を見据え
言葉少なに意を持って答える慧人。

『迩椰も、ティタも、
  素晴らしい巫女に成長して
   おった。
特に、迩椰。
   迩椰ならば瑰真の魏を
なし得る事も可能じゃろう。
   御主は特出した人材に
     報われておるな。
己の出逢いに感謝せねば
   成らぬぞよ。』

『心得ております。』

『今、逢うておるのも、
      導きだと思う物。
   さすれば、
     最後の教えを授けようか。
  最後と言うて(ゆうて)も
     終いの意味ではない。
  稽古は何時でも付けてくれる。
     最終章、免許皆伝を
       つかわそう。』

『お願い致します。』

慧人の言葉が終わる前に
二人の気先の動きが
始まる。同時。

((一瞬で決まる。))

0.2
肩幅よりやや開く足元、
中腰やや低く
右足首少し内に滑らせる様、
擦り
右手開き気味
手首外から内に返し
0.3
腰、更に一段落し
左に周り込む様
左足首内に返しつつ
擦り滑らせる如く
相手、懐に沈みつつ潜る
0.5
左手浅く握りから開き
掌底の形のまま
全身の畝り(うねり)より
得る力、腰、背、肩を
通し腕の先へ。

源之丞の掌は
慧人の顎先、皮一枚
手前の位置。

慧人の掌は
源之丞の鳩尾(みぞおち)
粟一粒手前の位置に。

同に時が凍る様
動き、場の空気が
完全に止まる。

音も無く
凪が世界を支配する。

一秒、色を取り戻した
     世界が動き出した。
源之丞が呼吸を思い出したかの
    様に言葉を紡ぎ出す。

『見事。
天晴れな こなし じゃった。
全て放たれておったら、
わしは、今頃 此処に
おれんかったかもしれんぞな。
主の顎を捉えても
動きを封じるには至るまいて。
砕けぬじゃろうし、
揺らぎすら通らぬじゃろう。
約束通り、
免許皆伝を授けよう。』

場の空気は和み
源之丞の表情も神主の
面持ちに変わっていた。

『ありがとうございました。』
慧人は深く頭を下げ、
一言、今迄の全てを心に込め
礼が言の葉に乗り口腔(こうこう)より
紡ぎ出されるのだった。

『しかし、
     あわやじゃった。
   龍真掌、完成しておったな。
それも併せ見事じゃったわいの。』

『師匠の教え有ってこそです。』

『わしを立てる気が有るのなら、
気は要らんから
巫女を何方(どちら)か
置いて行け。
そうじゃ、ティタを置いて
行かんか?ん。』
この後に及んで、
悪い癖の色ボケが発揮
されるとは。

『出来ません。』
慧人は眉一つ動かす事無く
答える。

『なんと。
ならば迩椰を置いて
行くか?。』

慧人は戯言を覚る様に
『それも出来ません。』

『欲張りな奴め。
ふぉっふぉっふぉっ
冗談じゃ。
あのような巫女、
置いて行かれても
わしの手に余る。
そうじゃ、
三人目の巫女も
目星が付いたのではないか?。』

『御慧眼、
     恐れ入ります。』

『良きかな。
御主に良い風が吹いて
来ておる。
龍の縁の者と巡るのも
わしにとっては主が
最後になると思おうておる。
今日は良い時を過ごさせて
貰うた。
わしも主に感謝する。

ありがとう。』
源之丞は深く頭(こうべ)を
下げる。
(良い武人になられた。
わしが教えて差し上げる事は、
もう何も無いじゃろう。
ちと寂しいが、
こんなに嬉しい事も
無いじゃろうて。)

記憶、心 、虚ろだった頃の慧人を
我が子、我が孫に接するが
如く慈しんでいた、あの
最愛の時間を思い出す様に。

その感慨を受ける様
今一度、
慧人は深く頭を下げる
のだった。

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