ポーカーフェイスとキラースマイル

五月雨 雫

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学園祭二日目

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学園祭の初日は無事に終了した。綾音は働きすぎることも頼られ過ぎることもなくて、新鮮な気分だった。クラスで決めた集合時間に登校するために、早起きしていつもよりかなり早いバスに乗った。とはいえ綾音の家から高校までは比較的近いので、六時台の適当なバスに乗りさえすればいい。洗濯物を干し、風呂を洗い、家族分の朝食を出してからバス停に行った。家から五分くらいの所にあるのだから、本当に便利だ。クラスTシャツに体操服の紺のハーフパンツ、薄手のパーカーという出で立ちで、綾音はじっとバスを待った。校則などあってないような学校だから、体操服登校でも何も言われないのである。
いつものようにバスの窓から移り変わる風景を眺めた。早朝のせいか、いつもより空気が冷たく、澄んでいる気がする。太陽光が霞んでいて綺麗なのに、頬を切り裂くような乾燥した空気を持つ早朝は、気持ちがいいけれど少しだけ恐ろしい。綾音はふと、開を思い出した。開は、こんな早朝に似ている気がする。だから、『手に負えない』のだろうか。
学園祭の間、開は実行委員の一員として忙しく働くのだろう。トランシーバーを持って、担当の階の見回りをするのだと思う。開と別れたとき、開に一度呼び止められたけれど『なんでもない』と何かをためらうように言っていた気がする。あの時は胸がいっぱいで考えられなかったけれど、なんだか胸に何かを抱えているような憂いを含んだ表情をしていた。「どうしたの」と訊くだけの器量があればよかった、と綾音は後悔する。
別に開と友達以上の関係になりたいわけではない。多くは望まない。けれど、好きになった相手だからこそきちんと気遣って、大切にしたいのに、どうしてうまくできないのだろうか。よくも悪くも、綾音には友達と心の底から呼べる人物は少ない。それなのに、その一握りさえもうまく大切にできないのかと思うと、悲しくなった。そういえば、開から一件メッセージをもらって以来、なにもチャットを交わしていない。
いつの間にかバスが駅の北口に着いたようで、音を立ててドアが開いた。淡々と高校への道を歩くと、ずっと先によく見慣れたポニーテールと、アッシュの髪色の二人が並んで歩いていた。遠くからでもよく分かる二人だ。
美青は元気がなさそうに見えたけれど、大丈夫だろうか。ずっと心配だったけれど、君山の隣にいる覚悟ができている強さを、尊敬する。二人を追いかけるような無粋な真似は要らない。綾音は誰にも見せない笑みを頬に携えて、お化け屋敷へと変貌した教室に入った。開はやはりいない。忙しい人のために用意された出席確認表には、すでに『黒瀬開』の隣にチェックが入っていた。どこかで仕事をしているのだろう。

「綾音ちゃん」

教室の中にある程度の人が集まってきて、各係で最終打ち合わせをした後、廊下で美青が綾音に話しかけてきた。いつもの元気な表情から一転して、こわばった顔をしている。

「どうしたの?大丈夫?」

「‥‥昨日看板持って歩いてくれたでしょ?ありがとう」

深刻な表情と出してきた話題が妙にアンバランスで、綾音は内心戸惑った。踏み込んでいいのか分からないが、放っては置けない。

「美青ちゃん、その、何かあった?一昨日から様子がおかしい気がして‥‥。違ったらごめんなさい」

調子がおかしいのは綾音自身もそうだろうと思いつつ、質問する。
美青はくすりと微笑して、ポニーテールを揺らしながら近づいて、綾音に耳打ちした。

「色々あって君山に『好き』って言いそうになったんだけど、結局言えなかったの。あたしったら何やってんだか。ずっと一緒なんだからいつでも言うチャンスがあるのに何年も黙っちゃってさ。性に合わないよねー」

踊るようなかわいらしい仕草も、明るい声色も、表情もいつも通りのものに戻ったのに、寂寥感はさらに強まったような気がした。から元気とは、まさにこのことだ。
綾音は開いている窓から教室の中にいる君山の方を見た。長身の彼しかできないことを頼まれたようで、暗幕が剥がれないようにしっかりテープを貼り付けている。その周りを必要ないほどの大人数が囲んで、君山を見つめていた。君山が人と関わり合いになっているから、物珍しいのだろう。それに、君山の横顔は、見とれる以外の選択肢を与えてはこない。
これが日常茶飯事では、美青は辛いだろうと思う。小学生の頃から一緒にいて、いつの間にか好きになった相手が常に誰かに見とれられているというのはどういう気分になるのか、想像することしかできない。綾音には幼馴染がいないから分からないのだ。

「‥‥ずっと一緒にいるから余計大変なんだと思う」

視線を美青のほうに戻して、綾音は呟いた。

「性に合わないなんて、言わないで」

両手で美青の手を優しく握り、祈るように言葉を発する。
綾音は美青に自分を貶して欲しくはなかった。人の心というのは殊に難しい。ずっと一緒にいればいるほど、上手くいかないこともあるのだから。

「綾音ちゃんの手は綺麗だね」

思わず、美青は視線を落として呟いた。綾音の手はきめ細かな肌に、見事なまでの女爪なのだ。細部から見える見事な女性らしさに気付いて以来、美青は綾音に内心で憧れている。

「美青ちゃん、あと、ありがとう。私、黒瀬くんが好き」

絞り出すようにして、綾音は言葉を続けた。そんなのとっくに知ってるよ、と美青は内心で笑う。綾音が人間関係で何か痛い目にあったことは、立ち居振る舞いから想像がつく。だから、「好き」や「嫌い」に鈍感なのだろうと思う。

「律儀にそんなこと言わなくていいよー。あ、告白するの?」

「え!?」

ふざけながら美青が試しに訊いてみると、綾音は一気にぎょっとした。美青が断行しようとした選択肢は、綾音の中には一切存在しないらしい。

「ありがとう綾音ちゃん。元気出た」

美青が笑うと、張り詰めていた綾音の表情が少し明るくなったように見える。
綾音は気付いているだろうか。最近になって、少しずつ表情が動き始めていることに。
美青は綾音の純真さが好きだ。これまで色々なボタンのかけ違えがあって、その度に小さな切り傷を負って、ここまで来たのだろう。けれど、いい年をして平気で「ありがとう」と何度も言って人に感謝できるところや、たまに恐る恐る核心を突く質問をしてくるところは勇気がなければできないと思う。早いところ開のところに行ってしまえばいいと二つの意味で考えてしまうが、それを口に出すのははばかられた。
本当に、元気が出た気がする。

「ならよかった‥‥」

安堵する綾音を横目に、くるりと体の向きを変え、美青は教室に入って、ちょうど作業を終えた君山に話しかけに行った。君山が作業を終えて視線を暗幕から他に移したせいか、周りの人が少しずつ君山から離れている。友達のところに行くとか、そういう

「君山」

「なに」

君山はゆっくりと美青の方を振り返る。相変わらず淡々とした態度だ。真っ直ぐにこちらを見てくる。
勇気を出して話しかけた美青自身とは全く態度が違うように見えて、やはり悔しい。たった一度でいいから女性として見られたいと思うのだが、綾音のような慎ましやかな態度が取れなければ、無理なのだろうか。けれど、どうでもよくなった。不思議と綾音に嫉妬する気にはならないのだから不思議なものだ。
君山が綾音に想いを寄せていようが、構わない。綾音も君山が好きなのであれば身を引くくらいの分別は身に付けているつもりだったけれど、綾音自身が開が好きだと教えてくれた。そもそも、身を引くも何も、ただ隣に居続けるだけでは、君山には通用しなかったのだ。
もう何年も想いをしまい込んできた。それを言いかけたのは初めてのことだ。ここまで来たら、美青が好きに振る舞ってもいいだろう。

「今日は私と一緒に帰ってね。昨日の帰り、私に何も言わないで置いてったでしょ」

「俺は打ち上げに行く気はない」

ぴしゃりとした口調だ。学園祭が終わった日は希望者で打ち上げに行くのがこの高校の恒例である。希望者、といってもクラスの九割方参加するのだが。
君山が打ち上げに行きたがらないことなんて、美青には予想が付いていた。君山にとっては煩わしい行事としか映らないのだろう。あまりにも予想通りの返事をしてくれるので思わず吹き出してしまう。

「じゃあそれでもいいから、一緒に帰ろ」

とにかくまずは二人きりになりたかった。君山への想いを自覚してから夜更けに二人きりになる機会を得るのは初めてのことだった。美青は君山と夜中に二人きりで行動してみたい、とずっと思っていたのだった。
夜の闇はあまり好きではないのだが、君山と一緒なら美しいものに変わるのではないかと予感していたからだ。
君山は真っ直ぐに美青へと向けていた視線を珍しく逸らして、何かを考えむような様子を見せた。そして、降参して白旗を上げるように肩を落とす。

「お前は打ち上げとか好きだろ。俺も打ち上げ行くよ。それなら一緒に帰ろうとしなくたって、嫌でも電車が揃うだろ」

「‥‥うん」

君山が折れて美青の方に合わせるなんて予想していなくて、美青は嬉しさと戸惑いでいっぱいになってうなずいた。

「ほら、廊下。小松と一緒だろ。行ってやれよ」

君山の視線の先を見ると、綾音がじっと美青たちの方を見ていた。無表情のようでいて、よく見ると心配そうにも、応援しているかのようにも見える。
美青が笑いかけると、なぜか二回ほど頷いた。小声で会話したので何を話したのかは分かっていないと思うが、君山といい話ができたのを察知してくれたのだろう。
美青は笑いながら再び綾音のもとへ向かい、持ち前の明るさで受付係の仕事を始めた。先程までもやがかかったように心を覆い尽くしていた憂いは、もうなかった。
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