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第三章
29. 勝負の行方は
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お茶会の場所は、白い梔子とハーブが植えられている中庭だった。中央に白い円卓を置き、ケーキスタンドの一番上には綺麗な焼き色のカヌレがあった。
高い木が大きな影を作り、風通しもよいため、意外と涼しい。
それぞれ椅子に座り、若いメイドがティーカップの中を紅茶で満たしていく。ハーブティーだろうか。どこかホッとする上品な香りに、セラフィーナは緊張の糸がゆるんでいくのを感じた。
「さあ、どうぞ召し上がって」
カレンデュラが口をつけたのを確かめてから、セラフィーナは手袋を外し、サンドイッチを手に取る。
見た目も鮮やかなフルーツサンドは果物が瑞々しく、食パンの生地もふわふわだった。一口含んだ瞬間、わずかに目を見開く。
「……とても美味しいですね」
「ふふ、そうでしょう。うちのシェフは腕がいいもの」
エディは食べ物には手をつけず、ティーカップをソーサーごと持ち上げ、ゆっくりと味わっている。白地に青の葡萄柄のティーカップは美しい曲線を描き、取っ手も洗練されたデザインだ。茶器のセンスもいい。
(それにしても、今日もカレンデュラ様の装いは気合いが入っているわね。レスポワ伯爵家の裕福な暮らしぶりを如実に表しているみたい……)
カレンデュラはエディと世間話を始めた。
懐かしい話なのか、エディが目元を和らげて相づちを打っている。自分にはわからない話題で盛り上がっているのは、セラフィーナへの当てつけだろう。だが、ここで口を挟むような野暮はしない。話の邪魔にならないように空気に徹した。
和やかなお茶会が進んで紅茶のおかわりも終えた頃、カレンデュラが使用人を呼んだ。
メイドは心得たように包みを両手で抱えて持ってきた。
「お嬢様。こちらを」
「ええ。ありがとう。──下がっていいわよ」
メイドがぺこりと頭を下げ、背中を向ける。その姿を目で追っていると、カレンデュラが含みを持たせた口調で言った。
「セラフィーナ様。勝負のことは覚えていらして?」
「……もちろんです」
「では、私から発表させてもらうわ。どうぞ、ご覧くださいな」
テーブルの上に、白い布がふわりと広がる。
次の瞬間、色鮮やかな花々が目に飛び込んできた。うっとりするほど美しい庭の奥には邸宅があり、手前では小川が流れ、風で葉が舞っている。
「これは……」
セラフィーナのつぶやきに、カレンデュラは得意げに「ふふん」と短く返し、薄紅色の髪を肩越しに払った。
遠くから見たらきっと絵画に見えるに違いない。刺繍とは思えない大作だ。
「お見事です。これを一ヶ月で……?」
「正確に言うと、一ヶ月半ですわ。私が言い出した勝負ですもの。全力でやりました」
「しかし、カレンデュラ。だいぶ無理をしたのではありませんか?」
心配そうに言うエディに、カレンデュラは優雅に微笑んだ。
「まあ、ご心配ありがとうございます。でも、私とあなたの未来のためですもの。このくらい、なんてことありません」
「…………」
セラフィーナはエディと顔を見合わせた。
(正直、カレンデュラ様の作品は予想を上回る出来映えだったわ。……もう負けは確定ね)
完成品を知っているエディも同じ気持ちだろう。
別の勝負だったら結果も違っていただろうが、こればかりは致し方ない。
「……次はわたくしの番ですね」
セラフィーナは、カレンデュラの作品の横に自分の作品を置いた。布のサイズも一回り小さいため、比較するのが申し訳ないほどだ。
おそるおそる様子を窺うと、カレンデュラは笑顔のまま固まっていた。
やがて、ぷるぷると腕を震わせた彼女の口から、押し殺したような小声がもれてくる。
「なによ……これ……っ」
「…………」
「こんなの、幼稚な子どもの作品じゃない! あなた、私をばかにしているの!?」
バンッとテーブルを叩き、カレンデュラが怒りをあらわにした。
セラフィーナは真面目な顔で言葉を返す。
「それは正真正銘、わたくしが縫った作品です」
「は……? 冗談でしょう?」
「いいえ。刺繍だけは昔から苦手でして。これでも上達したほうなのですが……」
伏し目がちに言うと、冗談ではないことが伝わったのか、同情するような眼差しを感じた。
気まずい沈黙が流れ、風が木の葉を揺らす。木漏れ日がちらちらと緑色に踊る。
「こほん……勝負は勝負よ。あなたにはエディ様の恋人の座から降りてもらうわ!」
「わかりました。潔く負けを認めます」
「ふふん。わかったのなら、さっさと帰るのね!」
勝ち誇ったような顔で言われたものの、セラフィーナは首を左右に振った。
「確かに勝負に敗れ、恋人ではなくなりました。けれども、わたくしがエディ様をお慕いする気持ちに変わりはありません」
「な、何を……! あなたは負けたでしょう!」
こうなることは想定済みだ。
勝負には負けたが、まだ話は終わっていない。本題はここからだ。
(そもそも今回の件は、二人がしっかり話し合っていれば回避できたと思うのよね。エディ様は傷つけまいと言葉を選んだのだと思うけれど……本音をぶつけなければ気持ちは伝わらないもの。本当はこんな回りくどい真似をしなくてもよかった)
セラフィーナはちらりとエディを見やった。
「本人に決めていただきましょう。誰が自分の恋人にふさわしいか。それとも、選ばれる自信がないとでも?」
「ば、ばかにしないでちょうだい! 私が選ばれるに決まっているでしょう。付き合いだって私のほうが長いのよ。エディ様のことをよく知っているのはあなたではなく、私。──そうでしょう!?」
「いいえ、答えは決まっています。わたくしですよね?」
「え、ええと……」
二人から詰め寄られ、逃げ場を探すようにエディの視線がさまよう。
(カレンデュラ様に身を引かせるためには、エディ様の口から本心を話さないと意味がない。どうか気づいて……!)
必死の願いが通じたのか、困り顔のエディが観念したように小さく息をつき、カレンデュラに向き直った。
「カレンデュラ。この際なので、はっきりお伝えしますが、私はあなたと結婚するつもりはありません。どうか私のことは諦めてください」
「な、なぜです!? 見た目や教養のどこに不足があるというのですか!? あなたの妻になるために、これまで自分磨きを頑張ってきましたのよ」
今まで明らかな拒絶はされていなかったのだろう。カレンデュラは理解しがたいという表情で食ってかかった。
その反応を真顔で見つめ、エディは嘆息した。
「……そういうところです。あなたは芯が強い。ただ、いささか強すぎる。自信があるのは結構ですが、努力さえすれば、すべて自分の思い通りになると決めつけているでしょう。私が好む女性像からかけ離れています」
「で、では、その女のことは……!?」
カレンデュラが指差す先にいるのはセラフィーナだ。
無言のまま、エディと目が合う。だがそれは一瞬だった。彼はカレンデュラに視線を戻し、話を続けた。
「少々無鉄砲なところがありますが、好ましく感じています。どちらかを将来伴侶とするならセラフィーナを選びます」
「そ……そんな」
「ですが、妹の友人としては、カレンデュラは頼りになる存在だと思っていますよ。いつも引っ込み思案の妹を引っ張ってくれているでしょう。そういう存在は貴重ですから。これからも妹のことをお願いできますか?」
それは嘘偽りのない言葉だったのだろう。
素直な賞賛にカレンデュラは唇をぎゅっと引き締め、拗ねたような表情を浮かべた。
「……振った女に残酷なお願いをなさるのね。いいわ。レスポワ伯爵家の名前に誓って、その願いを叶えましょう」
「ありがとうございます」
一件落着だ。セラフィーナは静かに自分の作品を鞄にしまう。
最初から二人でしっかり対話を重ねていれば、すれ違いも起こらなかったはずだ。けれど、エディに熱を上げていたカレンデュラは、彼の答えを自分に都合よく受け取っていた可能性が高い。
今回、話し合いが無事に終わったのは、セラフィーナが同席していたことも大きいだろう。
(ただ……初恋に終止符を打つことになったカレンデュラ様の胸中を思うと、やはり心苦しいわね。でも芯の強い彼女なら、きっとこの痛みを乗り越えられるわ。恋人になれなくても、大事な妹を任せられる相手だとエディ様が認めているのは、それだけの信用があるからでしょうし)
失恋の傷は残るだろうが、エディの言葉で少しは和らいだのではないだろうか。
自分自身の欠点を見つめ直せば、彼女に寄り添える相手も見極められると思う。気づいていないだけで、案外そういう存在は近くにいるものだから。
◇◆◇
話がまとまって帰る挨拶も済ませた後、ふとカレンデュラが呼び止めた。
「お待ちなさい。結局、あなたの家名を聞いていなかったわ。私だけ名乗るなんて不平等ではなくて?」
「──これは失礼いたしました。わたくしはアールベック侯爵の長女、セラフィーナと申します」
馬車に乗ろうとしていたセラフィーナはステップから降り、ドレスをひとつかみして淑女の礼をした。
本当は名乗る家名などない。貴族名鑑から抹消され、平民に落とされたのだから。
(だけど、今のわたくしはエディ様の偽恋人役だもの。正直に話せば、レクアル様やエディ様に迷惑をかけてしまう。それだけは避けなければ)
レクアルから求められたのは侯爵令嬢としての教養だ。どんなに心が痛んだとしても、最後まで彼女が諦めるような女性を演じなくてはならない。
セラフィーナは何の反応もないことに不審に思い、そっと顔を上げた。
カレンデュラは目をぱちくりとさせていた。数十秒の間を置いて、ぷっくり二重の菖蒲色の瞳が驚きに彩られていく。
「なっ……なんですって!? あ、あなた……あのアールベック侯爵家の娘!?」
「はい。そうですが」
「あの黒魔王……んん、ヴォール宰相の娘なの? 本当に?」
なぜか疑い深い目を向けられ、セラフィーナは小首を傾げた。
「ヴォール宰相は父です。それが何か……?」
肯定すると、めまいを堪えるようにカレンデュラが額に手を当てた。
それほど驚かれる理由がわからない。ここは帝国ではなく、クラッセンコルト公国だというのに。エディも心当たりがないのか、戸惑ったような顔をしている。
やがて、カレンデュラがうめくように言った。
「アールベック家には……大きな借りがあるのよ……。なんなの、もう。初めから私は身を引くしかなかったんじゃないの……」
「ええと、カレンデュラ様?」
話が見えず瞬きしかできずにいると、菖蒲色の瞳にキッと睨まれた。
「私は身を引くけれど、勝負は私の勝ちだったから! そのことは忘れないでちょうだい!」
「わ……わかりました」
「エディ様も! 幸せにならないと怒りますからね!?」
「……は、はい」
今にも噛みつきそうなほどの剣幕に押され、セラフィーナとエディは頷き返す。その反応に満足したのか、カレンデュラがふんと胸を張った。
(さっぱり事情はわからないけれど……。まあ、結果よければすべてよし、ということにしておきましょう)
改めて別れの挨拶を口にすると、カレンデュラは悔しげな顔を隠そうともしなかった。
その素直さがまぶしかった。妹がいたら、こんな感じだろうかと思う。
カレンデュラは後ろにいた執事になだめられて、渋々といった様子ながらも淑やかに辞儀をした。こういった光景には慣れているのか、エディが肩をすくめた。けれども、その眼差しはとても柔らかい。
(一時はどうなることかと思ったけど、喧嘩別れにならなくてよかったわ)
セラフィーナはわずかに口元をゆるめ、今度こそ馬車に乗り込んだ。
高い木が大きな影を作り、風通しもよいため、意外と涼しい。
それぞれ椅子に座り、若いメイドがティーカップの中を紅茶で満たしていく。ハーブティーだろうか。どこかホッとする上品な香りに、セラフィーナは緊張の糸がゆるんでいくのを感じた。
「さあ、どうぞ召し上がって」
カレンデュラが口をつけたのを確かめてから、セラフィーナは手袋を外し、サンドイッチを手に取る。
見た目も鮮やかなフルーツサンドは果物が瑞々しく、食パンの生地もふわふわだった。一口含んだ瞬間、わずかに目を見開く。
「……とても美味しいですね」
「ふふ、そうでしょう。うちのシェフは腕がいいもの」
エディは食べ物には手をつけず、ティーカップをソーサーごと持ち上げ、ゆっくりと味わっている。白地に青の葡萄柄のティーカップは美しい曲線を描き、取っ手も洗練されたデザインだ。茶器のセンスもいい。
(それにしても、今日もカレンデュラ様の装いは気合いが入っているわね。レスポワ伯爵家の裕福な暮らしぶりを如実に表しているみたい……)
カレンデュラはエディと世間話を始めた。
懐かしい話なのか、エディが目元を和らげて相づちを打っている。自分にはわからない話題で盛り上がっているのは、セラフィーナへの当てつけだろう。だが、ここで口を挟むような野暮はしない。話の邪魔にならないように空気に徹した。
和やかなお茶会が進んで紅茶のおかわりも終えた頃、カレンデュラが使用人を呼んだ。
メイドは心得たように包みを両手で抱えて持ってきた。
「お嬢様。こちらを」
「ええ。ありがとう。──下がっていいわよ」
メイドがぺこりと頭を下げ、背中を向ける。その姿を目で追っていると、カレンデュラが含みを持たせた口調で言った。
「セラフィーナ様。勝負のことは覚えていらして?」
「……もちろんです」
「では、私から発表させてもらうわ。どうぞ、ご覧くださいな」
テーブルの上に、白い布がふわりと広がる。
次の瞬間、色鮮やかな花々が目に飛び込んできた。うっとりするほど美しい庭の奥には邸宅があり、手前では小川が流れ、風で葉が舞っている。
「これは……」
セラフィーナのつぶやきに、カレンデュラは得意げに「ふふん」と短く返し、薄紅色の髪を肩越しに払った。
遠くから見たらきっと絵画に見えるに違いない。刺繍とは思えない大作だ。
「お見事です。これを一ヶ月で……?」
「正確に言うと、一ヶ月半ですわ。私が言い出した勝負ですもの。全力でやりました」
「しかし、カレンデュラ。だいぶ無理をしたのではありませんか?」
心配そうに言うエディに、カレンデュラは優雅に微笑んだ。
「まあ、ご心配ありがとうございます。でも、私とあなたの未来のためですもの。このくらい、なんてことありません」
「…………」
セラフィーナはエディと顔を見合わせた。
(正直、カレンデュラ様の作品は予想を上回る出来映えだったわ。……もう負けは確定ね)
完成品を知っているエディも同じ気持ちだろう。
別の勝負だったら結果も違っていただろうが、こればかりは致し方ない。
「……次はわたくしの番ですね」
セラフィーナは、カレンデュラの作品の横に自分の作品を置いた。布のサイズも一回り小さいため、比較するのが申し訳ないほどだ。
おそるおそる様子を窺うと、カレンデュラは笑顔のまま固まっていた。
やがて、ぷるぷると腕を震わせた彼女の口から、押し殺したような小声がもれてくる。
「なによ……これ……っ」
「…………」
「こんなの、幼稚な子どもの作品じゃない! あなた、私をばかにしているの!?」
バンッとテーブルを叩き、カレンデュラが怒りをあらわにした。
セラフィーナは真面目な顔で言葉を返す。
「それは正真正銘、わたくしが縫った作品です」
「は……? 冗談でしょう?」
「いいえ。刺繍だけは昔から苦手でして。これでも上達したほうなのですが……」
伏し目がちに言うと、冗談ではないことが伝わったのか、同情するような眼差しを感じた。
気まずい沈黙が流れ、風が木の葉を揺らす。木漏れ日がちらちらと緑色に踊る。
「こほん……勝負は勝負よ。あなたにはエディ様の恋人の座から降りてもらうわ!」
「わかりました。潔く負けを認めます」
「ふふん。わかったのなら、さっさと帰るのね!」
勝ち誇ったような顔で言われたものの、セラフィーナは首を左右に振った。
「確かに勝負に敗れ、恋人ではなくなりました。けれども、わたくしがエディ様をお慕いする気持ちに変わりはありません」
「な、何を……! あなたは負けたでしょう!」
こうなることは想定済みだ。
勝負には負けたが、まだ話は終わっていない。本題はここからだ。
(そもそも今回の件は、二人がしっかり話し合っていれば回避できたと思うのよね。エディ様は傷つけまいと言葉を選んだのだと思うけれど……本音をぶつけなければ気持ちは伝わらないもの。本当はこんな回りくどい真似をしなくてもよかった)
セラフィーナはちらりとエディを見やった。
「本人に決めていただきましょう。誰が自分の恋人にふさわしいか。それとも、選ばれる自信がないとでも?」
「ば、ばかにしないでちょうだい! 私が選ばれるに決まっているでしょう。付き合いだって私のほうが長いのよ。エディ様のことをよく知っているのはあなたではなく、私。──そうでしょう!?」
「いいえ、答えは決まっています。わたくしですよね?」
「え、ええと……」
二人から詰め寄られ、逃げ場を探すようにエディの視線がさまよう。
(カレンデュラ様に身を引かせるためには、エディ様の口から本心を話さないと意味がない。どうか気づいて……!)
必死の願いが通じたのか、困り顔のエディが観念したように小さく息をつき、カレンデュラに向き直った。
「カレンデュラ。この際なので、はっきりお伝えしますが、私はあなたと結婚するつもりはありません。どうか私のことは諦めてください」
「な、なぜです!? 見た目や教養のどこに不足があるというのですか!? あなたの妻になるために、これまで自分磨きを頑張ってきましたのよ」
今まで明らかな拒絶はされていなかったのだろう。カレンデュラは理解しがたいという表情で食ってかかった。
その反応を真顔で見つめ、エディは嘆息した。
「……そういうところです。あなたは芯が強い。ただ、いささか強すぎる。自信があるのは結構ですが、努力さえすれば、すべて自分の思い通りになると決めつけているでしょう。私が好む女性像からかけ離れています」
「で、では、その女のことは……!?」
カレンデュラが指差す先にいるのはセラフィーナだ。
無言のまま、エディと目が合う。だがそれは一瞬だった。彼はカレンデュラに視線を戻し、話を続けた。
「少々無鉄砲なところがありますが、好ましく感じています。どちらかを将来伴侶とするならセラフィーナを選びます」
「そ……そんな」
「ですが、妹の友人としては、カレンデュラは頼りになる存在だと思っていますよ。いつも引っ込み思案の妹を引っ張ってくれているでしょう。そういう存在は貴重ですから。これからも妹のことをお願いできますか?」
それは嘘偽りのない言葉だったのだろう。
素直な賞賛にカレンデュラは唇をぎゅっと引き締め、拗ねたような表情を浮かべた。
「……振った女に残酷なお願いをなさるのね。いいわ。レスポワ伯爵家の名前に誓って、その願いを叶えましょう」
「ありがとうございます」
一件落着だ。セラフィーナは静かに自分の作品を鞄にしまう。
最初から二人でしっかり対話を重ねていれば、すれ違いも起こらなかったはずだ。けれど、エディに熱を上げていたカレンデュラは、彼の答えを自分に都合よく受け取っていた可能性が高い。
今回、話し合いが無事に終わったのは、セラフィーナが同席していたことも大きいだろう。
(ただ……初恋に終止符を打つことになったカレンデュラ様の胸中を思うと、やはり心苦しいわね。でも芯の強い彼女なら、きっとこの痛みを乗り越えられるわ。恋人になれなくても、大事な妹を任せられる相手だとエディ様が認めているのは、それだけの信用があるからでしょうし)
失恋の傷は残るだろうが、エディの言葉で少しは和らいだのではないだろうか。
自分自身の欠点を見つめ直せば、彼女に寄り添える相手も見極められると思う。気づいていないだけで、案外そういう存在は近くにいるものだから。
◇◆◇
話がまとまって帰る挨拶も済ませた後、ふとカレンデュラが呼び止めた。
「お待ちなさい。結局、あなたの家名を聞いていなかったわ。私だけ名乗るなんて不平等ではなくて?」
「──これは失礼いたしました。わたくしはアールベック侯爵の長女、セラフィーナと申します」
馬車に乗ろうとしていたセラフィーナはステップから降り、ドレスをひとつかみして淑女の礼をした。
本当は名乗る家名などない。貴族名鑑から抹消され、平民に落とされたのだから。
(だけど、今のわたくしはエディ様の偽恋人役だもの。正直に話せば、レクアル様やエディ様に迷惑をかけてしまう。それだけは避けなければ)
レクアルから求められたのは侯爵令嬢としての教養だ。どんなに心が痛んだとしても、最後まで彼女が諦めるような女性を演じなくてはならない。
セラフィーナは何の反応もないことに不審に思い、そっと顔を上げた。
カレンデュラは目をぱちくりとさせていた。数十秒の間を置いて、ぷっくり二重の菖蒲色の瞳が驚きに彩られていく。
「なっ……なんですって!? あ、あなた……あのアールベック侯爵家の娘!?」
「はい。そうですが」
「あの黒魔王……んん、ヴォール宰相の娘なの? 本当に?」
なぜか疑い深い目を向けられ、セラフィーナは小首を傾げた。
「ヴォール宰相は父です。それが何か……?」
肯定すると、めまいを堪えるようにカレンデュラが額に手を当てた。
それほど驚かれる理由がわからない。ここは帝国ではなく、クラッセンコルト公国だというのに。エディも心当たりがないのか、戸惑ったような顔をしている。
やがて、カレンデュラがうめくように言った。
「アールベック家には……大きな借りがあるのよ……。なんなの、もう。初めから私は身を引くしかなかったんじゃないの……」
「ええと、カレンデュラ様?」
話が見えず瞬きしかできずにいると、菖蒲色の瞳にキッと睨まれた。
「私は身を引くけれど、勝負は私の勝ちだったから! そのことは忘れないでちょうだい!」
「わ……わかりました」
「エディ様も! 幸せにならないと怒りますからね!?」
「……は、はい」
今にも噛みつきそうなほどの剣幕に押され、セラフィーナとエディは頷き返す。その反応に満足したのか、カレンデュラがふんと胸を張った。
(さっぱり事情はわからないけれど……。まあ、結果よければすべてよし、ということにしておきましょう)
改めて別れの挨拶を口にすると、カレンデュラは悔しげな顔を隠そうともしなかった。
その素直さがまぶしかった。妹がいたら、こんな感じだろうかと思う。
カレンデュラは後ろにいた執事になだめられて、渋々といった様子ながらも淑やかに辞儀をした。こういった光景には慣れているのか、エディが肩をすくめた。けれども、その眼差しはとても柔らかい。
(一時はどうなることかと思ったけど、喧嘩別れにならなくてよかったわ)
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