グレート・ジョブ

アユタヤ海老

文字の大きさ
1 / 1

グレートジョブ

しおりを挟む


1
彼は、自分が優秀だという自覚があった。
それは慢心ではなく、事実だと彼は思っている。
外資系製薬企業、日本法人。
社員数は二十数名。
だが名刺に刷られた肩書きは、堂々たるものだった。
President, Japan
そのポジションに至るまで、
彼は二十年近く、競争と政治と裏切りをくぐり抜けてきた。
血のにじむ努力。
削られた人間関係。
消耗したメンタル。
それでも彼は勝った。
少なくとも、そう信じていた。

2
本社は、アメリカ中西部にあった。
立派なビル。
広い駐車場。
無駄に大きな会議室。
彼は日本から、何度もそこへ通った。
会議で並ぶのは、
VP、Director、Senior Manager。
肩書きは立派だが、
彼の目には、どうにも軽く見えた。
「So… Japan is like China, right?」
最初にそう聞かれたとき、
彼は一瞬、言葉を失った。
「No. Completely different market.」
そう訂正しても、
数ヶ月後には、また同じ質問が飛んでくる。
彼は学習能力の低さに、内心で舌打ちした。

3
本社向けプレゼンは、彼の得意分野だった。
市場データ。
規制。
承認フロー。
医師の行動特性。
一つ一つ、子どもに説明するように話す。
専門用語は使わない。
比喩も多めに。
それでも、質疑応答はこうだ。
「Why can’t Japan just move faster?」
「Can you push the government a bit?」
彼は笑顔を貼り付ける。
「We don’t push the government. We align with it.」
会議の最後、
本社のVPが満足そうに頷く。
「Great job. Very clear.」
その瞬間、
彼は自分が通訳なのか、家庭教師なのか分からなくなる。

4
本社の人間たちは、
自分たちが賢いと信じて疑わなかった。
彼らは日本市場を、
「数字が出ない厄介な地域」
程度にしか見ていない。
「If Japan can’t deliver, maybe it’s a leadership issue.」
そう言われたとき、
彼は一瞬、殺意に近い感情を覚えた。
だが、反論はしない。
彼らは、
自分より日本を知らず、
自分より現場を見ておらず、
それでも自分の評価を決める側だった。

5
日本法人トップになってから、
彼はさらに“正しく”振る舞うようになった。
感情は排除。
効率重視。
部下の愚痴は時間の無駄。
「数字が出ない理由を探すな。
数字を出す方法だけ考えろ」
それは本社の口癖でもあった。
部下たちは黙った。
問題は報告されなくなり、
資料だけが美しくなっていく。
彼はそれを、
「グローバルスタンダード」と呼んだ。

6
夜は、赤坂や六本木で会食を重ねた。
「外資の社長さんですか」
その一言で、
彼はようやく“報われた”気がした。
本社では理解されない。
現場では恐れられる。
だがここでは、
肩書きがすべてだった。

7
ある日、本社から連絡が来る。
「Global leadership team will visit Japan.」
嫌な予感は、確信に変わった。
会議室に並ぶ、
彼より若いVPたち。
MBAは持っているが、
現場経験は薄い。
彼は必死に説明する。
日本市場の現実。
限界と可能性。
だが彼らの関心は、
スライドの色と、
来期の数字だけだった。
「We need a fresh energy.」
その一言で、
結論は決まっていた。

8
退任は、穏やかだった。
「あなたの貢献に感謝する」
「次のフェーズへ」
日本法人の社員たちは、
驚かなかった。
むしろ、少しだけ空気が軽くなった。
送別会で、
彼はいつも通り、理路整然と挨拶した。
誰も反論しない。
誰も泣かない。

9
今、彼は一人で働いている。
コンサルタント。
肩書きはない。
本社の人間とは、もう関わらない。
それでも時々、
あの「Great job」を思い出す。
自分より理解していない人間に、
評価され、
切られた日々。
名刺入れを開く。
President, Japan。
彼はそれを、
しばらく見つめてから、捨てた。
本当にアホだったのは、
本社か、
それとも、
そこに認められようとした自分だったのか。
答えは、
もうどうでもよかった。

10(破滅)
社長を降りてから一年が過ぎた。
コンサルタントとしての仕事は、途切れ途切れだった。
知識も経験もある。
だが、決裁権を持つ人間たちは、
彼の話を最後まで聞かない。
「で、あなたは今、どこの社長なんですか?」
その質問に、
彼はいつも一瞬だけ詰まる。

11
ある平日の昼下がり、
彼は時間を持て余し、
何気なく入ったカフェでノートパソコンを開いた。
SNSのタイムラインが流れる。
どうでもいい起業論。
薄っぺらい成功談。
その中に、
見覚えのある名前があった。
——同期。
新卒で入った日本企業の同期。
当時、彼が内心で見下していた男だ。
要領は悪い。
英語もできない。
外資志向でもない。
「一生、国内でくすぶるタイプ」
そう評価していた。

12
画面には、
その同期が小さな会社の社長として
社員と並んで写っている写真があった。
地方都市。
古いビル。
決して洗練されてはいない。
だが、
社員たちは笑っていた。
コメント欄には、
取引先からの感謝の言葉。
社員からの祝福。
「社長、ありがとうございます」
「この会社に入ってよかった」
彼は、
その一文を何度も読み返した。

13
記憶が、勝手に蘇る。
新卒時代、
彼が英語研修で抜きん出ていた頃。
同期は、営業で泥臭く頭を下げていた。
「非効率だな」
そう思っていた。
だが今、
その非効率の先に、
彼が持っていないものがあった。

14
彼は、
日本法人社長だった。
だが、
誰の人生にも責任を持たなかった。
誰の未来にも、
本気で向き合わなかった。
数字と評価と、
本社の顔色だけを見ていた。
一方で、
あの同期は、
小さな会社で、
逃げ場のない責任を背負っている。
その重さに、
彼は耐えられなかった。

15
カフェを出たあと、
彼は歩きながら気づく。
自分は、
誰にも必要とされていない。
本社はいない。
部下はいない。
肩書きもない。
あるのは、
説明が上手いという特技だけだ。
だが、
説明する相手は、
もういなかった。

16(ラスト)
夜、部屋で一人、
古い写真を見返す。
新卒時代の集合写真。
真ん中で腕を組み、
自信満々に笑っている自分。
その隣に、
例の同期が写っている。
彼は今、
誰かに感謝され、
誰かに頼られ、
誰かの人生を背負っている。
自分は違う。
彼は写真を閉じ、
スマートフォンも伏せた。
もう、
比べる相手すらいない。
それが、彼の破滅だった。

あとがき
この物語はフィクションです。
ただし、
「優秀だったはずの人が、
いつの間にか居場所を失う話」は、
珍しくありません。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

乳首当てゲーム

はこスミレ
恋愛
会社の同僚に、思わず口に出た「乳首当てゲームしたい」という独り言を聞かれた話。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...