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二、 あれはいつの日か

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 あれは、私が十二歳の時。

 お母様が床に伏せてしまって、淋しさに何も手につかなくなり部屋でシクシクと泣いていた時の頃。

 その夜は、月が良く見える日で、いつものように御簾を下の方だけ開けてもらっていた。

 ふいに、縁側から見える木の方でドサドサッと音がした。

 私は、泣いていた顔を上げて驚いてそちらを見た。

 木の下の茂みが少しだけ揺れていた。

 私が縁側に降りて近づくと、真っ白い毛がフサフサの小さな仔猫が倒れていた。
よく見ると、その綺麗な毛に赤い血なのか、点々と飛び散っていた。

「大変!」

 私はすぐに、自室へ入り、部屋の隅にあった水差しから茶碗へ少し水を移して、手近にあった布を湿らせて、仔猫の体を優しく拭いた。

 怪我の箇所は見当たらなかったので、ひとまず大丈夫かなと思ったが、どうしようかと思った。
少し考えたけれど、私の布団の枕元に寝かせた。それ以外は畳だったので、布団の上の方がいいだろうと思ったからだ。

 それにしても、フサフサで綺麗な毛。

 そう思って、何度も撫でてしまっていた。

 どの位撫でていただろうか。仔猫が目を開けて、飛び起きて、一つ飛んで縁側の方へ行ってしまった。

「あ、ごめんね。驚かせちゃった?大丈夫よ。悪い事はしないわ。」

 そう言ったら、仔猫は分かったのか私に近づいてきて、小さな声で『なぁ。』と鳴いた。

「ふふふ。可愛い。ねぇ…私さっきまですごく悲しかったの。でも、あなたが来てくれて笑えたのよ。ありがとうね。どこも、体痛くない?」

 と私は呟いて、膝に擦り寄って来た仔猫の頭を撫でた。
仔猫は私の膝や手にすりすりと頭を押し付けてきた。

「よしよし。あなたを飼いたいけれど、無理よね…。また侍女が驚くかもしれないの。」

 独り言のように仔猫に呟くと、仔猫は押し付けていた頭を、私に向けた。

「ふふ。あなた言葉が分かるのかしら?この前、庭の池の近くで、小鳥が怪我をしてバタバタとしてたの。私が手に取って、部屋に連れて行ってね。世話をしようと侍女を呼んだら、何て言ったと思う?」

 そう問いかけ、仔猫の喉元を指先で少しだけ撫でた。

「『お止め下さい!穢れが移ります!!』って。それから数十分も手を清水で洗わされて、私が着ていた袿も無理やり着替えさせられて、部屋に塩まで撒かれたのよ。これもばれたらまたやられるわね。ねぇこの拭いた布、持って帰ってくれない?あ!」

 そう言うと、仔猫は汚れを拭いた布を咥え、縁側まで進んでから二回ほどの跳躍で外壁へと登り、こちらを見た。

「まぁ!あなたの飛び跳ねる力、すごいのねぇ!持っていってくれてありがとう!今度は気をつけるのよー!」

 そこでしばらく私を見つめてくれた後、外壁の向こうへと行ってしまった。
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