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京都の一流旅館の娘
しおりを挟む京都の奥座敷嵐山の一等地とも言える場所にその旅館はある。
「旅館 一条」
重厚な設えと京都の中でも一級の格式を誇るその老舗旅館は、気軽に泊まれる宿などではないことは一目瞭然で、旅行客達も嵐山の風景の一部のように捉えている。
部屋数はある程度の規模があるものの、巨大旅館というほどではなく、すべてのものに一級を供するために従業員から設備まで、提供されるものはすべて一流が揃えられている。
「おこしやす」
と、旅館の従業員が一斉に頭を下げて出迎えがなされる。
幾つかの賓客たちが担当の仲居に案内され其々の部屋へとチェックインしていく。
「ふう…今日のお客様は一通り終わった?」
仲居の一人に彼女達より着飾った若い女性が聞いた。
「はい。若女将はん。あと一組だけで終いです」
と、仲居が答える。
「んーと?東京の企画会社のご予約ね?TTコーポレーションの土方様ね。男女お二人。ご夫婦なんやろか」
客用の強めの京都方言を崩して若女将が笑う。
「あ、美咲さん、ここちょっとお願いね?裏見て来るわ」
若女将が裏へ入ると一組の男女が揉めている。
「ちょっと!堅三郎さん!いくら老舗のボンボンでホワイトナイトだからってね!ちょっとぐらいは旅館の仕事しなさいよ!」
派手な美人の女が明らかにボンボン風のおっとりした男に食って掛かっている。
「でも僕、そういうの向いてへんのやで?」
男がのんびりと答える。
「だからってやれ会合だ社交だって出掛けまくって!それで経営成り立つと思ってんの!?」
女が怒鳴る。
「いやでも付き合いは大事やろ?」
それでも男が平然と微笑んで答えた。
「いくら瑠璃の婚約者だからって甘ったれすぎでしょ!ちょっとは旅館の仕事もしないさよっっ」
女が唾を飛ばして怒った。
「ちょ!麻耶!待ってぇな!喧嘩はあかんて!」
瑠璃が慌てて止めに入る。
「瑠璃ちゃん…大丈夫や?麻耶ちゃんは僕のこと心配して言うてくれてんのやから」
堅三郎が彼らしい笑顔で答える。
「堅三郎さんっ!今日からは旅館の事もしっかりやってよ!お出迎えぐらいはできるでしょっっ」
麻耶が唾を飛ばした。
「しゃあないなあ?麻耶ちゃんは真面目すぎるでー?」
堅三郎がフフっと微笑んで返す。
それを確認して麻耶がフンっと鼻息荒く踵を返した。
「怖いなあ。怖怖やなー」
堅三郎が呟く。
「かんにんな?堅三郎はん。麻耶ちゃん真面目やさかい」
瑠璃が微笑む。
「あ、いや、かめへんよ?出かけてばっかやったんは、ほんまやし、お出迎えやったら僕でもできるさかい」
堅三郎がほんわりと笑う。
「おおきに。ほなら今日はあと一組さんだけやさかい、ちゃっちゃと済ませましょか」
瑠璃が微笑む。
「瑠璃ちゃんは優しいなぁ。麻耶ちゃんに爪の垢煎じて飲ませたったらええのに」
堅三郎がフロント部分に向かいながら言った。
「何か言ったのっっ?!」
言った途端に、にゅっと事務室から麻耶が顔を出して堅三郎を睨む。
「ひゃぁっっ!驚かすなあ?何も言うてへんよー?」
堅三郎がブンブン手を振る。
「ふん!」
麻耶が鼻息荒く事務室へ引っ込む。
「相変わらず二人仲悪いんやなぁ」
瑠璃がちょっと笑った。
「ええんや。僕は瑠璃ちゃんの夫になるんやさかい。瑠璃ちゃんとさえ仲良かったら」
堅三郎がまたほんわかと笑った。
二人でフフッと笑いながら出迎えの準備へと向かう。
「あ、若女将はん、最後のお客様もう見えるそうです。お迎えの車が出ました」
若い仲居が伝えて来る。
「ほなら皆、並びまひょか」
瑠璃が皆と共に並ぶ。
一番奥に瑠璃と堅三郎が二人並んだ。
車止めに車がついて皆が一斉に頭を下げる。
「ようおこしやす」
と、声を揃えて客を出迎える。
「ありがとう。予約してましたTTコーポレーションの土方です」
と、女性の声が言った。
「ようおこしやす。一条の若女将にございます。心よりおもてなしさせていただきます」
瑠璃が微笑みながら顔を上げて一瞬固まる。
土方と名乗る女性の横に居る男性に表情を凍らせる。
「若女将?こちらは藤堂リゾートの藤堂拓馬社長です。今回此方が接待させていただく側なので粗相のないようにお願いしますね」
いかにもやり手ビジネスウーマン風の土方が言った。
瑠璃はそれでも一瞬反応できずに固まっていた。
横の堅三郎が瑠璃の脇をツンツンつつく。
「瑠璃?どないしたん?」
小声で聞いてくる。
「あ、…あ、失礼いたしました。畏まりました土方様、心よりおもてなしをさせていただきます。先ずはお部屋へ」
担当の仲居に案内の合図を出して二人が歩き去るのを見送る。
二人と仲居が消えるとベテランの仲居の菊池がすぐに駆けよってくる。
「お、お嬢はん…あ、あの人………」
もの言いたげに聞いてくる。
「菊池。お客様の事を詮索するのはようないことやで。控えなはれ」
瑠璃がぴしゃっと言って遮る。
そして踵を返した。
堅三郎が瑠璃の後を追う。
「き、菊池はん、あの人拓馬はん?お嬢はんの婚約者やった…」
別のベテラン仲居が聞いてくる。
「た、多分…どえらい雰囲気変わっとるけど、多分間違いあれへん」
菊池が頷く。
「ま、前はちょっとチャラめの大学生いう雰囲気やったのに、どえらい変わられはったんやねぇ………」
仲居が感心したように言った。
「坂田、あの方達何泊なんか調べておいで!藤堂リゾート言うてたやろ?もしかしたらなんか目的もってここに来とるんかも」
菊池が厳しい顔つきで言った。
「まさか!藤堂リゾート言うたら開発でゴージャスなリゾートを提供しとるとこでしょ?うちは伝統の老舗ですやん。ジャンルが違ごてるわ」
坂田と呼ばれた仲居が言った。
「そうやあらへんとしても。拓馬はんとお嬢は喧嘩別れして拓馬はんが追い出されたような格好やろ?本来やったら拓馬はんはお嬢はんと結婚して、いまは若旦那になってる筈のお人やさかい、なんぞ意趣返しねらっとったらいかんやろ?」
菊池が返す。
「ま、まさか今更?」
坂田が聞き返す。
「何にもないならそれでええんよ。ウチ達が防波堤になってお嬢はん守らなならへん!それでなくても今は久我のお家との縁組の試験期間で大変やのに!」
菊池が言った。
「し、調べて来るわ!」
坂田が小走りで駆けだす。
「瑠璃ちゃん?どないしたん?」
堅三郎が追いかけながら言った。
「あ…な、なんでもあらへんのよ…ちょっと眩暈がしただけ…過労かなぁ」
瑠璃が誤魔化した。
「そうなんや。今は大丈夫なん?」
堅三郎が聞いた。
「あ、うん。心配いらんよ。大丈夫やさかい、あ、私、湯殿のほう見て来るわ」
瑠璃が答えて走り去る。
堅三郎がそれを心配そうに見送った。
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