陰陽剣劇譚―カミナリ―

黄坂文人

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五話 鬼面の男

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 雷門方面から此方に近づいてくる影が一つ。丁度、忠吉が倒れていた辺りだろうか。遠目に見たその者の周囲を白いもやが取り巻いていた。段々とその姿の輪郭がはっきりと見えてきた。その者は異様な風貌だった。黒と紫。左右で二色に分かれたツートンカラーの風変わりな着流し。腰帯には累と同じく、大小二本差しである。髷は結っておらず、月代も剃っていない。下した前髪に、肩にかかるほどの襟足が風に揺れている。特に目を引くのが、その顔を覆う赤い総面そうめんである。角を生やした鬼を模り、顔全体から首に掛けてを覆っている。その顔で確認出来るのは、目と口元のみでありその相貌そうぼうを鬼が覆い隠していた。右手に持っているのは煙管きせる。靄と思われたものは、煙管の紫煙であり鬼の口から吐き出され、周囲を怪しく漂っていた。
「流石だな……先生」
「水野っ……」
 男は五メートル程離れた位置で止まった。累は、右足を一歩前に開き両手で握った刀を地面に向かって降ろし下段に構えた。鬼を見据え、鋭い視線を向ける。顔見知りのようだが、累の態度からとても良好な関係とは思えない。『水野』と呼ばれた男は、構えるでもなく煙管をふかした。
「そんな気ィ張るなよ。長旅で疲れたろう?お互いにな」
 男は、弛緩しているが忠吉や弥七のものとは、全く異なる空気を纏っている。まるでそこにいるだけで周囲の者をおののかせるような威圧感。九十九には形容し難い雰囲気だが、臨戦態勢に入った累がそれが誤りでない事を物語っている。累は尚も構えは解かず、態勢はそのままに静かに答える。
「此方に脇差を投げておいて何を言う」
「落ちていたのを返してやっただけさ。先生ともあろうもんがいけねえ」
「亡骸を見なかったのか?」
「あぁ?誰が死んだって?死体なんて無かったが」
 そんな筈はない。確かに、累の脇差は忠吉の後頭部に直撃した。弥七だって……しかし九十九は、その場にある筈のものがない事に気が付いた。弥七の死体である。きょろきょろと周囲を見回すが、その姿は跡形もない。
「累……弥七が……消えた……」
 聞こえているのだろうが、累は驚く様子もなく、前方の鬼を注視している。
「お前の所の金銀を斬ったぞ」
「ああ、見てたぜ。全部な」
 水野は、随分前からこちらを観察していたらしい。
「消えちまったよ。砂みてぇにな。何も残っちゃいねえ。まあ、あいつらはどうでもいいが」
「……」
「一体、どうなってんのか解るか?先生」
「私が知る筈がない」
「おいおい、何言ってやがる。あんたのせいでこうなってんだぜ?」
 累のせい、とはどういうことだろうか。何も知らないにも関わらず、否定してしまいたい気持ちが込み上げる。まだ、出会って間もないというのに、何故こんな思いが湧くのだろう。
「ふざけるな。訳を知りたいのはこちらの方だ。そもそも、貴様等は何をしていた」
「さあな。知ってても教える義理はねえよ、めんどくせえ」
 そう言うと、水野は不意に上を見上げた。紫煙を勢い良く吐き出す。
「月より明るいな……こりゃあなんだ……」
 道路照明を見ながら、誰に問うでもなく呟く。すると一転、首を落とし深いため息をついた。
「ったくよぉ……訳わかんねえ事ばかりだ。あの野郎……ふざけやがって」
 水野は、下に顔を向けたまま続ける。
「訳わかんねえが……面白れぇもんを見せてもらったぜ……餓鬼」
  鬼面が、累の背後にいる九十九を見据える。水野が、この場に現れてから初めて両者が向き合った。完全に、眼中に無いと思っていただけに面食らう。九十九は、何も応える事が出来ずにじっとその鬼面を見る。先ほどまでの脱力した佇まいは今や無く、妖しく薄気味悪い空気を放つ。累は、怪訝そうに横目で九十九を見やった。
「この者が、なんだと言うのだ」
「あんたは見なかったのか……ッハッハァ!ちょいと不思議なもんをね」
 水野は、愉し気に答える。徐々にこちらの間合いにまで浸食する鬼の気。まるで牙、或いは爪を眼前に突きつけられているようだ。忠吉や弥七とは、比ぶべくも無い殺気。身体が、危険を察しているのか、筋肉が収縮を繰り返すように震えている。
「おい、寝ぼけた顔してねえで何とか言ってみろよ。どんな感覚だ?あ?」
「……なんだってんだよっ……」
 九十九は、一言絞りだすのがやっとだった。鬼面に完全に呑まれていた。
「……腑抜けが……しかし、これでその餓鬼が持っている物の力、その証左になった。いや本物だぜ」
「水野、貴様何を言っている。力とはどういうことだ、答えろ!」
「話は仕舞いだぜ……先生ェ……」
 そう言うと、煙管から漂う紫煙が水野を取り巻き、蜃気楼のようにその姿が歪んだ。次の瞬間には、累の間合いに煙と共に現れた。既に抜刀しており右手に握った刀を頭上に掲げ、振り降ろさんとしている。九十九には何が起きているのか理解出来ない。瞬間移動したとしか思えないその挙動に、あんぐりと口を開いた。水野は握った刀を累目掛けて真っ直ぐ振り降ろした。下段に構えていた累は、寝かせていた刀身を振り上げその凶刃を受け止めた。刃同士がぶつかり、高音が響き火花が散った。土埃が舞い上がり、咄嗟に腕で顔を覆った。刃の向こう側で鬼の眼が赤い光を帯びる。鍔迫り合いながら水野が口を開く。
「そこをどきな……先生。ここでも邪魔してくれるなよ」
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