陰陽剣劇譚―カミナリ―

黄坂文人

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四十六話 契約

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 巨大な赤ん坊の泣き叫ぶ声が聞こえて、赤茶色の血が飛び散る。赤ん坊の激しい抵抗を難なく躱して、またその身体に剣を刺し込んだ。その度に、血が噴き上がって顔を濡らす。顔色は変わらない。ただ機械的に、剣を振るい続けた。
 剣を手にしてからの行動は、自発的だったのだろうか。自分の視覚から捉えた映像を脳に送り、肉体に伝達する。紛れもなく自分の意思――のはずなのだが、どこか自分の認識外の何かに動かされているような気がしてならない。身体に関しても違和感を覚える。赤ん坊の攻撃を、九十九は超速度で避け、体重を感じさせない身軽さで跳躍し、圧倒しているのだ。これほどの身体能力を持ち合わせているはずがない。そして、九十九が眼で見ている映像は、直接肉眼で見ている、というよりは映像をモニター越しに見ているような、別の場所から見させられているような、そんな感覚がどうしても拭えなかった。
 自分の行動に自分の意思が介入出来ないような漠然とした違和感。それには、やはり右腕の金属が関わっているのだろう。自分は、この金属に操られているのか。だが、そうだとしてもそれで良いのかもしれない。この状況を打開し、奴らに対抗する力を得た。今は操られるままにしておけば良い。
 絶対に渡してはならない。何としてもこの目録を守り切り、彼女を……彼女を――。
 何だ。何を考えているんだ。ふと湧き出た独白を理解出来ず、思い出そうとするが朧気にも掴めない。やがて、九十九はその独白すらも忘れて、自分の視覚というモニターを再び眺めた。

 九十九は、赤ん坊を蹂躙じゅうりんしていた。その身体を保てなくなった赤ん坊は崩壊し、七体の式神『七人ミサキ』へと戻った。
 小さくあどけない姿となった赤ん坊は、女型の式神に抱かれ穏やかな顔で寝息を立てている。母親なのだろう、女型の式神は壊れ物を扱うようでありながら、もう離すまいと両手でひしと掻き抱く。その肩が小刻みに震えていた。くずおれる母親の周りを輪になって囲む禿頭の式神。
 親子を色のない眼で見下ろしながら、九十九は剣を振り上げた。
 それに反応して、親子を取り囲んでいた式神が一斉に向き直り飛び掛かってくる。低い呻き声を上げ、長爪で切り裂かんと迫る式神に剣を振り下ろす。胴を斜めに斬られた式神はその場に崩れ落ちるように倒れ、続く式神も同様にあっけなく斬りつけられ血飛沫を上げた。
 九十九は、親子へ目を向けた。足を一歩踏み出すと、母親の身体が怯えたようにびくりと跳ねた。その足が何かに掴まれる。斬られ倒れた式神が、追い縋るように九十九の足に取り付いている。眼球のない真暗な眼窩がんか。眉間に深い皺を刻み、歯を食いしばって顔を歪ませている。眼窩の下に引かれていれる黒い筋も相まって、本当に泣いているようだ。
「ウ、ウゥ……フゥ……!」
 剥き出しにした歯の隙間から呻き声を漏らして、懇願するように九十九を仰ぎ見た。

 やめて下さい――。

 骸を思わせる眼窩と目が合ったとき、はっきりと聞こえた。
 しかし、九十九は意に介さず、強引に手を振りほどいて足を進めていく。
 残りの三体の式神も親子の盾であるかのように九十九の前に立ち塞がるが、次々と九十九の一太刀を浴びて地に伏した。余りにも緩慢な動きだった。先の式神同士の融合で力を使い果たし、最早避けることさえ出来ないのかもしれない。しかし、式神達は、倒れてなお追い縋った。

 助けて――。
 殺さないで――。
 お願いします……お願いします――。

 聞こえる。先と同じように、足を掴む手から声が伝わってきた。彼らはこいねがう。親子の助命を切実に。そこに恨みや憎しみの影はない。真っ直ぐな愛情を、九十九は感じていた。
 足を止めるべきだと思った。立ち止まって耳を傾けるべきだと。九十九の心は、床を這いつくばり必死に九十九の足を掴む式神に惹きつけられていた。なのに、視線を向けようとしても首は頑として動かない。立ち止まろうとしても、次の一歩を踏み出そうと式神の手を蹴り払いのける。身体が言うことを聞かなかった。今や主導権は九十九にはなく、金属の侵食は末梢神経にまで及んでいるのかもしれなかった。
「アアァッ……アァ……」
 皮膚がまだらに剥がれた手を伸ばして、倒れ伏した禿頭の式神は悲痛な呻きを漏らした。
 九十九は、嘆きの声を無視して、頽れる母親に切先を向け、引き絞るように腕を引く。穏やかに眠る赤ん坊を一瞥して、剣を突き出す。

 この子だけは――。

 伏せる母親の頭部に剣尖が穴を開ける寸前で、九十九の身体がぴたりと止まる。今、声が……。
「この子だけは……」
 間違いない。今、声を発した。蚊の鳴くようなか細い声だったが確かに聞こえた。呻き声しか出さなかった式神の口から聞こえた哀願の言葉。今や屍と化し、怨霊となり果てても僅かに残る人であったころの断片。その言葉が、九十九の心に波紋のように広がっていく。
 たとえ子が、人を喰らう怪物になろうとも、母親は搔き抱く手を離さない。たとえ母の肉体が朽ち果て、人を襲う怨霊となろうとも、子は慈愛の温もりを求めて泣き叫ぶ。九十九には、到底二人が怨霊には見えない。今この瞬間、怨霊は紛れもなく人間だった。もう、とても斬ろうとは思えない。掌中しょうちゅうたまのように子を抱く母親も、腕の揺り籠に身を任せ眠る子も、人の面影を少しでも残しているならば、殺すべきではない。

 やめろッ!――。
 九十九は、声を出さずに叫んだ。自分と同化しようとうちに入り込んでいる二重螺旋の金属に呼び掛ける。いい加減、身体を好き勝手に動かすのは止めてもらおう。現状、身体から金属を切り離す方法は思いつかない。身体の半分は目に見えて侵食され、内側もどれだけ侵されているか。もう、元の身体に戻ることは出来ないかもしれない。ならば、せめて序列をはっきりと解らせてやる。不躾に上がり込んできた無礼者に教えてやる。どちらが身体の主なのかを。
「ゥ……」
 自分の身体を動かそうと、九十九は必死にイメージした。剣を降ろし、親子と距離を取る。脳にそのイメージを送り込み続けた。しかし、身体は僅かに震えるだけでその場から動かない。剣尖は相変わらず母親の頭部に向けられている。
 くそ!俺の身体だろうがッ。言うことを聞きやがれッ!――。
 九十九は、尚も自分の身体に言い聞かせるように叫び、イメージを送り続けた。身体を動かすのに、ここまで意識を向けたのは初めての経験だった。かせを嵌められる以上に感じるもどかしさに、呻き声が漏れる。
 そこまでしても、身体を動かすことは出来ない。金属は九十九の意思に抗う。このまま、怨霊と化した者共を野放しにしていいのか、と問い詰めるかのように抵抗が続く。確かに、放置しておくわけにはいかないが、だからといって殺すことが正解だとは思えなかった。
 そもそも、怨霊に死などあるのか。傷つけられた魂は霧散して、漂いながらまた集まって、再び現世を彷徨うのではないだろうか。天国にも地獄にも逝けず、晴れることのない怨念を抱える旅は決して終わらない。それが、九十九が考える怨霊だった。
 何か方法があるはずだ。親子の魂を成仏させる方法が。陰陽師だって存在した。紫乃、或いは紫乃の師に頼めばきっと――とにかく、九十九は諦めたくなかった。九十九の叫びは怒号となって胸中に響き渡る。金属の抵抗を退け、主導権を奪還しにかかる。
「土足で人の身体に上がり込んできた分際で、我が物顔で操縦しやがってッ……身体ここに居てぇなら居させてやる。だが、勝手は許さねえ。賃貸契約だッ!」
 九十九は、意思のあるか分からない相手に言い放つ。にわかに精神がざわつく。視界の端が赤みを帯びて、じわじわと広がっていく。
「俺の身体を間借りさせてやるッ――代わりにお前の力を俺に使わせろッ!」
 目に見える範囲が深紅に染まった。その深紅の中を漂う二重螺旋の帯。ふらふらと、サナダムシのように深紅の中を泳いでいる。二重螺旋は段々と数を増やし、夥しい数となって視界を埋め尽くしていく。眼球の裏側で電流が走るような痛みに襲われる。九十九は、力の限り瞼を広げて畳み掛けるように怒号を飛ばした。
「それが飲めないようなら、俺は徹底的にお前と戦うッ!身体乗っ取られるぐらいだったら死んだ方がマシだからな」
 契約とは言うものの、九十九は合意など求めていない。相手の言い分など聞く気はなかった。身体に住まわせてやるのだ。これくらいの条件は飲んでもらわなければ困る。突っぱねるようなら、自分を奪われるようなら……死んでも構わない。
 口が聞けずとも、この身体の魂の思いくらいは伝わるのだろう。現に泳ぐように漂っていた二重螺旋は、今や目まぐるしく深紅の視界の中を移動している。
 目の奥の痛みが増し、脳をかき回されているようだ。心臓に槌《つち》を打ったように高鳴る鼓動で、周囲の音が聞こえない。金属の抵抗は激しくなるばかり。だが、九十九は諦めない。ここで諦めれば、自我が消えて無くなってしまうような気がした。
「俺の身体は俺の意思で動かす……当然だろ。寄生虫みてぇに身体ン中入り込んでるお前に、居させてやるって言ってんだッ――がたがた抵抗してねぇでッ!俺の身体の隅で大人しくしてやがれえぇぇ!」
 嵐のように視界を駆け回る二重螺旋の帯と、身体の内側を掻き鳴らす爆発音のような鼓動。耐え難い苦しみに九十九は絶叫した。それらが相乗して高まり合い、九十九が正気を失いかけたとき、急に鼓動が止んで静まり返り、視界は弾けたように真白な世界へと移り変わった。
「ウオオオオオオオオオオオォッ!」
 九十九の身体が、現実で雄叫びを上げていた。
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