私の旦那様は、鬼でした

寒桜ぬも

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鬼への嫁入り

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 それは誰にも聞こえないくらい小さな呟きだったが、イサナギは流れるような仕草で小夜に視線を移す。
 まさか、今の声が彼には聞こえたのだろうか。小夜は驚きつつも、その優雅で繊細なイサナギの立ち居振る舞いに目を奪われた。

 しかし、やはりイサナギはふいっと顔を背け、その場を去ろうとする。小夜は部屋の用意をしてくれたことへのお礼を言わなければと、彼を呼び止める。
「あの、イサナギ様!」
 
 その声に歩みは止めるも、もう一度小夜に視線を移すことはなかった。
 小夜はそれでも言葉を続ける。
「お部屋と、たくさんの素敵なものをご用意してくださり、ありがとうございます」
 小夜は深々と頭を下げる。
 それを聞いて、イサナギは今度こそ、その場を立ち去った。

 小夜が部屋へ戻ると、すでに天が迎えに来てくれていた。
「すみません。お待たせしてしまいましたか」
 小夜が申し訳なさそうに天に話しかける。
「いいえ、いいえ。イサナギ様とお話をされているようでしたので、私は嬉しゅうございます」
 天はにこにこしていたが、小夜はしょんぼりとしていた。
「小夜様……どうかなさりましたか?」
 天は心配そうに小夜に寄り添う。

「やはり、こんな貧しい家の娘を受け入れるのは、イサナギ様は嫌なのではないかと思って。だからお話どころか見向きもしてくれないのではと……」
「小夜様……」
 天は眉を下げるも小夜を包み込むように抱きしめた。

「いいえ、イサナギ様はそのようなお方ではありません。このように素敵なお部屋をご用意してくださり、祝言に関してもご自分から名乗り出たのですから」
 小夜はその言葉に耳を疑う。

「ご自分から……?」
「ええ、そうですよ」
 天はにこっと微笑むと、湯あみ場へ案内するため小夜と部屋を出た。

 その頃イサナギは、自室で窓の外にうっすらと浮かぶ朧月を眺めていた。その目に映る月は、琥珀色の瞳に溶け込んでいた。

「小夜様、お湯加減はいかがでしょうか?」
 天が小夜の背中を流しながら声をかける。
「あ、気持ちいいです……けど、こんな広くて綺麗なお風呂で、誰かに背中を流してもらったことなんてなくて、その……少し恥ずかしいです」
「これからは毎日私がお背中お流しいたしますので、きっと慣れますよ」
 ふふっと天が笑う。
「そう、でしょうか」
 お風呂のせいか、恥ずかしさのせいか、小夜の頬は赤らんでいた。

 湯あみを終え部屋へ戻ると、夕餉を用意してくるとのことで天は部屋を後にした。
 部屋に一人になった小夜は、ふうと息をつくとごろんと横になる。瞼を閉じると脳裏に浮かぶのは、今まで育ってきた村のこと、ここに来た経緯だった。

――――「お母さん! お父さん!」
 まだ幼い小夜が母と父と手をつなぎ、三人で笑い合っている。二人の優しい笑顔が、まるで昨日のことのように蘇る。

「おう、小夜ちゃん! お母さんとお父さんとお出かけかい?」
「飴屋のおじさん! うん! これからね、桜を見に行くんだよ!」
「そうか、じゃあこれを持っていくといい」
 そう言って飴屋のおじさんは真っ赤なりんご飴をくれた。
「わー! ありがとう!」

 嬉しそうにりんご飴を持つ小夜に村の人たちは次々と声をかけてくれる。

「小夜ちゃん、お出かけかい? 気を付けてね」
「小夜! また今度遊ぼうな!」
「小夜ちゃんは今日もかわいいねぇ」

「お母さん、お父さん、小夜ね、この村大好き! みんな優しいもん! でも一番はお母さんとお父さんが大好き! ねえ、お母さんとお父さんは小夜とずっと一緒?」
「もちろんよ」
 微笑む母。
「当たり前だろう」
 と小夜を抱きしめる父。
 幸せだった。
 ずっとこうして笑い合う日々が続くと思っていた。

――――「きゃ――!」「小夜!!」
 お花見への道中、突然母が叫び、父が小夜に覆い被さった。幼い小夜には何が起きたかまったくわからなかった。
「おかあさん? おとう……さん?」

 母は少し離れた道端で倒れており、その周りには赤いものがじわじわと流れていた。小夜を抱きしめる父は段々重くなり、ドサッと小夜の隣に倒れこんだ。
 小夜の着物にもまた、赤いものが染み込んでいた。
 すぐに村人達が駆けつけ、やがて警官隊も駆けつけた。村人達のひそひそと話す声が、やけに大きく聞こえ、耳に入ってくる。

「辻斬りですって……」
「お父さんとお母さんのお陰で小夜ちゃんは助かったんですって……」
「でもそれじゃ、小夜ちゃんは……」
「身寄りがなくなったということかい……」

『鬼への嫁入りか』 

 おにへのよめいり……その言葉の意味は、この時の小夜には分からなかった。
 この一件以来、村人達の態度は変わり、小夜を除け者とするようになった。この村で除け者とされる理由は、『身寄りのない娘は結婚できない。故に子を産めない』という言い伝えがあるということ。
 子供の少ないこの村には、村を支える若い者の繁栄が重要とされていた。
 貧しい村だからこそ、若者の手で潤していこうと。

 小夜は、嫁入りができるとされている十五の歳までは村にいることができたが、それまでの間、村人達は小夜と話をするどころか、目も合わせなかった。
 あの時声をかけてくれた人達、飴屋のおじさんまでもが、まるで小夜がこの村に存在しないかのように振舞ったのである。

 そして十五になった今日、あの日以来初めて声をかけられた。相手は村の村長で『鬼の山から使いが来た』とのことだった。
 そこにいたのは、今付き人となっている天だった。

 そして今に至る――――

「小夜様、お夕餉をお持ちいたしました。失礼いたします」
 襖の向こうから声をかけられ、小夜は慌てて体を起こす。
「小夜様!? どうされましたか!?」
 天に言われて、いつの間にか涙が流れていたことに気づく。

「あ……すみません。少し、これまでのことを思い出してしまって……」
 一所懸命に涙を拭う小夜の隣に、天がそっと腰を下ろす。
「小夜様のこと、私共はすべて承知しております。もちろんイサナギ様も……」
「そう……なんですか……」
 なんとか口から出た声は、消え入りそうなほど小さく、震えていた。

「お辛かったでしょう……。ですが、これからはきっとイサナギ様が小夜様のことを幸せにしてくれると、私は信じております」
 今日初めて会ったイサナギの言葉や行動を思い返すと、天のその言葉に小夜は頷くことができなかった。

「小夜様、どうか少しだけでもお夕餉を召し上がってください。私共の料理人が小夜様のために腕を振るったのです。きっと元気が出ますよ」
 天に促され、小夜は「いただきます」と箸を手に取り、一口食べてみる。

「おいしい……」
「そうでしょう」
 天はにこっと小夜に笑いかける。村で貧しい生活を送っていた小夜にとって、今まで食べたことのないものが目の前に並んでいる。こんなに美味しいものがこの世に存在するのかと思うと、箸も進む。

「ごちそうさまでした」
 やがて、すべて食べ終わると箸を置き、何かを決心したように天に向き直る。

「天。お願いがあります」
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