私の旦那様は、鬼でした

寒桜ぬも

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祝言の日

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「天から聞いたのか」
 少しの間を置いて、イサナギは軽くため息をつきながら呟いた。
「はい」
 小夜はイサナギから目を離さずに言葉を待った。

「……気まぐれだ」
 その声はやはり冷たく、小夜の心に悲しみとして響いた。

 やはり『あの時のあの声』はイサナギではなかったのだろうか、と。そんな考えが頭に浮かんでいると、突然目の前で雪が舞い始めた。
「え……」

 イサナギはちらちらと舞う雪を湯呑に入れると、小夜に渡した。
「雪解け水だ。飲むと良い」
 小夜が不思議そうに湯呑を受け取る姿を見て、イサナギが続ける。
「先程、盃に口をつけた時辛そうだったのでな」
「あ……」
 小夜は酒の強い香りにくらっとしたことを思い出す。
 見られていたのかと思うと、気恥ずかしい気持ちになった。

「ありがとうございます……」
 雪はいつの間にか止んでおり、それがイサナギの鬼力であったことが分かった。それを一口飲むと、口の中にひんやりとした水が広がる。
 イサナギの声はこの雪解け水のように冷たいが、その行動にはどれも優しさが含まれているように感じていた。

「イサナギ様は……お酒がお強いのですね」
 婚礼の儀でイサナギが一気に盃を傾けたことを思い出す。今も顔色ひとつ変わることなく平然としていた。

「何百年と飲んでいると強くもなる」
 『何百年』という言葉を聞いて、小夜は不思議に思う。

「あの……イサナギ様は、おいくつなのですか?」
「五百と二十八だ」
 何の気無しに応えるイサナギに小夜は驚く。そんな小夜を見てイサナギが続けた。
「鬼の寿命は人間とは違う」
「そうなのですね……」
 鬼に嫁いだ昨日の今日では知らないことがたくさんあるのも無理はない。
 しかし、イサナギのことを少しでも知ることができたのが、小夜は嬉しかった。

 小夜はふと天との会話を思い出す。

『雪、綺麗ですね』
『そのお言葉、きっとイサナギ様が聞いたらお喜びになりますよ』

 本当にその言葉をイサナギは喜んでくれるのだろうか。そう思った小夜は恐る恐る口にしてみる。

「あの……中庭の雪も今の雪も、透き通った白銀で、イサナギ様の雪は綺麗ですね」
 その言葉を聞いたイサナギは、小夜からまた視線を逸らし、口元に手を当てた。
 そういえば先程も同じ仕草をしていた。それを見た小夜はふと思い、イサナギに問いかける。

「もしや、照れていらっしゃる……のですか?」
 小夜の言葉に、イサナギは口元を隠したまま視線だけを小夜に向ける。イサナギは何も口にしなかったが、その瞳に宿る光がわずかに揺れているように見えた。
 それを隠すかのようにイサナギはそっと目を閉じ、口を開く。
「お前は、鬼が怖くないのか?」
 それは昨日、ここに来た時に天にも聞かれたことだった。

「天にも同じことを聞かれました。私は『いいえ』と答えましたが、本当は怖かったです。私がいた村では鬼は怖いものだと教わっていましたので……」
「そうか。だが、『怖かった』とは過去形のようにも受け取れるが?」
 イサナギは閉じていた目を静かに開け、小夜を見る。

「はい。私がここへきてたった二日ですが、イサナギ様や天、私のことを思って美味しいお料理を作ってくださった方々を、私はどうしても怖いとは思えませんでした」
「そうか」
 そのたった一言のイサナギの声が、今までの中で一番優しいものに聞こえた。

 その声色は、『あの日のあの声』と同じだった。

 小夜は昨日と同じことをイサナギに問いかけてみる。
「イサナギ様は、藍色がお好きなのですか?」
 昨日とは違い、イサナギは今度こそ小夜に聞こえるように答えた。
「藍色はお前が好きな色だろう?」

 なぜそのことを知っているのかと小夜は驚いた。しかし、それよりも今は言葉にしたいことがある。
 だからこそ、改めて問いかけたのだ。

「イサナギ様は……私の問いかけに何でも答えてくださるのですね」
 イサナギが一瞬動揺したように見えた。

「……約束したからな」
 視線を逸らしながら、イサナギが呟いた。
「『何でも教えてやろう』と、そう言ってくださったのは、やはりイサナギ様だったのですね」
 小夜の言葉にイサナギは目を見開いた。
 静かに小夜を見ると、驚いたようにそっと口を開く。
「覚えて、いたのか?」

 小夜は俯くと首を横に振る。
「覚えてはいませんでした。ですが、思い出したのです。あの時の優しい声を……」
「そう、か」
 今までずっと冷静だったイサナギに、明らかに動揺の色が浮かぶ。

「あの時『また会える』と、そう仰ってくださいましたよね……。先程は『気まぐれだ』と仰いましたが、本当はなぜですか?」
 イサナギは小夜を見たまま黙り込む。

「なぜ私を、妻にしたのですか?」

 イサナギは軽く息をつくと、観念したように口を開いた。
「鬼の嗅覚はとても優れていてな。あの日、村のほうから血の匂いがした」
 イサナギは思い出すように静かに話し始めた。

「その場に行ったのは、ただの興味本位だった。そこには血にまみれ倒れた夫婦と、二人に向かって叫ぶ娘がいた。そして私は村の噂を知っていた」
 イサナギの話を聞きながら当時のことを思い出し、小夜は震える手をぎゅっと抑えた。

「この娘は鬼に嫁入りすることになると。人間は鬼を憎んでいると聞いていたが、鬼にもまた、人間を憎んでいる者が多くいる。嫁に来ようものなら何をされるかわからん。そう思うと哀れでな。せめてもの慰めのつもりで、その娘から親の亡骸が見えないようにした」

 小夜は、桜の舞う中、両親の姿が見えなくなり、背中にほのかな温もりを感じたことを思い出す。
 そこでイサナギの声が途切れたことに小夜は気づく。
「イサナギ様?」
 イサナギは口元を手で隠し、小夜から視線を逸らしていた。
 今なら分かる。この仕草はきっと、恥ずかしさを隠すためなのだと……。だとしたら、なぜ今……?

「あの、イサナギ様……?」
 イサナギは視線だけで一瞬小夜を見ると、また視線を逸らす。

「……その娘が振り返り私を見た時、その一瞬、私は娘を美しいと思った。まだ幼子だったお前に、私は目を奪われた」
 その言葉を聞いて、小夜の顔が熱くなる。

「この娘は私が妻にすると、その時に決めた。それだけだ」
 そう言って話は終わりだと言わんばかりにイサナギは口を閉ざし、小夜から視線を逸らしたまま窓の外を見ていた。
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