以水救水ヒロイズム

まめ

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 傾いた日が少女の影を、川瀬かわせの足下にまで伸ばしている。川瀬は縫い付けられたように立ち止った。
 セーラー服の少女は背を向けて、しゃがみ込んでいる。肩までで切り揃えられた髪は、俯く彼女の表情を覆い隠していた。近いとも遠いとも言い難い距離感は、川瀬がそこに立っていることを少女に気取らせない、ぎりぎりのものだった。
 人気のない神社の裏手に一人で何をしているのか。
 川瀬は興味を惹かれる。そして、その興味の赴くままに口を開いた。

「……なあ、お嬢ちゃん。何してんだ、こんなところで」

 びくりと少女の肩が揺れる。毛を逆立てる猫のような俊敏さで彼女は立ち上がり、数歩下がる。睨む、目。直前の挙動と相まって、野良猫の様だと川瀬は眺める。人気のない場所で、後ろから突然成人男性に声をかけられれば女の子は警戒する。残念ながら、川瀬はそのようなことに気を遣うような人間ではなかった。
 特に繕うように笑みを浮かべてみせることもなく、ただただ無遠慮に少女を眺める。

「泣いてんのか?」

 川瀬のはなった言葉に、少女の唇が震え、きつく噛みしめられた。その表情に川瀬が気を取られたのはほんの一瞬に過ぎない。
 少女の後ろに祠がある。古びて苔むした小さな家のような祠が、茂みに隠れるようにあった。そして、その前に彼女が置いたのか花束が置かれている。数本の花が束ねられただけの簡素なもの。橙に見える花弁は、夕陽に染まっていなければ真っ白なのかもしれない。
 汗を滲ませるような生温い風が、少女のスカートを揺らした。

「……墓参りか」

 零れた声は乾いていた。何故その言葉が零れたのか。川瀬にも論理的な思考があったわけではなく、花束と堪えるように泣く少女に死が連想されただけだった。

「最低」

少女は踏み入ってきたことを詰るように吐き捨てる。川瀬を押しのけるようにして、駆けていった。
『私と一緒に逃げよう。二人で自由になろう』
耳元で響く声が聞こえた気がした。川瀬は思わず少女を目で追う。
坂の上へ少女の背が見えなくなる。残された男は祠へと歩を進めながら、幻聴ねえ、と呟いた。


川瀬が神社から旅館に戻ったころにはとうに日は沈んでいた。家から家へ距離がある村では、日が暮れれば真っ暗だ。もう少し調べようと長居していれば、旅館へ帰るのに苦労したかもしれない。神社は村の中央にある旅館からは少し離れている。
襖を開ければ、目当ての人物ともう一人が縁側に足を放り出すように涼んでいたところだった。

「何か面白いものでも見つかったか?」

旅館の浴衣を着た鵜山が視線をこちらに向ける。

「まあ、ぼちぼちだな。神社を見てきた。鬼の伝承があるらしいな。なかなかユニークな伝承だったぜ」
「ほう、それはよかったな」

頷いた色黒な男は、川瀬を見ることもなく手に持った団扇で扇ぐ。まだ夏ではないというのに汗が滲むほど暑いのは湿度のせいかもしれない。

鵜山うやま君、こちらは?」
川瀬千夏かわせちなつ。俺の……友人ですかね、一応は」
「仲が良いんだねえ。友達と旅行かい、若いなあ」
「俺の旅行についてきただけですよ。こいつは記者なので。面白そうだ、とか何とか」

 鵜山の横に座った男は締まりのない笑みを向けている。癖であるのか整えられた顎髭を撫でていた。見た目は若く見えるが、知り合いらしい鵜山が敬語を使うという事は中年なのか。貼り付けられたような笑みが年齢を分からなくしている。

「雑誌の記者をやってる、川瀬千夏だ。あんたは?」
「これは失礼。私は坂塚源治さかつかげんじ。この村で農家をやっているおじさんだよ」
「どんな関係だ?」

 いまひとつ関係性が見えない二人に、手っ取り早く川瀬は鵜山に目を向けた。鵜山は眼鏡の奥の切れ長の瞳を瞬いて、一息で言う。

「坂塚さんは、俺の教え子が世話になっている社長さんだ。この旅館も経営しているそうだ」

 無精髭に跳ねた髪の若い記者が首を傾げた姿を見て、坂塚は笑みを向ける。

「社長とはいっても農家の延長みたいなものですからねえ」

 なるほどと川瀬は納得する。
農家という自己紹介も、鵜山の社長という紹介も間違いではないらしい。この山奥の村であれ、大きな旅館まで所持しているとなればこの辺りの地主なのかもしれない。都会の金持ちとは生活がまるで違うだろうが、それなりに豊かな生活をしていそうだ。
そうあたりをつけて、笑みを絶やさない男を眺めた。

「それにしても、記者さんが面白い物なんてこの山奥の村にありますかね。何にもないでしょう?」

 にこにこと笑みは変わらない。川瀬はその裏をさぐるようにじっと見つめながら答える。

「まあ、記者と言っても俺は不真面目な大衆誌の記者だからな。ユニークな伝承だけで充分それなりになる」
「変な事をこいつが書こうとしていたら俺が止めますよ、安心してください」

 鵜山が横から淡々と言う。川瀬の視線に彼は肩を竦めた。芝居がかった仕草だが、教師というよりは俳優のように見える目鼻立ちのはっきりした男がやると、妙に様になる。
 それにしても、変な事を書くなど、随分な言い草だ。もっとも、鵜山からすれば至極当然の物言いなのだろうが。
彼と川瀬の付き合いは、川瀬が鵜山の勤めていた学校で起きた不祥事を記事にしたところからなのだった。結果としては、記事からネット上で炎上し、教育委員会が謝罪する事態になった。生徒のために孤軍奮闘しようとしていた鵜山であるのだから、十分な貸しであると川瀬は考えている。一方の鵜山からすれば、借りなのか、かえって事態が大事になって、借りでなく迷惑を被っただけなのかはっきりしない。それ故の腐れ縁である。

「ははは、先生のご友人に失礼な言い方でしたねえ。おじさんの戯言という事で一つ、お許しくださいな」

 朗らかに坂塚は笑う。目尻に、笑みを浮かべることでできた皺がある。

「京介は今日此方に?」
「ええ、先生がいらしているからと伝えておきましょう。もうじきに仕事も一段落つく頃でしょうからね」
「お願いします。彼の旅館での仕事ぶりはどうですか?」

 どうやら教え子が今どうしているのか気になるらしい鵜山は坂塚を窺うように尋ねる。本当にこの男は教え子の事になると熱心だ。川瀬は内心不平を漏らす。友人の扱いはぞんざいな癖に。ぞんざいにされる覚えのない辺りが、川瀬の川瀬たる所以である。

「ああ、旅館といいますかねえ。彼は世話役として働いているんですよ。馴染みがないかもしれませんが、この村では昔から世話役っていう職業がある。そうだなあ、何といえばよいのか」
 目線を上に暫し考えて続けた。
「うちの執事みたいなものですかねえ」

川瀬は目を瞬く、そして食い気味に問う。

「流石は大きなお屋敷をお持ちなだけはあるな。代々そんな職業があるような家柄なのか、あんた」
「んー、まあ否定はしませんけど、うちの執事っていっても世話役は村の祭事の取りまとめなんかもしますからねえ。村の執事って言った方が的確なのかなあ」
「祭事……確かに立派な神社があったな、東雲しののめ神社だったか」

 変わった伝承に、変わった風俗。がぜん興味が湧いた。隣に座った鵜山が呆れた目を向けているのを黙殺する。

「そうですね……おっと、もうこんな時間か。すみませんねえ。村役場の方に少し用がありましてね、失礼しますよ」

 壁にかけられた時計にはっとしたように言って、眉を下げて帰っていった。閉じた襖に、去っていく足音。思わず舌打ちしたところで、鵜山に胡坐をかいていた膝を叩かれた。

「なんだあ、せんせ」
「何とかならないのか。お前のその態度は」
「仕方ねえだろ、記者魂だよ、記者魂」
「野次馬根性の間違いだ」

 言い捨てた鵜山は、頭が痛いとでも言いたげに手で顔を覆う。

「そういえばさっきの坂塚だったかには言っていないのか?生徒のこと」
「……言うはずがないだろう」
「なんでだ、教え子が世話になっている人なんだろ。同じ村に住んでいるんだし事情を話しちまえばいいじゃねえか、旅行だなんていわずに」

 眼鏡の奥の目がめんどくさいとでも言いたげに細められた。じっと見つめ返せば、ため息を零す。

葉月はづきの件と彼に関係がない。教え子の個人的な事情を他人に容易く話すつもりはない。信頼を裏切ることはしたくないからな」 「だというのに、お前は」と続くのを遮る。手をひらひらと振った。

「悪かった悪かった。個人情報は守るし、あんたの教え子が困るような記事にするつもりはねえよ」
「当然だろう。そんなことをしてみろ、俺は、お前を、許さない」
「せんせは過保護だねえ」

 脅しのような台詞も、こと鵜山隆一郎うやまりゅういちろうという教師が口にする限り、ただの脅しには聞こえない。 
鵜山という男は生徒を守ることを信条に掲げている。

 色黒ではっきりした目元が日本人離れしており、190はある長身、筋肉質な身体はかなり目を引く。少なくとも彼が片田舎の中学校の理科の教師にはまず見えない。
 学校という空間にはおよそ不釣り合いな派手な外見をしているが、彼ほど生徒を大切にしている教師を川瀬は他に知らない。

 教師も暇ではないだろうに、まして彼は妻を亡くしたばかりである。それなのに、妻の両親が娘を預かった休みに、わざわざ生徒のためにこの山奥の村に足を運んだような人間である。

 心底嫌そうな鵜山に「言わないなら調べるだけだ」と無理に聞き出した話では、彼の教え子が数週間前から学校に来なくなったという。その女子生徒が「助けてほしい」と零していたのを思い出し、何かあったのかもしれないと心配して来たというわけだ。
 親とうまくいっていないのか、友人関係なのか。
教師が顔を突っ込む枠を超えているともいえるが、そこを放っておける人間であったら、記事を書いた時に、川瀬の目に留まることはなかっただろう。面白いと興味が湧くことは。

「……優しい大人でありたいだけだ」
「優しい大人、ね」

鵜山は話は終わりとばかりに視線を逸らした。かわりに川瀬が口を開く。鵜山が手放した団扇を奪い取って扇ぐ。汗が滲んでいた。

「きな臭いんだよな、この村。どうにも、せんせの生徒の件と無関係じゃねえと俺の勘が言ってる」
 寝水鬼ねみずき村。鵜山の勤める中学校のある市からは数時間に一本のバスがあるのみの山奥の村。山奥にあるわりには過疎化もどこ吹く風で、何故か若い住民がそれなりにいる。不便な村にも拘わらず、移住する人間が多いのだ。
あまりにも異様であるために一部界隈では、一度旅行に行ったら帰って来られないなどとオカルト的な噂があるほどである。どれだけ魅力的な場所なのかとそれなりに観光客も多く、旅館は繁盛していそうだった。

のか」
 鵜山が眉をひそめる。

「この村に来てから妙に聞こえる。こう頻繁に沢山の言葉が聞こえるのは初めてだぜ」

 鵜山が縁側に面していた網戸を閉める。蚊取り線香の煙が鼻を刺した。窓から見える空に星は見えない。雲に隠れた月がぼんやりと光を放っていた。

「返せって女の声が何度も耳元で聞こえてたんだがな。呪うような。で、神社があるって言うから関係があるに違いないと思って調べに行っていたわけだ。オカルト的なもん、連想するだろ。返せ、なんて」
「よく平気だな。普通、調べようとする前に帰ろうとしないか」
「鳥肌は立って仕方がなかったが、そこは知りたくなるだろ?そのまま帰るなんて真似俺にはできねえよ」
「……お前の言うところの記者魂か。俺には理解できない」

 ため息とともに鵜山は肩を竦めた。そこで、ふと思い出して、川瀬は口を開く。

「そういえば、神社の帰りにセーラー服のお嬢ちゃんがいたんだが、ひょっとしてお前の学校の生徒だったりするのか?」
 生徒という言葉に、鵜山はさらに言葉を促すようにじっとこちらを見る。川瀬は無精ひげを撫でる。

「ショートカットで背の低い、気の強そうな感じのお嬢ちゃんだったが。セーラー服はたぶんお前の学校のものと同じなんじゃないか?そうはっきり記憶してるわけじゃないが」

 川瀬の言葉を聞くだけ聞いて、鵜山は黙り込んで何やら難しい顔をしている。半ば独り言のように、川瀬は付け足した。

「〝一緒に逃げよう〟だったか。あそこで聞こえたってことはあのお嬢ちゃんの何かしらが聞こえた可能性が高いとは思うんだがな」

 ……何から逃げるというのだろう。それがわからないところが、川瀬の歯がゆいところだった。いつもそうだった。川瀬の特異な力は中途半端に聞こえるだけで、全てを教えてはくれないのだ。
 
川瀬には断片のような声が聞こえるのだ。
 物に触れた時、人と近づいた時、特に決まったパターンもなく不意に聞こえる。しかも、その声は相手が今考えていることであったり、あるいは過去に言ったことであったり、未来に言うことであったり、時間軸もばらばらな断片だ。
 力というには力として成り立っていない。自由に使えるわけでもなく、役立つことといえば川瀬の好奇心を呼ぶくらいのものだ。しかし、好奇心を呼ぶことが、事件を嗅ぎつけることになるという意味では、川瀬の職業柄、全くの無意味というわけでもなかった。

「逃げようと聞こえたのか」
「なんか心当たりでもあったのか、せんせ」
「いや、葉月名月はづきなつき……俺の生徒でないかと思っただけだ」
「例の不登校になった子か。ふうん、やっぱり何かあるな、この村。しっかり暴いて記事にしたいとこだな」
「……個人情報はしっかり守れ」

 川瀬に事情を伏せる事は諦めたものの、釘をさすのは忘れないらしい。鵜山は眼鏡を押し上げて、そのままゆるくウェーブのかかった前髪をくしゃりと乱す。

「正直に言えば、お前にここまで話すつもりはなかったが」
そう前置きして、ぽつぽつと語る。
「坂塚さんに話さなかった理由はもう一つある。……坂塚さんのところで働いている教え子のことも、俺は気がかりなんだ」
「働いているってことは卒業生だろ?」
「卒業生だろうが教え子には変わらない。元気にやっているのなら問題ないが……」

 言葉を濁す。中学を卒業して、高校に進学する事のなかった生徒を心配してというには、表情が曇り過ぎている。

「……葉月のように助けてと言われたわけではないんだが、やはり気がかりなことがある」
「坂塚っていうあのおっさんがそっちの件と無関係とは限らないから黙ってたのか。気の良いおっさんって感じじゃねえか?」
「あの人は親がいない教え子の保護者にあたる人だ。何度か会った事があるし、卒業後も連絡を取っていた。確かに、俺の考えが間違っているのかもしれない」

 鵜山は囁くような声で並べる。そして、眼鏡の奥の目を伏せた。

「だが……俺が信じるのは、信じなければならないのは、保護者でなくて、教え子だ」
低く耳に響いて残る声が和室に静かに零れた。


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