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しおりを挟むざわざわと廊下が騒がしい。今日調べたことを書き連ねていた年季の入ったメモ帳から顔を上げる。だらしなく寝そべっていた身を起こした。鵜山が座椅子に腰かけて読んでいた本をぱたりと閉じる。
入室を告げる声は数時間前に会った坂塚のものだった。
「やあ、こんばんは。連れてきましたよ、彼」
襖から顔を覗かせた坂塚の背後から、若い男が静かに現れる。黒いスーツに身を固めた表情のない男は、坂塚に半ば背を押されるようにして室内に入って来た。
「……京介」
鵜山が名前を零す。名前を呼ばれたことでこちらを向いたというよりは、ただ風景を映しただけのような温度のない目がこちらを向く。
鵜山の教え子であるらしい若い男はただ黙していた。
「ほらほら、鵜山先生、お話があるそうですよ、入った入った。鵜山先生と川瀬さん、お酒でもどうです?」
「そりゃいいな」
同意した川瀬とは対照的に、鵜山はじっと黙ったままの教え子の方を見つめている。一拍遅れて、はっとしたように口を開いた。
「いえ、俺は……」
「そう言わず、ね。なかなか評判が良いんですよ?」
にこにこした坂塚は、機械のように立っている男に酒瓶らしきものを押し付ける。受け取った男はそれに表情を変えるわけでもなく、大人しく此方へ歩いてくる。川瀬と鵜山の座っている場所から数歩離れた位置に座ろうとするのを、坂塚が遮る。
「何を遠慮しているんですかねえ、全く。先生の隣に座った座った」
若い男はやはり何も映さないような目で、黙って鵜山の横に座った。
「もっと喜んだらいいのにねえ。……すいませんねえ。私はこれで失礼しますよ。お酒はどうぞ、せっかくですから」
地酒を一本寄越すとは気前の良い話だな、と川瀬はその背を見送る。視線をもとの位置に戻せば、ちょうど若い男と目が合った。
真黒な泥を覗いているような瞳に、人間と応対しているような気がまるでしない。
「久しぶりだ。……京介」
鵜山は柔らかい声音で呼びかける。自分には決して使われる事のない声音だなと、川瀬は瞬きした。
「……お久しぶりです」
「背が伸びたな。しっかり食事はとっているか?」
「私はいたって健康です。鵜山隆一郎さん」
「先生とは呼んでくれないのか」
「もう、生徒ではないでしょう」
淡々と抑揚のない声は、苛立っているようにも聞こえない。本当に機械のような男だ。鵜山はふっと優しく笑った。
「そうか。お前がそう思うなら構わない。だが、俺にとって教え子であるという事実は変わらない」
若い男はその言葉にも表情を少しも動かすことなく、坂塚に押し付けられた酒を、旅館に備え付けられていた猪口に注ぎだした。
鵜山の熱心さと比較するとあまりに冷淡な態度だ。勝手に慕っている生徒と、生徒を信頼する教師という図式を思い描いていただけに、それがまるっきりひっくり返されているような気分になった。
川瀬は口を挟む隙を見逃して、居心地悪く胡坐をかいた膝を揺らした。その様子を横目で見て、鵜山が口を開いた。
「彼は水城京介。京介、こいつは川瀬千夏。記者をしている俺の友人だ」
水城と呼ばれた若い男は黙礼をする。つられて此方も黙って礼を返してしまった。
「どうぞ、〝救い水〟というこの村の地酒です」
「へえ、伝承から来た名前か?」
川瀬の問いに、抑揚のない返事が返ってくる。
「はい、そうです」
業務的な応対とはいえ、会話を避けているわけでもないようだった。鵜山への対応がおかしいというわけでもなく、この人間味の薄い男の通常運転がこれなのかもしれない。
鵜山は知らないだろうと神社で仕入れてきた伝承をかいつまんで説明する。
昔、村が厄災に見舞われた際に、現れた鬼が村人に水を与えた。その水によって、村人の傷は癒え、病は治り、村は栄えたという。そのためにこの村は神社でかつて村を救ったという鬼を祀っている。
鬼というのは悪役として描かれるものだとばかり思っていたのだが、珍しい信仰もあるものだ。そして、地酒が「救い水」とくれば、鬼が村人に与え村を救ったという水をイメージしているのだろう。
「この村で祭祀の際に作られる地酒です」
鵜山が顔をゆったりとあげた。
「……なあ、京介。俺と二人で話をしないか」
「何故です?私には貴方とする話などありません」
「お前に聞きたいことがある。お前に話したいことも。話をさせてくれ」
鵜山はちらりと川瀬を見やる。少し席を外すといって、水城の手を引く。抵抗はない。無表情のままだった。
強引な真似をするとはあの男らしくない。鵜山の調子と、水城という男の調子がどうにも噛み合っていなかった。温度が真逆であるかのようである。
部外者である俺がいては困るということだろう。
部屋は二人減ると随分寂しく感じる。
気になりはしたが、川瀬は動かなかった。知りたいことを諦めるなど川瀬にはない選択肢だが、無理に割り込んだところで知れるものでもない。気になれば、後で鵜山から聞き出せばいい。
酒の注がれた猪口に手を伸ばす。先に飲んでいても構わないだろうと口元に持っていく。結局のところ、知りたいという欲に酒を飲みたいという欲が、一時的に勝っただけだった。
「飲まないで」
ぴたりと手を止める。一瞬、いつものただ聞こえるだけの能力であると錯覚した。しかし、それにしては聞こえ方がおかしい。まるで外から呼びかけられたような。ゆっくりと猪口をもとの位置に戻して、大股で縁側の網戸を開ける。
闇の中、雲から覗いた月が地面を明るく照らす。
夕方に神社の近くの祠の前にいた少女が立っていた。月光にはっきりと輪郭を取られたセーラー服姿が、闇の中、周囲から浮かびあがるように見える。
目を見開く。
「飲まないで、それ」
「何でだ」
「……人じゃなくなるからよ」
人じゃなくなる?首を傾げた川瀬を、少女はきつく睨んだ。
「飲むな。……忠告はしたからね」
そのまま踵を返す。おいと川瀬が呼ぶ声に振り向くこともなく、少女は闇に消えていった。
茫然とそれを見送る。現実味がなかった。何かに化かされたような心地になりながら、川瀬は暫し悩んで猪口に注がれた酒を見つめる。おもむろに手に取って、庭に振り撒いた。
空になった猪口が二つと、残った一升瓶を眺めて、川瀬は無精ひげを撫でる。
「鬼でもいるってか?」
笑おうとしたはずの声は、渇いて掠れていた。
部屋に戻って来たのは鵜山一人だった。川瀬が尋ねる前に、彼は首を振った。
「京介は村の見回りがあるそうだ」
「見回り?山奥の村にしては防犯意識が高いな。観光客が多いシーズンだからか?」
鵜山は返答することなく、身を投げ出すように座った。その手が左手の薬指にある指輪を撫でている。この男が何か不安を抱いている時の癖だった。
「……様子がおかしかった」
鵜山は眼鏡をはずして、目頭を押さえる。再び、眼鏡をかけて、息をついた。
「あの兄ちゃん、随分素っ気なかったもんな。せんせでも駄目なくらい機嫌でも悪かったのか?何考えてるのかさっぱりな無表情だったが」
「そうか?あの子の感情はわかりやすいと思うが」
思わず、真顔で凝視するも、大真面目のようだった。そのままさも当たり前のように言った。
「目を見たらわかる」
冗談ではないとしたら、この先生は仏頂面の男の目を見て感情がわかるという特殊能力を持っているのではないだろうか。そんな馬鹿馬鹿しいことを考えた頭振って、はあと気の抜けた相槌を打った。
機械のような男であったという印象しか残っていない川瀬からすれば、信じろと言われても信じがたいものがあった。
「様子がおかしかった。酷く戸惑った目をしているのに、何も話してはくれなかった」
「戸惑っているふうには俺には見えなかったが……まあいいぜ。で、せんせはどうするつもりだ」
「諦めるつもりはない。あの子が話せない何かがあるというなら、それを何とかするまでだ」
きっぱりと言い切った。
「教え子なのかもしれないけどなあ。……あの子って年じゃないだろ、あの男」
「京介は十八だ。子ども扱いをしたかったわけではないのだが。気を付けた方が良いかな」
「十八?嘘つけ、十八?!未成年なのか、あれで?!」
てっきり、自分の数個下位だとばかり思っていた。スーツという格好と、あの感情の起伏のない表情や振る舞いが、とてもではないが未成年には思わせなかったのだ。
「あんな不気味な落ち着き方をした未成年がいてたまるか」
眼鏡越しに冷えた目線を寄越されて、川瀬は肩を竦める。話題を変えるように酒を指差した。
「例の神社の近くで見たお嬢ちゃんがさっき外に来てたんだが、酒を飲むなだとよ」
「こんな時間に?……もとより教え子と話をしようとしていたから飲むつもりはなかったが」
「脅かしに来たのかもしれねえけどな」
「脅かされるようなことをしたのか、お前は」
鵜山が怪訝な顔をする。とことん信用がない。ため息をつこうとして、欠伸が漏れた。視界がぐらりと揺れる。
揺れた視界で鵜山が座り込むのが見えた。川瀬も立っていることができずに、膝をつく。
「眠いな……何でこんな、急に……」
口を動かすのに酷く苦労する。まるで筋肉が急になくなってしまったかのような感覚。口をそれ以上開くことはできずに、そのまま意識は途絶えた。
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