以水救水ヒロイズム

まめ

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 はじまりは見てしまった時だ。
 葉月はづきは細部を思い出すことを避ける様に、曖昧に語り始める。両親が、おかしくなった。昼間の両親はいつも通りに見えた。口煩いママ、抜けているパパ。思春期の娘である故に世界で一番好きとは言えないまでも、嫌いなわけではなかった、葉月の家族。

 両親が、人を食べていた。

 おかしいと葉月は思った。だけど、おかしいのは自分であったのかもしれない。村人は皆おかしい。化け物だ。皆そうなら、おかしいのは自分なのかもしれない。

 頭がおかしくなりそうだった。

 救い水という地酒。あれを祭りで村人は十五になれば飲まされる。入っているものは……綴の血だ。
 綴は村の伝承の鬼の血をひくと言う。鬼の血を人間が飲むとおかしくなるのかもしれない。葉月には詳しいことはわからない。わかるのは救い水というあの酒を、綴の血を、飲んだ人間が、人の血肉を貪るようになるという事だけだ。

 鬼の血をひいていても、綴は人間だ。村人に血を絞られるせいでいつも怯えている、優しい女の子。村人は綴を家畜だと言う。血を採るための、家畜だと。葉月は認めない。彼女は友達だ。

精神的なショックで声が出ない。だから、綴は自分が守らないといけない。二人で逃げようと葉月は綴に約束していた。

もう、二人は十五になる。

時間がなかった。十五になれば、葉月は救い水を、血を飲まされて、人ではなくなる。綴は十五になる時に鬼に近づけるために生贄を食べさせられると聞いた。

だから、逃げなくてはいけないのだ。人であるうちに。

話があっちからこっちへと奔放に行き来する彼女の話を聞いて、川瀬はメモをしたためていた。文字列がぐちゃぐちゃになったメモを片手に、川瀬は口を開く。

「鬼の伝承、人肉を食らう村人、血を飲む祭り、ねえ。……とんだオカルトだと言いたいところだが、見たものは見たものだしな」

 血に染まる廊下、人を刺した杭、綴の塞がった傷。

「再生能力でもあんのか?綴のお嬢ちゃんには」
『……はい、体液に再生能力がある、そう』
「だから、血液なのか」
「だから!綴に聞くのはあんまりだって言ってるの!」

葉月が怒鳴りつける。綴を後ろに隠して、今にもこちらに噛みつきそうな表情だ。

「本人に聞いた方が早いだろうが。俺なら何言いたいのかわかるんだしよ」
「納得いかない!なんで、あんたに聞こえるのよ」
「そりゃ、そういう能力だからだっての。ここんところ、やけに調子が良いおかげで、喋れない子と会話が成立するとは、何に役に立つかわからんもんだ」

 川瀬の言い草に彼女の眉間がますます険しくなっていく。

『名月ちゃん、平気。もう、怖くない』
「平気だって言ってるぜ?」

 言葉を無視して、綴の手を握り、ずんずんと前を進んでいる。ちょっと困ったようについて行く綴の足取りはしっかりしていた。恐ろしい回復力だ。数時間前に腹に穴が開いていたとは思えない。実際、普通の人間ならば死んでいただろうが。

「……鬼、ね」

 葉月と綴は二人でいる事で随分明るくなったようだ。日が昇りだしたこともあるかもしれない。神社への坂道に人影はなかった。静かすぎて、夜の出来事が夢でないかと思いたくなる。鵜山がいない以上、願望でしかない。

 神社にたどり着いて、沈黙が続く。建物に入って休むつもりだったのかもしれないが、川瀬も葉月も、綴でさえ落ち着かなく村の方向を見つめていた。人影がこちらに来ることを恐れながら、一方で待つ人の影が見えないかと期待して、じっと黙っていた。




 疲れに引きずられて、瞼が下に落ちてきた時だった。


 「先生」と葉月が声を上げた。

 顔を上げる。
 ほっと力が抜けそうになるのを、川瀬は堪えた。葉月が駆け寄る。彼女は泣いていた。今回ばかりは綴を気にする余裕も彼女にはないようだった。

 大粒の涙が零れるのを、袖で乱暴に拭おうとして、鵜山がその手を止めていた。片腕が不自然に下がっていて、足も引き摺っているように見える。無茶をやらかしたのだから当然だが、川瀬はため息をつきたくなった。

 鵜山の後方に水城が黙って立っている。少し離れた背後に立つ様と暗い目が暗殺者か何かにも見えなくもない。葉月は涙で気付いてはいないようだが、綴ははっと息をのんだ。

『……兄さん』

 川瀬は綴の方へ思わず振り向く。そういえばあの地下でもそんな話を聞いた気がした。興味がひかれたが、とりあえず後にすることにして葉月と鵜山に歩み寄った。

「泣き虫だな、お嬢ちゃん」
「なっ……」

 絶句する葉月がわなわなと震えるのを退けるようにして、鵜山と目を合わせる。彼は葉月に断りを入れて、さらには背後の水城にも視線をやって、少し離れた場所に移動する。騒ぐ葉月の声が遠ざかる。大人しく場所を変えるあたり、川瀬の不機嫌な顔に察するものがあったのかもしれなかった。

「せんせ、よお。俺はすっごく怒ってるんだが、心当たりはあるか?ねえとか言わないよな?」
「俺の勝手につき合わせた。まして、ろくに説明もせずに。すまなかった。感謝してもしきれない」
「多少は自覚があって安心したよ」

 息を吐く。そして、眼鏡を外せと言った。鵜山は怪訝な顔をしたが、やはり大人しく外した。聞き返すこともしない。この程度の機嫌を損ねないようにする気遣いはしっかり外さないくせに、と思うと川瀬は複雑だった。苛立ちをそのままに、掌にのせる。そして、力一杯振りぬいた。

 良い音がなる。早朝の清々しい空気を切り裂くように。

 目を見開く葉月と綴。そして、離れた所にいる水城までも意表を突かれたのか、此方に視線が向いた。
綺麗に入った平手によって、横を向いたままの鵜山の肩を掴んで正面を向かせる。

「あんたが死んだら、結依ちゃんはどうなる?父親まで亡くすことになるんだぞ」
「……もとより死ぬつもりはない……が、礼を言う。ありがとう」
「俺に礼を言ってどうすんだ。無事に帰って結依ちゃんを甘やかしてやんな。せんせだって親だろうがよ」

 余計なお節介をやったと早口で言い捨てて、川瀬はふいと背を向けた。鵜山は敢えて声をかける事をせずに、放っておく。その背がついてくるなと言っていた。
 鵜山は左手の指輪を陽の光にかざすようにして、それから頬を押さえた。力加減のない平手だった。紅葉ができているかもしれない。

 優しい男だ。鵜山は友人に重きを置かない性分だから(それどころか優先順位は最下位といってもいい)ああいうふうに友人に怒られることがあるとは考えてもみなかった。

 鵜山は薄情な人間だと自分を見ている。何処か間違っているのを自覚している。優しい大人でありたい。だから生徒を守りたい。ずっと何処かで、優しい大人を求めている。

 それだけで……川瀬のような明るく開けた優しさは、自分にはない。羨ましいと思った事が全くないとは言わない。だが、月が太陽になれないのと同じで、ないものねだりでしかないと諦めもついていた。

 左手の指輪を撫でていた手を止めて、眼鏡をかけ直した。

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