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しおりを挟む夕陽が中庭を染めている。使用人の女、春日野に案内されて部屋の前に立つ。
春日野はもともと外部の人間だという。救い水を飲まされていない彼女は正真正銘の人間らしい。川瀬が話を聞けばこう言った「東雲様は人でないものがお嫌いなんですよ、村人では殺されてしまいます」。
随分と物騒な主であるようだった。鬼を封印しているとなれば当然なのかもしれないが。
春日野が一声かけ、襖が開かれる。
橙色に染まる襖を背景に、男が一人座っていた。
和装の男。線の細い、中性的な青年だった。瞳は金に光っている。この世の者とは思われないような背筋の凍る存在感があった。妖しい笑みを浮かべて、彼は口を開く。
「ご苦労様。さあ、人間、封印を解く時が来た。人外は殺さなければならないからね」
葉月に向かって笑いかけ、綴を手招く。彼女の足がふらふらとそちらに向かう。目を見開いた彼女は動揺しているようで、自分の意思と反して身体が動くようだった。
「これで封印を解くんだ、北の祠の地下に祭壇がある。突き立てれば封印は解かれる。そして、人外は終わる。この忌まわしい土地も」
何もない空間から刀が一振り現れた。彼女のもとに滑るように移動し、その手に収まる。東雲という男は外野を無視するように、座ったまま続けた。歌うように。
「封印を解くんだ。僕は忌々しいことにここに縛り付けられている。封印を解けば、〝彼女〟が目覚める。そして、化け物は全て滅びるだろう」
『人外は殺さなければならない。人外は殺さなければ。はやく、はやく、人間などどうでもいい。封印が解かれればそれでいい。人外は殺さなければ』
繰り返し繰り返し壊れたカセットテープのような声が、重ねて聞こえる。不気味さに川瀬は鳥肌が立つ。それでも、引っ掛かりを覚えて問う。振り絞った声が掠れた。
「……おい。封印を解いたとして、人外が滅びるのは、わかったが、俺達は……どうなるんだ」
東雲は煩わしそうに顔をゆがめた。にっこりと笑う。
「頭が回るね、人間。面倒だ。……その刀があれば〝彼女〟に襲われることはないよ。不死殺しだから。人外は殺す。村が壊滅する混乱の中、逃れればいい。人外は殺さなければならないから」
会話が通じているようで、全く通じていない気がする。勝手に喋っているだけのようだった。人間、人間、というのだから、彼も人外ではないのかと川瀬は内心首を捻った。
やはり周りを、どころか会話の相手である綴すら、無視するように東雲は言う。
「それはお前にしか扱えない。お前は僕の血をひくからね。……おや」
東雲が目線を後ろにいた鵜山と水城に向けて、そして。
一瞬だった。
一瞬で、影が東雲の懐に飛び込む。鮮血が飛ぶ。東雲の胸に匕首を刺した水城が、肩で息をする。そのまま押し込むように、力を込めて足を前へやった。
悲鳴。葉月が震える。綴が座り込む。鵜山が駆け寄る。全てがスローモーションのように見えた。
心臓を一突きにされた東雲は顔を上げる。
そして、笑った。
「一回、死んだかな?催眠で自害する前に僕を殺すなんて、流石は化け物だね。ふふふ、ははははは」
水城が飛びのくが、間に合わなかったのか、不可視な何かに掴まれたかのように彼は吹っ飛んだ。鵜山がそれを受け止めて、床に背中から転がる。
そして、やはり見えない斬撃が走って、二人の近くの畳が深々と抉れた。
「それは駄目だ。それは人間じゃない。僕が、殺さないと。化け物は僕が殺す。どきなよ、人間。死ぬよ?」
「京介を殺すつもりか」
「だって、君、人を食べたでしょう?」
東雲は水城に向かって、笑いかける。
空気が凍る。
鵜山は目を見開いて動けない。誰かが息をのむ音がした。静寂を殺すように、水城は変わらぬ温度のない声で応える。
「……はい、十五の時に食べました。それから食えと言われるたびに、幾度も」
感情の抜けたような目が鵜山を見る。川瀬には聞こえた。だからもう手遅れだ、と。鵜山が悲痛な目をして、首を振る。
「それは人を食べた。ならば、人でないはずだろう?村人と同じ様に化け物だ。僕が殺さないと。人外だから殺さないと……殺さないと……僕の所為で。僕の所為で?……とにかく、殺さないと」
呪文を唱えるようにぶつぶつと呟いていた。押さえていた頭から手を外し、東雲は怪訝な顔をする。
「何の、つもりなんだい?人間」
「殺させない」
「それを生かす事で災厄は繰り返される。それはもはや人ではないんだよ。殺さないといけない。人間のためにも」
「俺は教え子の味方だ。人間の味方ではない」
愚かしいと笑い声が部屋に響いた。
水城の前に立ち塞がった鵜山の背が見えた。水城が不意を突かれたように動けないでいるのを見た。飛び散る赤。悲鳴。誰かの悲鳴かと思えば、自分の口から洩れている。
どさり、と重い音と共に、鵜山が倒れた。
広がる赤い染みが畳を染めていく。息ができない。見ているものが信じられなくて、瞬きすらできない。
「隆一郎!くそ、おい、隆一郎!」
……嘘だ。足が縫い付けられて、動けない。
「先生、先生、どうして」
「京介、無事か……?すまない、吃驚、させた……」
「話さないでください!」
水城が声を荒げた。そして、手に持っていた赤く汚れた匕首で、躊躇いなく自分の腕に切りつけた。鵜山が何か言おうとするのを止めるように、彼は手を握った。
滴る血が鵜山の深々と切り付けられた腹の傷へ落ちる。
……再生能力!
川瀬ははっと目を見開いた。そうだ、彼の体液にも傷を癒す力があるのだ。伝承で村人を癒した救い水のように、彼の血が鵜山の傷を癒していく。
深々と傷つけた腕に顔色一つ変えずに、水城は滴る己の血を見ている。とめどなく流れる血液に、鵜山が顔を曇らせて手を取った。
「大丈夫だ、京介、もういい。もう塞がっている。血が……」
「……わかりました」
鵜山の腹の傷を確かめて、漸く水城は頷いた。おもむろに自分の腕に入った痛々しい傷跡に舌を這わせる。そして、血を舐めとった腕を下した。傷が綺麗に消えている。
鬼の血をひく、とはこういうことなのか。川瀬は目を逸らすことができないでいた。
東雲は声を大きくする。先ほどからずっと呟き続けていた声が部屋にはっきりと響いた。
「ああ、ああ。不愉快だよ、不愉快だ。人外を殺さねばならないのに。人と化け物は共には生きられない!僕達のように。……僕達?……ああ、駄目だ。殺さないと、殺さないと、殺す」
ゆらゆらと座った姿勢から一歩も動かないまま身を揺すっている。今度は止められるように川瀬は足に力を入れる。水城に支えられ、鵜山が立ちあがった。癒えたようだった。こうして見ると恐ろしい能力だ。
水城は鵜山から一歩、東雲の方へ足を進める。鵜山がはっと目を見開いて、名を呼ぶが止まらない。彼の腕をつかむはずだった鵜山の手が空振り、そのまま傾ぐ身体に、急いで駆け寄った。
なんとか腕を差し入れたことで、倒れずにすんだ。しかし、鵜山は川瀬を振り払うようにもがく。
「……京介!」
悲鳴のような声にも、水城は止まろうとしない。東雲が恍惚として笑う。
その前に綴が立ちふさがった。東雲の前に震える足で。前を見据えることはできずに。
『兄さんは私が殺す』
川瀬は目を見開いた。同じように東雲も目を見開く。
『化け物になったら、私が兄さんを、殺します』
ぎゅっと彼女は東雲から渡された刀を抱く。東雲は瞬きを繰り返した。無音の部屋。彼女の決意は限られた者にしか届かない。その兄は怪訝そうに、前にいる少女を冷えた眼差しで見つめていた。
「そう。しっかり殺すんだよ。繰り返しては駄目だからね」
東雲はそれまでの激しさから打って変わって妙に静かな調子で、確かにそう返答した。
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