測量士と人外護衛

胃頭

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エッチするまでの話⑬

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「所長、少しいいですか?」
 
 宇月が『天馬亜希』を頭の中で想像したとき、最初に思い浮かぶのは春のような穏やかな笑顔だ。
 初めて出会ったあの日とはまるで違う。
 日高に連れられて訪れた古い一軒家。布団に横たわる美丈夫の隣に静かに座っていた彼女はずっと俯いていた。畳に垂れた長い黒髪から覗く真っ白な肌と薄暗い瞳からは感情が無く、まるでビスクドールみたいな子だなと思った。
 祖父母の家に置いてあった人形は、美しく着飾られていたけれど、どこか物憂げな表情に見えて宇月はそれが怖かったのだ。
 亜希の事情はなんとなく察してはいるものの、宇月には店への知識が皆無で、彼女が具体的にどんな目に遭っていたのかは想像の域を出ない。だが尊厳を破壊され、体も心も酷使されて、それでもなお、心を折らずに今まで生きてきた彼女の魂の強さだけは確かだ。
 髪をバッサリと切った頃には幾分か顔色も良くなっていた。日高や弘信、目を覚ました天馬、そして僅かながらでも自分が元気を与えられていたらと思う。見違えるように纏う空気が明るくなり、穏やかに笑う亜希は、宇月が知り得る女性の中で一番強く美しい人だ。
 そんな光に影が過る。
 伏せられた瞳、小さな唇が「ヒロくんが……」と恋人の名前を呟いたので、オウム返しのように「ヒロくんが?」と宇月は口に出す。
「最近ちょっと、様子がおかしくて……」
「と言うと?」
「夜遅くにどこかへ出かけてるみたいなんです。一緒にはまだ住んでないんですけど、部屋が隣同士なので夜な夜な出て行く気配があって、それで、心配で昨日後を着けてみたんです」
「え!!」
「あ、大丈夫です、マンションの敷地内からは出てませんから」
「それなら……いや、でも危険だからもうしないようにね!」
 念を押すように再度宇月が小言を漏らせば、少し嬉しそうな顔で亜希は頷いた。心配してくれる人など数年前まで一人もいなかったのだ。実父はずっとずっと長い間遠いところにいたし、今もお互い仕事で四六時中一緒とはいかない。だから今では宇月と過ごす時間のほうが長かった。兄のような父のような存在で、そして父と自分の命の恩人とも言える。
――――だから、……。
「ヒロくんが、反政府組織と繋がってるかもしれません」
「はん、せいふ……」
 亜希の言葉を反芻して、宇月は目を見開いた。
「反政府組織!?」
「シッ!声大きいですよ所長…!」
「だって!だって、そんなわけ……」
 ない、と断言しようとして宇月は口をつぐむ。ヒロになにか怪しい動きがあったわけではない。仕事もできて、賢くて優秀で、たまに生意気だが宇月にはそれくらいフランクなほうが接しやすくて良かった。
 ただ、彼がこの研究所にやってきた経緯を思い出して、嫌な予感に変に鼓動が速くなる。
 いや、そんなことを考えるな。
 日高があの日、宇月の前でクーデターを起こすと宣言した日から、いまに至るまで共に頑張ってきた仲間じゃないか。
「……ヒロくんのことは心から愛してます。だけど、日高さんや所長をもし裏切るようなことがあったら、わたし……」
 その後続くであろう言葉を口にはしなかったが、彼女の意図は伝わった。とりあえず落ち着こうとコーヒーで喉を潤したが、いつも以上に苦く感じる。
「マンション前に黒のセダンが止まってて、乗っていた人は見えなかったけど、扉を開けた男の顔に見覚えがあって……その、昔、お店にいたときに何度か護衛として付き添っていた人で……」
 亜希自身、接客相手が何者で、どのような地位の人間なのかは全く知らなかった。ただ何度も相手をしていれば誰かとの電話でのやり取りが勝手に耳に入ってくるし、隠そうともせず自分のことをペラペラと話して相手もいた。
 身売りの店で働く女は鳥籠の中の鳥だ。外の世界を知ることなく、ゲージが開けられても飛ぶ手段も知らない哀れな生き物。愛玩道具に機密事項を話しても外に漏れる心配はない。政治家や企業家たちは普段吐き出すことのできない愚痴や不満を時折り彼女らに聞かせた。
 その店の利用客が反政府組織側なのか確信はないが、日高が政権を握り、非人道的な風俗店は軒並み潰された。それは倫理的な観点からではなく、運営していたのが旧内閣及び反社会性力と関わりのある政治家や経営者だからである。
 弘信がコッソリと会っているであろう人間は黒に近いグレーと言ったところだろうか。それだけでも亜希が疑心を抱くのに充分な出来事だった。
「日高には?」
「メールしてみましたが返事はまだ……」
 多忙な日高と連絡が取れないことは多々ある。試しに宇月も電話をかけてみたが不在だった。
 クーデター後のまだ落ち着かない国内情勢だ。研究所内での不穏な種は早めに摘みたいところだが、亜希の証言だけではなんとも言えない。
 弘信を信じたい気持ちとは裏腹に、チラチラと頭の端に思い浮かぶのはあの嫌味な笑顔。この施設を作り、エルに危険な仕事をさせ続けていた前内閣府環境大臣。あの男が弘信をここに連れて来たのだ。
 応えてくれない携帯電話を握り締め、どうすればいいのかと悩むことしか宇月にはできなかった。


 ***

 
 鬱蒼とした森の中、人工的に作られたオープンスペースに出るとフジは眩しげに目を細めた。
 地面を隆起させていた太い根をもぎ取って、整地されたそこは、テントや木で作られたテーブル、椅子、野営地のようでありながらも生活感をありありと感じさせる場所になっていた。
 その後ろには大樹を利用したツリーハウス。縄ハシゴが垂れ下がった小屋と、その少し上には正面に壁はなく、大きな枝が部屋を真横に貫いた小屋があった。
「こんにちはー!」
 人気はないが今日ここに来る予定であることは事前に打ち合わせ済みである。建物の中にいるのだろうと大きな声で挨拶をすれば、小屋の丸窓から槇尾が顔を覗かせ、扉を開けてウッドデッキに姿を現した。
「おう、フジ!……と、あ?」
 久しぶりの友に槇尾は笑顔で片手を上げ、その隣に立つ長身を見て、渋い顔をして目を凝らす。間違いでなければかつての仲間であり、先輩にあたる男に見えるが、いやまさか……。
 考えるより先に確かめた方が早い。梯子を軽快に下って行き、最後のほうは飛び降りた。小走りで向かって、やはりあの頃と変わらない無愛想で端正な顔付きの美丈夫にニヤリと笑う。
「天馬じゃねーか!」
 近づいて、はっきり見えた懐かしい相手に、槇尾は肩やら腕やらをぱんぱんと叩けば、天馬もわずかながら喜色を滲ませた。
 元々仲が良い訳ではなかった。天馬は見ての通り生真面目で人付き合いもうまくない。超人的な力に惹かれ慕う部下も多くいたそうだが、槇尾はそれをふーんと興味なく聞き流していただけだし、天馬も軍医であった槇尾の世話になったことなどほとんどなかった。
 それでも命懸けの新大陸横断、死んだと思った仲間が生きていたとなれば喜ばしいものである。
「久しぶりだな」
 手を取って握り合う。この世界において再会とは奇跡に近い。親しい人たちの嬉しそうな顔をフジは眺めながら、そういえばと空を見渡した。
 天馬に早くクレスも紹介したい。
 道中クレスという新大陸に棲む仲間がいるのだと天馬に話はしたが、姿形まではあえて伝えていなかった。もしかしたら宇月や日高経由で聞き齧ってはいるかも知れないが、それでも実際のクレスを見たらきっと天馬は驚くだろう。
「槇尾さん、クレスはどこに――――……」
 いるんですか?と聞こうとして、突風が吹く。フジの真隣を勢いよく何かが通り過ぎ風塵で視界が遮られる。
「クレスッ!!」
 槇尾の切羽詰まった声になにか起きていることは理解できたが、目が開けられない。砂煙が落ち着いて、目を擦りながら顔を上げれば、大きく羽を広げたクレスが地面に向かって顔を下げている。いや、地面ではない。クレスの趾がガッチリと天馬を地面に押し倒し、鋭い嘴を大きく広げ激しく威嚇していた。
「オイ、バカ!!」
 槇尾がクレスの胴体に抱き付き、離そうと躍起になるもびくとも動かない。クレス!離れろ!と何度か叫んで、それは天馬だ!と槇尾が怒声を放ったところで、クレスはようやく力を抜いて天馬の上から離れた。
「なにやってんだよお前!」
 責めるというより混乱に近い様子で槇尾がクレスの体を掴めば、クレスはシュンっと項垂れた。
 なにがなんだか分からない。
 そんな中、ゆっくりと起き上がった天馬は何事もなかったかのように涼しげな顔をしていた。だが自分の腕を見て、冷静に「折れてるな」とポツリと溢す。ギョッとする槇尾と、そばにいたクレスはピャッと羽を広げ、慌ててどこかへ飛んでいってしまった。


 
「テンマ~、ごめんねェ?」
「いや、問題ない」
 数分も経たないうちに蓮の葉のような植物を咥えて戻って来たクレスは、槇尾にそれを渡して天馬の腕を完治させた。フジもよく知るエメラルドグリーンの湖に咲く治療草だ。クレスは天馬の腕が折れてると知って急いで取りに飛んだらしい。
 なぜ天馬を襲ったのかと尋ねると、いわく新大陸の獰猛な生き物と勘違いしたとのこと。視界に入るより先に野生の勘なのか、クレスにしか感じ取れないなにかが天馬を強敵と判断したのだろう。そいつが槇尾の側にいたものだから確かめもせず襲いかかってしまったのだと申し訳なさそうに答えていた。
 空が夕刻に染まる頃。
 槇尾とフジは焚き火を囲い夕飯の支度をする。今晩はシンプルに焼き料理だそうだ。
 槇尾は足元に転がしていたシルバーの蕾を持つと、クルクルと回しながらそれを炙り始めた。興味深そうにフジが眺めていれば、蕾は赤く熱を帯び、それから徐々に解けていく。一センチにも満たない細く固そうな針金の先、火傷しないよう革手袋で掴んでゆっくりと引っ張っていけば一本のワイヤーが出来上がった。
 槇尾はそれを器用に格子状にして、焼き網と焚き火を跨ぐようなスタンドを作った。熱した網に軽く油を塗って、その上でいろんな種類の肉と魚、キノコや野菜を焼いていくらしい。いわゆるバーベキューだ。
 焼くのに時間がかかるから、と硬めの野菜を乗せていく。かぼちゃは新大陸でもかぼちゃらしい。鮮やかな黄色がこっくりとしたオレンジに変わっていく。
 槇尾とフジがバーベキューの準備をしている間、天馬とクレスはすっかり意気投合したようで、少し離れたところで手合わせをしていた。久しぶりに骨のある相手と遊べてクレスも天馬も楽しそうだったが、新大陸の中でも強者にあたるクレスと戦える天馬の人間離れした力に槇尾は若干引いていた。
 
 美味しい食事と少量の酒でフジはふわふわした気分で隣に寄りかかろうとして、エルじゃないんだと体を戻す。危なかった。
 槇尾もそれに気付いたのだろう、そーいやよぉ、と酒を煽って飲み干すとフジに尋ねた。
「エルはどうした。アイツがお前と離れてるなんて信じられねぇな」
「うーん、私にもよくわかりません。りょうから仕事を頼まれたようで、エルとは港で別れました。それで代わりにりょうの護衛をしていた天馬さんが今回の渡航に同行してくれたんです」
「俺も詳しくは知らない。ただ藤君について新大陸に渡れとだけ」
「んだよそれ、説明不足つーかなんつーか」
 不信感と呆れが混じったような顔をする槇尾に、フジはチラリと隣に座る天馬を見た。視線に気付いた天馬も目だけでフジを見ると、少しだけ考えるように目を伏せて、「槇尾」と彼から話し始めた。
 
 日高がフジと天馬を意図的に国外から出した狙い、エルへの依頼、そして弘信つまりは槇尾の親が反政府組織と繋がっているのではないかという疑惑。あくまで予測でしかない説を槇尾に話している間、彼は相槌を打ちながら聞いていた。だが弟と両親の話題に触れると、槇尾はピクリと眉を上げそこからは難しい顔で黙り込んでしまう。
 天馬が事情を説明し始めたのは意外だったが、槇尾の家族を疑っているという内容を、これからも関係の続くフジの口から言わせないようにしてくれたのだと思う。
 かすかな赤の明暗に揺らぐ槇尾の顔から感情は窺い知れなかった。だが、槇尾の背もたれのように丸まって寝ていたはずのクレスの瞳がうっすらと開いて、天馬をジッと見詰めていた。槇尾の揺れ動く感情を察して警戒態勢に入ったのだろう。
―――喧嘩にならなければいいけど……
 天馬の気遣いを無駄にするわけにはいかない。あくまでフジは第三者としてふたりを見守ることにした。
 網の上に残された肉の切れ端が焦げ炭になって隙間から落ちていく。
 沈黙が落ちてそれほど時間が経っていない。メラメラと不規則に燃え揺れる炎をぼうっと見ながら槇尾の言葉を待った。
「……確かに俺の親は九条グループの総合化学メーカーのCEOだ」
 忌々しそうに口を開き、槇尾は深いため息を吐いた。
「だがおれは十八の時に家を出て、それっきり関わりはない。反政府組織と繋がりがあるのか、弘信が……弟が実際どういう魂胆で研究所に入ったのかおれにはわからねぇ」
 現日本国では都道府県はなく、首都を中央区と呼び、そこから時計回りの渦巻き状に1区から35区まで行政割りしている。中央区から25区までは内陸部にあたるが、そこからは海沿いであり、現在進行形で地盤沈下による浸水の危険と隣り合わせの区画である。
 そんな場所では商業施設はもちろんのこと、働き口もなく、土壌の死んだ土地では農作もできない。明日食うものにも困る貧困層が集まる区画だが、九条化学はそこに工場を建てた。
 区民の大量雇用に加え、区画の発展に尽力し、支持を得た九条化学は順調に工場の数を増やしていく。暗く死に絶えていた海には大規模なコンビナートが増設された。
 噂は瞬く間に広がる。
 職を求めて国内中から失業者が25区以下に集まり、その時代中央区に次いで二番目に人口が多かったのは石油化学コンビナートが造られていた陸の端32区。まさに異例と言えた。
 幼い頃、槇尾は真っ黒な海に広がる工場地帯を見た。白煙と炎。白と赤のライトが無機質な金属を光らせ闇夜に浮き出ている。
 SFちっくな光景に少年は驚いて、心を震わした。あれを両親が造ったのだと思うと誇らしくなった。普段厳し過ぎる父への苦手意識も薄らいで、言うことをちゃんと聞いて父のようになろうと決意したのに。
 話はそこで終わらない。
 工場から大量に排出された有害物質による公害は三十年以上経った今もなお区民を苦しめ続けている。金を得る代わりに体を壊し、治療費で金を使いまた働いて体を壊す、その繰り返しだ。九条グループに裁判を起こす区民もいたそうだがいまだに判決は出ていない。
 九条グループも司法も立法も行政も、たかが区民の命などに興味はない。当時の彼らには新大陸に移住する計画があり、日本など今だけの待機場所に過ぎないのだ。
 棄てる国、死んでも構わない国民、上流階級層にとって全て使い捨ての道具だ。
 槇尾はそれを知って絶望した。幼い頃憧れた父は糞の掃き溜めみたいな性格で、優しかった母は元より体が弱く弟を産むと同時に亡くなった。
 十八になり槇尾は家を出た。父を止めることも、弟を連れて行くことも出来ず、ただ毎日工場の公害により苦しめられる区民の声から逃げたかっただけなのだ。
 夢だった医者にはなれなかった。実力か、はたまた九条に邪魔されたのかわからない。医者という上流階級と接する可能性のある職業に就かせたくなかったのかもしれない。その証拠に軍医にはなれたのだから。
 何年かに一度、弟から手紙が届いた。平仮名だらけので「あいたい」「とうさまがこわい」「さびしい」と、顔も忘れてしまっただろう兄に必死に助けを求めていたが、こちらから槙尾家に接近することは不可能だった。幼い字が大人びていって、とうとう手紙は届かなくなった頃、槇尾は新大陸調査団の募集を聞いた。
 逃げたかっただけなのだと思う。
 報酬の為、世界の未来の為、大義の為、理由付けなどいくらでもできたが、結局のところ自分はまた逃げたのだ。
 それからは知っての通りだ。
 弟は最後の手紙で新大陸研究について話していた。だから彼の興味のまま研究所に入ったのだ……と思いたいが、果たしてあの父親がそれを許すかと聞かれれば槇尾は頷けなかった。
 長兄が家出した以上、自分の跡を継ぐのは次男の弘信しかいない。父は婿養子だったから、父の家系から跡継ぎを出すことは祖父が許しはしないだろう。妻が死に、長男は行方知れずとなれば、父があの地位に縋り付くためには弘信しかいないのだ。
 だが弟が父の傀儡だとしても大切な弟には変わりない。一度は見捨ててしまった弟。今度は見捨てたくはない。
 
「天馬」
 
 話し終えた槇尾は天馬を一瞥し、弱った焚き火に薪をくべた。ぱちぱちとはぜた火の粉が、より濃く、赤く、槇尾を染める。
「弘信になにかする気なら俺はお前を許さねぇぞ」
 ぶわりと羽を膨らませたクレスに、森中の鳥が逃げ出すように飛んだ。夜空を大量の陰が埋め尽くし、数百の羽音が騒々しく去っていく。しばらくして静けさを取り戻したが、張り詰めたような緊張感だけがこの場に残った。
「気持ちはこちらも同じだ。娘を裏切るようなことがあれば俺が弘信を殺す」
「その前に俺がお前を殺してやるよ」
「ちょ、ちょっと!」
 喧嘩どころか殺し合いに発展しそうになってフジは慌てて間に入るも、なにか言おうとして、なにも思い付かなくて、とりあえずポケットを弄ってみる。指先に当たった感覚に、ハッと思い出して、手のひらに収まる小さな缶を取り出した。
「糖分が足りてないカッとなるんですよ!ほら、飴ありますから!」
 二人に無理やり飴を渡して、威嚇モードのクレスの嘴を無理やり開いて飴を投げ入れる。初めて食べる人工甘味料にクレスは目を丸くして、落ち着いたのかのっそりと地面に伏せて槇尾の動向を伺った。
「殺すとか物騒なこと言ってる場合じゃないですよ。あくまで予想の話ですし、そもそも弘信さんのことをりょうが調べてない訳ないじゃないですか」
「ほれもほうか……」
 律儀に飴を口に含んだ天馬が納得したようにストンと座る。激情の行き場をなくした槇尾もなにか言いたげではあるものの、大人しく飴を口に入れガリガリと噛み砕くと、「りょうねぇ」と含みのある言い方でぼやいた。
「書面でのやり取りしかしたことねーけど、いけすかねぇ感じがして苦手なんだよな」
「槇尾お前、」
「まあまあ、天馬さん。りょうが胡散臭くて自己中心的でサディステックなことは事実ですし」
「別にそこまで言ってねーよ」
「槇尾さんが苦手な気持ちもわかりますよ。アイツは手の内を全て明かさない男なんです。なにを隠してなにを抱え込んでいるのか俺にはさっぱりですけど……」
 それでも、フジが知る限り日高亮治ほど人の上にいることが似合う男はいないのだ。
 手の中の缶をカラカラと振って、中の小さな飴が音を立てた。出航前にフジのポケットにこれを突っ込んだのはあの幼馴染だ。
 信じる、ということは難しい。思考の放棄にも思えるし、他人頼りのようにも思えて自分が情けなくなる。だけどこれは覚悟だ。エルを、日高を信じて、自分が今できる最大限の仕事をするという覚悟。
 あの肌のように黒く、重い、彼の尋常ならざる執着を抑え込んで、自分から離れる覚悟を決めたエルのように、フジもまたなにも知らないことに目を瞑って、彼らを信じることに決めたのだ。
 すっかり熱も冷めたのか、飴のお代わりを求める槇尾にフジは缶ごと渡した。遠慮して一個でいいと槇尾は言うが、元よりあげるつもりだったので問題はなかった。
「マキオ~、オレにもチョーダイ」
「俺にもくれ」
「オメェは日本に戻ったら食えるだろーが」
 やいややいやと飴を取り合う二人の本当のところはわからない。一旦全てを呑み込んで、彼らもまたお互いの大切な人を信じることしか出来ないのだ。
 願わくは誰も傷付かないように。フジの不安な心とは裏腹に、ぎらぎらと輝く満天の星空を見上げた。

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感想 1

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みんなの感想(1件)

ドゥ
2023.09.20 ドゥ

未知の土地を測量しながら旅するってロマンがあり過ぎてワクワクします!
人を苗床にするキノコや水ヒルなどの原生生物は一歩間違えると命取りになるほど危険なのだけど、その旧大陸が失った生命力を持っていて惹き込まれてしまう。
最新17話は本当に続きが気になる展開です。もうどうなっちゃうの...?!って怖いけど楽しみでしょうがない。新大陸こんなに危険なんだから人類が入植できないのも納得!

2023.09.20 胃頭

最新話までお読みいただきありがとうございます☺︎
最終局面に入りあと少しで完結かと思いますので、最後までお付き合い頂けますと幸いです!
感想ありがとうございました〜!とても励みになります!

解除

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