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コモ

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第二章 桃園輝

希望が始まるのであれば

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 出版社の一室。空調の音と、時計の針が進む音だけが耳に残る。

 小さな会議室。無機質な白いテーブルに、スチール製の椅子がふたつ。壁には余計な飾りもポスターもない。そういうの、もうちょっと貼ってくれてもいいのにな、と思いつつ。

 鈴村ほまれ、十九歳。
 すでに緊張で死にそうだった。

 ユニクロで買った、安いシャツとチノパン。ろくに服なんか持ってなかったから、面談のためだけに買った。数千円の出費が心に重くのしかかる。

 約束している時間の三十分も前に着いてしまった。早く着きすぎた自覚はある。けど、落ち着いて家にいられるわけがなかった。いまも手のひらはびしょびしょで、喉の渇きに耐えかねて淹れられていたお茶に手を伸ばす──が、三口目で見事にむせた。

 ああもう、やだ。死にたい。

 ──ガチャ。

 不意に開いたドアに、びくりと肩が跳ねた。

「失礼します」

 低く、よく通る声。ファイルを手にした男が、すっと入ってくる。黒髪。長身。スーツのシルエットがもう完成されすぎていて、顔も整っていて……って、え?

(え? 就活サイトの広告から出てきた?)

 あまりに場違いすぎて混乱する。こっちはユニクロなのに。シャツに値札つけたまま来たんじゃないかと今さら不安になる。

「──鈴村ほまれさん?」

「え、あ、はい、あのっ、あの、ほ、ほまれです……鈴村です……っ」

 語彙が死んでいた。舌が絡まって、自己紹介すら怪しい。ああもう。落ち着け落ち着け…!

「初めまして。編集の桃園です」

 差し出された名刺に、一瞬、動きが固まる。右? 左? どうするんだっけ、こういうとき──
 焦る頭で考えながら、ぺこぺこと頭を下げて、なんとかそれらしい所作で名刺を受け取る。名刺の紙の感触が、じんわりと指先に残った。

(わぁ……め、名刺だぁ……。桃園…輝…さん。)
 それだけのことなのに、胸がいっぱいになる。まるで別世界に迷い込んだようだった。

「“水際の亡霊”、面白かったです。表現の粗さはありますが、魅せ場の作り方にセンスがある。初投稿でこれは──」

「えっ……あ、あの、どうもありがとうございます……?」

 褒めてる。きっと。
 でも言葉が追いつかない。自分のことを話されているのに、どこか遠くの話みたいで。声が裏返りそうになりながら、精一杯返す。咄嗟に出たのは、曖昧な敬語と疑問形だった。

「──才能がある。ただ、舐めてたら潰れるジャンルですから。プロになるにはそれなりの覚悟が必要です」

(就活みたいなこと言われてる……)

 真っ直ぐな声だった。ちゃんと読んでくれてる。ちゃんと、評価してくれてる。
 自分が書いたものを、こんなふうに見てくれる人がいるなんて。

「今後は俺が担当します。それで……」

 言いかけて、桃園は一瞬だけ言葉を止めた。
 資料のページを軽く指先でなぞりながら、視線はほまれに向いている。探るような、でも決して敵意のないまなざしだった。

「君、どういう状態でこれを書いたんですか」
 問いかけは、驚くほど静かで真剣だった。
 どういう意味だろう。一瞬では理解できずに、喉の奥がきゅっと詰まる。うまく言葉が出ないまま黙っていると、もう一度、向こうから投げかけられた。

「独学?」
「……え…っと、はい。その、なんとなくで、すみません」

 言いながら、自分でも情けない返事だと思う。緊張で口が乾いて、うまく声が出ない。

「“なんとなく”でここまで書ける人間、編集部に五年はいませんでしたよ」

 ぱたん、と資料を閉じる音が静かに響く。
 その音が合図のように、ようやく桃園が顔を上げた。

 視線が合った。先ほどまでの事務的な雰囲気が、少しだけ変わる。鋭い、というより、真っ直ぐだった。真剣だった。真正面から射抜かれるような眼差し。

「……君はいま、何をされてるんでしょうか」
 問いかけは穏やかだった。でも、その目はふざけてなんていなかった。真面目に、知ろうとしてくれている。そう思った途端、喉の奥がきゅっと詰まる。

「い、いまは、バイトを少々……」

 視線を合わせられなくて、手元を見ながら答える。声が震えていた。

「学生じゃない?」

 桃園は、少しだけ眉を動かした。意外そうに。それでも責めるような言い方ではない。

「こ、高卒です。親には、進学しないって言って……それで」

 言葉を選ぶ余裕もない。ただ事実を並べるだけの、しょぼくれた返答。言いながら、自分の声がどんどん小さくなるのがわかった。恥ずかしいわけじゃない。ただ、この話をするとき、いつも胸の奥がざらざらする。

 桃園は黙ったまま、その話を、ちゃんと受け止めるように聞いていた。少しの沈黙のあと、静かに言う。

「今後、俺が担当します」
「わっ、はい、あっ、はい、なんか、あの、よろしくお願いします!こちらこそ!」

 返事というより、ほぼ反射だった。思考が追いつく前に口が動いて、あとになって変な言い回しに気づいて、全身がじわじわ熱くなる。

「いいですか」

 きっぱりとした声に、また背筋が伸びた。姿勢を正さずにはいられない声だった。

「きみの作風は、はっきり言って大衆向けじゃない」

 ぐさりと刺さるような言葉だった。
 けれど、否定ではなかった。たぶん。
 “変”なんだ、これ。そんなふうに思ってしまう自分と、でもそれをこの人はちゃんと“作風”として扱ってくれてる、という不思議な感覚が、胸の奥でせめぎあう。

「見つけてもらわなければ話になりません。大賞をとって、認知してもらうのが一番効率がいい。そのためにも、まずは新人賞をとる必要がある。そうですね、より読者を意識していただいて、ジャンルは──」

 言葉が、矢継ぎ早に飛んでくる。まるで、売れることが前提で話を進めているみたいに。
 明確なビジョン。揺るぎない確信。冷静な分析。

 もうすでに“この作家”を売る準備をしているみたいだった。
 ほまれの中では、まだ現実味すら帯びていない未来を、この人は当たり前のように、当然のように見ていた。

 ……この人、本気なんだ。

 胸の奥が、ずきん、と鳴った。
 夢の中にいるようだった。いや──たぶん、今この瞬間、夢の入口に立っている。

 怖い。何が起こるのか、正直わからない。でも、怖さの奥に、確かにある。手を伸ばせば、ぎりぎり触れられるかもしれない“何か”の気配。

 怖さと、嬉しさと、夢みたいな痛みが、ひとつになって押し寄せる。

 きっと、後になって思い返すんだろう。
 止まっていた自分の人生が、ほんの少しずつ動き出したのは、この日からだったと。
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